映画評「オフィサー・アンド・スパイ」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2019年フランス=イタリア合作映画 監督ロマン・ポランスキー
ネタバレあり
世界史の授業で通り過ぎても、フランス文学に興味がある人なら、19世紀末に起きたドレフュス事件は知っている筈だ。文豪エミール・ゾラがドレフュス大尉を冤罪から救おうと上層軍人たちを告発したからである。
フランス語原題がゾラが新聞に投じた文書のタイトル ”私は告発する” をそのまま採用したのに対し、 国際タイトルは An Officer and a Spy であり、 日本の配給会社はこちらを採用した。 Allcinemaにある “愚にもつかない邦題” というのは国際タイトルをそのまま横文字にしただけの日本の配給会社に対して失礼と思う。クラシックに “士官と間諜” とでもすれば良かったのですかな? 確かに ”私は告発する” という題名は悪くないが、「私は告白する」(1953年)「私は確信する」(2018年)という邦題が既にあり、後年混乱する可能性がある。他方、配給会社が後年のことを考えて国際タイトルを採用したのではないとも、僕は確信する。
さて、事件の細々としたことは忘れたので、こうして映画化されるのは大変有難い。戦前の「ゾラの生涯」(1937年)がかなり詳しく事件を扱っているが、勿論ここまで詳細ではなかった、と思う。
1894年、砲兵大尉アルフレド・ドレフュス(ルイ・ガレル)がスパイ容疑で逮捕され、パピヨンも送られた悪魔島ことディアブル島へ送られる。折しも新たに軍情報部の部長になったピカール中佐(ジャン・デュシャルダン)は、証拠となるものがドイツ武官に当てられた正体不明の手紙だけで、冤罪の疑いが濃厚と感じ、調べるうちに手紙の筆跡が別人であることを掴んで確信を得るが、事実が明るみに出て不名誉となるのを怖れた軍上層部は相手にしない。
当時文豪ゾラ(アンドレ・マルコン)も事件に憤っていて、彼らは弁護士を囲んで連携するが、名誉棄損でゾラは訴えられて有罪、やがてピカールも軍籍を解かれる。ところが、彼の収監中に中佐の陰謀の証拠を見たと証言した側近アンリ少佐がその証拠が自分が作った偽物であると自白して自殺し、ピカールは釈放される。
この結果フランスに戻って来たドレフュスは、しかるに、再審の弁護士の暗殺により再び有罪になるが、1899年に有罪のまま恩赦により釈放される。事件はくすぶったまま7年の時が経ち、1906年ドレフュスは遂に無罪判決を得る(ゾラはその前1902年に物故している)。
冤罪はツールであって、テーマは(ユダヤ人)差別である。わざわざユダヤ人に括弧を付けたのは差別が普遍的な素材であるからだ。この現在においてユダヤ人差別に留めて良いわけがない。
他方、ユダヤ人差別はこれまで何度も扱われてきた主題ながら、監督のロマン・ポランスキー自身が差別・迫害された経験を持つユダヤ人だけに並大抵の思いで作ったのではない筈だ。
しかし、ポランスキーは抑えに抑えて大衆に迎合するような派手な作り方をしなかった。結果として大衆的な評判を得たとは言えないが、きちんとした展開ぶりと、落ち着いた端正な画面は、近年はせわしない映画が多いので、大いなる魅力と感じられる。こういうのを観ると最近の大勢を占める、落ち着きのない映画を観る気が失せる。
日本には邦題に文句を言う映画ファンが多いが、文句を言われるような邦題が生れる理由が平均的な日本人の題名に対する希求にあることを忘れている。TVの長時間ドラマの長いサブタイトルを見よ。配給会社の前に内容が解る題名を求める大衆の民度を責める方が正しい態度だと思う。
2019年フランス=イタリア合作映画 監督ロマン・ポランスキー
ネタバレあり
