古典ときどき現代文学:読書録2023年下半期
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
本年も記事の第一弾は読書録。すっかりお馴染みになったと思われます。例によってリストの前に少し前口上をば。
このところ大分新しい作品が増え、“オカピーの爺は相変わらず変なのばかり読んでいる”という段階を抜けつつありますが、今一つコメントが増えませんねえ。読書録を始めた当初は物珍しくて多数(でもないですが)コメントをお寄せいただきましたが、最近は皆様、ROM(リード・オンリー・メンバー)化していらっしゃるようで、寂しい限り。
なぬっ、目にも触れていないって。そんなことを言って白内障が始まって毎日遅延の目薬をつけている老人をいじめないでください。緑内障も徐々に広がっていまして、手術が出来る白内障と違ってこちらはなるようにしかならんのですって(怖いです)。
さて、大古典はぐっと減りまして、東洋では日本の軍記物二作や漢籍「十八史略」「玉台新詠」。西洋では「トリスタンとイズー物語」「ゲーテとの対話」くらい。あとはホーソーン、マーク・トウェイン、ヴィリエ・ド・リラダンなどの中古典。後は現代文学の古いものを幾つか。
古典以外では、芥川賞読破シリーズを二回(計11作)行い、大分今世紀に近づいています。映画になった新・旧作も結構読みましたよ。詳細は下記のお楽しみ。
文学の合間に、哲学や科学など他ジャンルを選ぶようにしていますが、選ぶのに結構難儀しております。皆様、ご推奨のものがございましたら、是非お願い致します。
それでは、ご笑覧あれ!
瀧澤 美恵子
「ネコババのいる町で」
★★★★第102回(1989年下半期)芥川賞受賞作。記念すべき(?)平成初の受賞作。遂に平成に入りましたよ。今回読んだ受賞作6編の中で最も昭和的な、僕の好むタイプの作品でございます。 米国人と結婚した母に捨てられた “わたし” は、 叔母と祖母の下で育てられ、野良猫の面倒を見ているネコババと少しずつ代替わりするネコバンたちに可愛がられる。若くして結婚したヒロインは、祖母とまだ若い叔母の相次ぐ死にショックを受ける。ネコババと祖母が共に待合(多分あいまい宿)を経営したライバル同士という辺りの説明も面白い。
大岡 玲
「表層生活」
★★同じく第102回芥川賞受賞作。池澤夏樹の「スティル・ライフ」に似た香りがする。僕は古臭い人間なので、こういうビルの隙間を吹く風のような寒々しい人間もしくは人間関係を描くお話は苦手だ。コンピューター等を使ってサブリミナル効果の実験をする “計算機” なる理系人間を、ちょっとした犯罪的行為に加担する文系人間の “ぼく” が傍観者的に見つめる、その果て。世の中は計算通りに行かない、という顛末は良い。
辻原 登
「村の名前」
★★★第103回(1990年上半期)芥川賞受賞作。どの時期からは把握していないが、ある時期以降の日本の純文学は一人称叙述ばかりだ。一巻に6編から8編ほど収める芥川賞全集を読んで三人称叙述はいつも1編くらいしかない。神の視点を感じさせるという意味で三人称叙述を僕は好む。本作は数少ない三人称叙述である。中国に交渉に出た営業マンが、名前も陶淵明の「桃花源記」に由来するのかもしれない桃花源村という寒村で、時代を超越するかのような不思議な場面に次々と遭遇する。奇談の類だが、そこに主人公の故郷へのノスタルジーを溶け込ませたところに純文学らしさがある。
小川 洋子
「妊娠カレンダー」
★★★第104回(1990年下半期)芥川賞受賞作。読解力は衰えていないと思うが、集中力が衰え、未婚の妹が、同居する妊婦の姉の動向を記録する穏やかなお話と勘違いした。実は後半、妹が姉の子供(農薬に入っている汚染物質によりその染色体)が破壊されることを願うホラー小説に変じているのである。銓衡(選考)委員の言葉を読んで合点した。
