映画評「線は、僕を描く」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・小泉徳宏
ネタバレあり
水墨画家・砥上裕將の小説を小泉徳宏が映像化した青春ドラマ。
大学生の横浜流星が、水墨画の大御所・三浦友和の揮毫会設営の手伝いに駆り出された時に、当の大御所に気に入られ、生徒という名の弟子に抜擢される。洪水で喧嘩別れしたままの両親と妹を失った疵を抱える彼は、悩みながらも生徒になることを決意する。これに遠回しな指導しか受けていない孫娘でもある内弟子・清原果耶は少々面白くない。彼女は今スランプで姿を消してしまう。
やがて、悩める二人は、高速バスに乗って彼の実家のあった被災地に向うことで、自分ときちんと対峙することができ、一皮向けた境地に達する。
小泉監督は大枠で同系統と言える「ちはやふる」シリーズのメガフォンを全て取ったわけで、とりわけ前半は淀みなく無難に進行していると思う。
「ちはやふる」と違って、こちらは内なる自分との闘いがテーマで、男女二人の苦悩二重奏として進行させるアイデアは悪くない。女主人公の心理をもう少し深く掘り下げていたらもっと良くなったのだが。
三度出て来る揮毫場面がハイライト。水墨画の一部でしかない揮毫がハイライトに選ばれたのは、絵面として華があるからであろう。
先述したように前半が良く、型に落ちる後半はかなり落ちる。
先が読めようが、型通りであろうが、きちんとすべきところをきちんとすれば良い作品になるというのが僕の映画観である。例えば、高速バスでの移動はもっと二人の心境を沈潜させるようにじっくり撮らないと、実家の跡に立ち流れ残った(妹の名前でもある)椿から落ちて枯れた花を見て進境を得るという後段での効果が半減する。結果的になまなかな見せ方に推移して、失望するわけである。
原作では家族の死は事故であり、三浦友和のライバル画伯は男性である、という違いがある。欧米であれば後者の変更は間違いなくフェミニズムであるが、本作の変更は絵面の観点からではないかと思う。
ハイライトとクライマックスは違いますよ。この違いが解っていない人がいるみたい。
2022年日本映画 監督・小泉徳宏
ネタバレあり
水墨画家・砥上裕將の小説を小泉徳宏が映像化した青春ドラマ。
大学生の横浜流星が、水墨画の大御所・三浦友和の揮毫会設営の手伝いに駆り出された時に、当の大御所に気に入られ、生徒という名の弟子に抜擢される。洪水で喧嘩別れしたままの両親と妹を失った疵を抱える彼は、悩みながらも生徒になることを決意する。これに遠回しな指導しか受けていない孫娘でもある内弟子・清原果耶は少々面白くない。彼女は今スランプで姿を消してしまう。
やがて、悩める二人は、高速バスに乗って彼の実家のあった被災地に向うことで、自分ときちんと対峙することができ、一皮向けた境地に達する。
小泉監督は大枠で同系統と言える「ちはやふる」シリーズのメガフォンを全て取ったわけで、とりわけ前半は淀みなく無難に進行していると思う。
「ちはやふる」と違って、こちらは内なる自分との闘いがテーマで、男女二人の苦悩二重奏として進行させるアイデアは悪くない。女主人公の心理をもう少し深く掘り下げていたらもっと良くなったのだが。
三度出て来る揮毫場面がハイライト。水墨画の一部でしかない揮毫がハイライトに選ばれたのは、絵面として華があるからであろう。
先述したように前半が良く、型に落ちる後半はかなり落ちる。
先が読めようが、型通りであろうが、きちんとすべきところをきちんとすれば良い作品になるというのが僕の映画観である。例えば、高速バスでの移動はもっと二人の心境を沈潜させるようにじっくり撮らないと、実家の跡に立ち流れ残った(妹の名前でもある)椿から落ちて枯れた花を見て進境を得るという後段での効果が半減する。結果的になまなかな見せ方に推移して、失望するわけである。
原作では家族の死は事故であり、三浦友和のライバル画伯は男性である、という違いがある。欧米であれば後者の変更は間違いなくフェミニズムであるが、本作の変更は絵面の観点からではないかと思う。
ハイライトとクライマックスは違いますよ。この違いが解っていない人がいるみたい。
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