世界史の授業で通り過ぎても、フランス文学に興味がある人なら、19世紀末に起きたドレフュス事件は知っている筈だ。文豪エミール・ゾラがドレフュス大尉を冤罪から救おうと上層軍人たちを告発したからである。
フランス語原題がゾラが新聞に投じた文書のタイトル ”私は告発する” をそのまま採用したのに対し、 国際タイトルは An Officer and a Spy であり、 日本の配給会社はこちらを採用した。 Allcinemaにある “愚にもつかない邦題” というのは国際タイトルをそのまま横文字にしただけの日本の配給会社に対して失礼と思う。クラシックに “士官と間諜” とでもすれば良かったのですかな? 確かに ”私は告発する” という題名は悪くないが、「私は告白する」(1953年)「私は確信する」(2018年)という邦題が既にあり、後年混乱する可能性がある。他方、配給会社が後年のことを考えて国際タイトルを採用したのではないとも、僕は確信する。
さて、事件の細々としたことは忘れたので、こうして映画化されるのは大変有難い。戦前の「ゾラの生涯」(1937年)がかなり詳しく事件を扱っているが、勿論ここまで詳細ではなかった、と思う。
1894年、砲兵大尉アルフレド・ドレフュス(ルイ・ガレル)がスパイ容疑で逮捕され、パピヨンも送られた悪魔島ことディアブル島へ送られる。折しも新たに軍情報部の部長になったピカール中佐(ジャン・デュシャルダン)は、証拠となるものがドイツ武官に当てられた正体不明の手紙だけで、冤罪の疑いが濃厚と感じ、調べるうちに手紙の筆跡が別人であることを掴んで確信を得るが、事実が明るみに出て不名誉となるのを怖れた軍上層部は相手にしない。
当時文豪ゾラ(アンドレ・マルコン)も事件に憤っていて、彼らは弁護士を囲んで連携するが、名誉棄損でゾラは訴えられて有罪、やがてピカールも軍籍を解かれる。ところが、彼の収監中に中佐の陰謀の証拠を見たと証言した側近アンリ少佐がその証拠が自分が作った偽物であると自白して自殺し、ピカールは釈放される。
この結果フランスに戻って来たドレフュスは、しかるに、再審の弁護士の暗殺により再び有罪になるが、1899年に有罪のまま恩赦により釈放される。事件はくすぶったまま7年の時が経ち、1906年ドレフュスは遂に無罪判決を得る(ゾラはその前1902年に物故している)。
冤罪はツールであって、テーマは(ユダヤ人)差別である。わざわざユダヤ人に括弧を付けたのは差別が普遍的な素材であるからだ。この現在においてユダヤ人差別に留めて良いわけがない。
他方、ユダヤ人差別はこれまで何度も扱われてきた主題ながら、監督のロマン・ポランスキー自身が差別・迫害された経験を持つユダヤ人だけに並大抵の思いで作ったのではない筈だ。
しかし、ポランスキーは抑えに抑えて大衆に迎合するような派手な作り方をしなかった。結果として大衆的な評判を得たとは言えないが、きちんとした展開ぶりと、落ち着いた端正な画面は、近年はせわしない映画が多いので、大いなる魅力と感じられる。こういうのを観ると最近の大勢を占める、落ち着きのない映画を観る気が失せる。
日本には邦題に文句を言う映画ファンが多いが、文句を言われるような邦題が生れる理由が平均的な日本人の題名に対する希求にあることを忘れている。TVの長時間ドラマの長いサブタイトルを見よ。配給会社の前に内容が解る題名を求める大衆の民度を責める方が正しい態度だと思う。
この記事へのコメント
ポランスキー氏、どっしり作ってますよね。まだまだ現役。
>私も英語題が、AN OFFICER AND A SPY でなければ文句を言いたいところでした(苦笑)
カタカナ邦題は僕も好きではないですが、問題題名の多くは、観客の方に問題があります。TVの低俗番組が流行るのと同じ理由です。
僕が配給会社に文句を言うのは、日本語としておかしな場合ですね(「魔法にかけられて」「敬愛なるベートーヴェン」など)。
>ポランスキー
ご高齢ですが、良い仕事をします。