映画評「ホリック xxxHOLiC」
☆☆★(5点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・蜷川実花
ネタバレあり
コミックの実写映画化。題材はオカルトである。
あやかしという人間の業が顕現化したものが見える高校生・四月一日君尋(わたぬききみひろ=神木隆之介)が、その能力の為に人との交流を極力避けている或る日、妖気漂う建物の中にあるミセという悩み相談所(?)に入り込み、その主人・壱原侑子(いちはらゆうこ=柴咲コウ)と出会い、その能力を抑える対価として反強制的にそこで賄い夫として働くことになる。
かかる日々の間に、祓いの能力を持つらしい同級生・百目鬼(どうめき=松村北斗)や訳あり美少女ひまわり(玉城ティナ)を親交を深めていくことになる一方、特殊能力を持つ彼を食らうことを念願とする女郎蜘蛛(吉岡里帆)に狙われた結果、同じ日を繰り返す無間地獄に落ちる。
その解除に成功した時友人たちが犠牲を払ったことを知り、この世に生きる為の独自の人生観を得る。それを見届けた侑子は本来の居場所たるあの世に戻り、四月一日が後継者になる。
乱暴にまとめれば、以上のようなお話である。
若い人はこういう理屈が好きなのだろうが、年寄りには面倒臭いだけで、どうにも退屈感が先行して集中力を欠くという負のスパイラルに入り、益々登場人物たちが何を話しているのか解らなくなる。その割に星が多いではないか?
それは、極彩色の美術を余すところなくカメラに収めるのを特徴とする蜷川実花の作る画面が、例によって面白いからである。彼女にとって、語弊があるが、原作はあくまでの自分を表現する為の素材・材料なのだろうと思う。これでお話が面白ければ良いのだが。
四月一日が引き継いだ結果“おねえ”化するのは、 壱原侑子と精神的に合体したからではないか、 という風に考えている。 見当違いかもしれませんがね。 とにかく、左脳人間は論理的に考えずにはいられないのだ。
彼女の作るような独自の画面に関して、世に”世界観”(本当は世界で十分)と言う人が多いが、世界ではなく“せかいかん”と言いたいなら“世界感”という僕(のような人間)が考え出した造語を使うのが良いと思う。現在既に“世界感”を使っている人は多く誤用しているに過ぎないが、僕のそれは実際に使われている意味から捻り出したもので誤用のそれとは違う。ネットで誤用と決めつけられるのは迷惑である。辞書は現状に追随するし、文部省・文科省の方針には正しくないと思うものも少なくない(例えば、未だに記憶するの”おぼえる”に"覚える"を使わせている。"全然"は肯定にも使えるのに使うのは正しくないとしている、等)。 他方、 確かに “観” には “考え” の他に “見た目” という意味もあるので “世界観” の使用も一概に間違いとは言えないのだが、哲学的な用語としての意味が定着している為、どうしても “世界観” には違和感があるのである。
2022年日本映画 監督・蜷川実花
ネタバレあり
コミックの実写映画化。題材はオカルトである。
あやかしという人間の業が顕現化したものが見える高校生・四月一日君尋(わたぬききみひろ=神木隆之介)が、その能力の為に人との交流を極力避けている或る日、妖気漂う建物の中にあるミセという悩み相談所(?)に入り込み、その主人・壱原侑子(いちはらゆうこ=柴咲コウ)と出会い、その能力を抑える対価として反強制的にそこで賄い夫として働くことになる。
かかる日々の間に、祓いの能力を持つらしい同級生・百目鬼(どうめき=松村北斗)や訳あり美少女ひまわり(玉城ティナ)を親交を深めていくことになる一方、特殊能力を持つ彼を食らうことを念願とする女郎蜘蛛(吉岡里帆)に狙われた結果、同じ日を繰り返す無間地獄に落ちる。
その解除に成功した時友人たちが犠牲を払ったことを知り、この世に生きる為の独自の人生観を得る。それを見届けた侑子は本来の居場所たるあの世に戻り、四月一日が後継者になる。
乱暴にまとめれば、以上のようなお話である。
若い人はこういう理屈が好きなのだろうが、年寄りには面倒臭いだけで、どうにも退屈感が先行して集中力を欠くという負のスパイラルに入り、益々登場人物たちが何を話しているのか解らなくなる。その割に星が多いではないか?
それは、極彩色の美術を余すところなくカメラに収めるのを特徴とする蜷川実花の作る画面が、例によって面白いからである。彼女にとって、語弊があるが、原作はあくまでの自分を表現する為の素材・材料なのだろうと思う。これでお話が面白ければ良いのだが。
四月一日が引き継いだ結果“おねえ”化するのは、 壱原侑子と精神的に合体したからではないか、 という風に考えている。 見当違いかもしれませんがね。 とにかく、左脳人間は論理的に考えずにはいられないのだ。
彼女の作るような独自の画面に関して、世に”世界観”(本当は世界で十分)と言う人が多いが、世界ではなく“せかいかん”と言いたいなら“世界感”という僕(のような人間)が考え出した造語を使うのが良いと思う。現在既に“世界感”を使っている人は多く誤用しているに過ぎないが、僕のそれは実際に使われている意味から捻り出したもので誤用のそれとは違う。ネットで誤用と決めつけられるのは迷惑である。辞書は現状に追随するし、文部省・文科省の方針には正しくないと思うものも少なくない(例えば、未だに記憶するの”おぼえる”に"覚える"を使わせている。"全然"は肯定にも使えるのに使うのは正しくないとしている、等)。 他方、 確かに “観” には “考え” の他に “見た目” という意味もあるので “世界観” の使用も一概に間違いとは言えないのだが、哲学的な用語としての意味が定着している為、どうしても “世界観” には違和感があるのである。
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