映画評「オリーヴの下に平和はない」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1950年イタリア映画 監督ジュゼッペ・デ・サンティス
ネタバレあり

「にがい米」(1948年)で有名なジュゼッペ・デ・サンティスの次作。視線が庶民の苦しい生活に下降しているので、ネオ・レアリズモのような感触もあるが、展開の仕方と撮り方に相当匠気があって興味深い。

ローマの南方にあるチョチャリア地方の山岳地帯。羊飼いラフ・ヴァローネが復員すると、羊は全て羊飼いの大立者フォルコ・ルッリに奪われている。そこで家族を挙げて羊を奪還するが、逮捕される。
 裁判で有利な証言をして貰えると期待していた恋人ルチア・ボゼーは、ルッリに借金を追う一家の為に無理矢理結婚させられる身であり、脅迫されて嘘の証言をした為に彼は囚人の身となる。彼の妹マリア・グラチア・フランチャは襲撃の時にルッリを強姦されてい、その事実を知った親により彼の家で暮らすようになる。
 復讐の思いにかられたヴァローネは囚人仲間と脱獄、灌木の生える山に潜んでそのチャンスを伺う。裁判時は彼に味方にならなかった者も彼の応援団になり、ルッリの両親も家から逃げ、ルチアも彼を支援しようと山に入る。
 今やマリアを連れて逃げ回らなくなった彼は結局足手まといになるだけのマリアを絞殺するが、迫るヴァローネの前に逃げる場所を失って正気を失って崖から飛び下りる。
 官憲はヴァローネにきちんとした再審を約束する。

持たざる者のドラマを扱った内容は現在にも通じるが、デ・サンティスはメリメの小説のような乾いた土地と血の匂いのする激しい復讐譚にし、結果的にメキシコとアメリカの国境を舞台にしたマカロニ・ウェスタンような気分が醸成されて一定の面白味がある。
 反面、過度の省略で場面が上手く繋がっていなかったり、疑問が生じる箇所が頻出する為、もっと長かったのを短くしたのではないかという感じさえする。

さて、本作は視線の映画である。冒頭に匠気という言葉を使ったが、視線にそれを感じる次第。
 これに関して、カメラ目線が良くないと仰る人がいるが、それほど単純ではない。以下のようなショットが目を引いた。ヴァローネがカメラに視線を向けていながら、実際に見ているのはカメラの向うであろうと思われるところ。隣にいるルチアはカメラに顔を向けていても、瞳はカメラを向いていない。
 他にも、そこまでややこしいことをしているわけではなくても、視線が強い印象を残す人物の交錯が多い。こうなると本来のネオ・レアリズモとは全く違うスタンスの映画ということになる。

「にがい米」よりぐっと落ちるが、灌木の山地に風景の魅力もあり、荒々しさが強い印象を残す。軽視できない作品と言うべし。

子供の頃から人名図鑑でデ・サンティスの項を見て気になっていた作品。やっと観られました。

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