辺見 庸
「自動起動装置」
★★★第105回(1991年上半期)芥川賞受賞作。SFめいたタイトルながら、報道関係の建物に眠る関係者を起こすバイトをする二人の学生が、ライバルとなる装置と言えるほどの禍々しいものではない対象に嫉妬するというだけのお話。幽霊の正体見たり枯れ尾花的な敵の見た目に二人ともがっかり、という展開ぶりがユーモラス。眠りを主題にした珍しい小説です。
荻野 アンナ
「背負い水」
★★★同じく第105回芥川賞受賞作。シングルファーザーになった彫刻家の父親のせいもあって、必要以上に恋愛に苦労する女性イラストレーターが迷走するお話。落語家もやるという作者らしい冗談もふんだんに出て来る変てこな恋愛小説。人は一生分の水を背負っていて、それを恋愛関係の期間などにも敷衍していく辺りが面白い。が、常連の方々は解っているように、僕は、恋愛映画も恋愛小説もよく理解できないタイプです。
ヤロスラフ・ハシェク
「兵士シュベイクの冒険」
★★白痴として知られるシュベイクが本人が馬鹿なことをすればするほど軍内に食い込んでいく。すると、本当に馬鹿なのは彼より上位の軍人たちで、ある意味彼は神のようにも見えて来る。最初のうちは楽しいが、後半はエピソード群の差が余り感じられなくなり、退屈する。
オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン
「未来のイヴ」
★★★★1880年代に書かれた哲学SF。エジソンが19世紀後半のフランケンシュタインに相当する立場で主人公として出て来る。反科学至上主義的な立場を取る作者が、科学を最大限に使って、逆説的に人間の魂を描く。
椎名 麟三
「深夜の酒宴」
★★★戦後の長屋ものの風情。語り手は作者を思わせる転向者の須巻という人物で、彼の目に映る人々のうらぶれた生活を切り取る。野間宏の「暗い絵」と違うのは、こちらは自分ではなく、人々が中心であるということ。まあゴーリキーの「どん底」を想像すれば遠くない。
「重き流れのなかに」
★★★上の続編。共に「重きの流れのなかに」という短編集に収められたものらしい。住居を変えたものの、須巻の目に映るのは相変わらず、うらぶれた人々ばかりである。
「美しき女」
★★★★主人公の鉄道員は作者自身を投影しているように感じるが、作者程のインテリ性はない。共産主義者疑惑で留置所に放り込まれたりもするが、本人は共産主義を全く知らない。数名の女性と夫婦関係を持つなどするが、折に触れて彼女たちが彼が理想とする “美しい女” に見えたり、或いは、彼女たちの背後に美しい女が見えたりする。どの女性からも馬鹿にされながらも、愚直な彼には神性が宿っている。その意味でドストエフスキーだ。
エラリー・クイーン
「中途の家」
★★★警部の息子エラリー・クイーンもの。国名シリーズと違って、殺害の趣向そのものは平凡。被害者そのものに面白い細工があるが、探偵役クイーンの論理が物凄いことになっている。しかし、現在の一般ファンにはくどい。そういう点ではドルリー・レインもののほうが一般的な読書好きに向いている気がする。
「ギリシャ棺の謎」
★★★★国名シリーズの最高傑作とも言われる。探偵役エラリー・クイーンが初めて解決した事件で、少々失敗もする。「中途の家」同様、論理が微に入り細を穿つ感じで、僕にはヘビーすぎるが、犯行自体に謎が多い分楽しめる。個人的には昨年読んだ「エジプト十字架の謎」の外連味のほうを買う。
曾 先之(編)
「十八史略」
★★★「史記」を最古とする、南宋までの中国の正史書をダイジェストにしたもの。わが高校時代漢文授業の散文はほぼ「論語」と「十八史略」の序盤に占められた。重要なところは殆ど省略なく、そうでないと部分はざっと記される。正史を全部読むのは大変なので、大変便利。江戸時代以降日本人はこの書をよく学んだらしく、恐らく世界史教科書における宋までの中国史は本作の扱いを参考にしているのではないか。
ジョセフ・ベディエ(編)
「トリスタンとイズー物語」
★★★13世紀ケルトのロマンスで、色々な書き手が韻文なり散文なりで書き記したが、多く散逸した為、近代になって残りの部分からフランスのベディエが再構成した。解説者等が述べているように、この編では、媚薬は王族の二人を結び付ける原因ではなく、恋愛心理の象徴であると理解できる。面白く読める。
浅田 次郎
「鉄道員(ぽっぽや)」
★★★★★大人向けお伽話8編を収めた短編集。大きく3タイプの物語群に分けられる、そのうち5編が生霊・死霊が絡むファンタジー仕立てだが、実は殆どに作者の経験や自伝的要素が含まれると言う。タイトルとなった最初の一編は映画にもなった名編で、自伝要素のある「角筈にて」は父子の関係が逆。「うらぼんえ」には祖父の霊が姻族に苦しめられる孫娘の前に現れる。中国の出稼ぎ娘の悲劇を扱って落涙を禁じ得ない「ラブ・レター」も霊は現れないが、偽装結婚の夫は供えられた花から声を聞く。「伽羅」は生霊か。最後の「オリヲン座からの招待状」にも当日死んだ映画館主が絡んでいて、最後を締めるにふさわしい、誠に良い味の佳作。下層階級も上流階級も出て来るが、いずれも自分の人生を誇れない人々が主人公。彼らに注ぐ優しさが良い。たまにはこういう解りやすい大衆小説も良いです。
恩田 陸
「夜のピクニック」
★★★★映画版は見ていないが、やはりこの小説には及ばないのではないか。異母兄妹が同じクラスになったことで生まれた精神的齟齬を、丸一日かけた歩行大会によって、解消していく。それも意図のあり、あるいは意図のない他者の介在によって。ミステリー的な面白さもあるが、ヒロインが感じた謎は結構早々に分ったので★一つ引きました。しかし、★5つの価値がある。
俵 万智
「サラダ記念日」
★★★★★口語体歌集だが、実は五七調を守っている。図書館に二つ置かれている蔵書がいつも借りられて読めないので、【現代短歌全集】というのを借りて読む。これはワクワクしますな。爺が読んでも胸を打たれるのだから、妙齢の女性たちに読まれ、通常の歌集の千倍くらい売れたのも理解できる。早大在籍時代に書かれたもので、当時若手だったサザンオールスターズも二回登場する。
ジョン・アーヴィング
「ホテル・ニューハンプシャー」
★★★40年近く間に観た映画の軽いイメージとは全然違う。お笑い要素はあるが、輪姦、同性愛、近親相姦、家族の死、テロ、内向性と、実に重い。少なからぬ奇妙な死と、性愛が氾濫する。つまり、本作は生と死の寓話なのである。
ポール・オースター
「スモーク」
★★★★映画の脚本。一種の人情劇。映画を再鑑賞したばかりなので、かなりピンと来る。
「ブルー・イン・ザ・フェイス」
★★★映画の脚本。「スモーク」と登場人物が共通するところがあるが、作者としては続編ではないとのこと。再鑑賞していないせいもあるが、読んで楽しむには「スモーク」に分がある。映画にはマドンナも出ていました。
稲葉 京子
「槐の傘」
★★歌集。 “えんじゅのかさ”。 心情を歌うという点で共通するものがあるが、俵万智の後に読むと難しく感じますなあ。古典的だが、彼女とは対照的に破調が案外多い。
ヨハン・P・エッカーマン
「ゲーテとの対話」
★★★★ゲーテ晩年の10年くらいによく訪問した若者によるゲーテの発言集のようなものである。僕の芸術観は、トルストイとは余り合わないが、ゲーテとは共通点が多い。メッセージ性(ゲーテは道徳的ねらいと言っている)と演出に関する関係など全く同じと言って良いくらい。色彩論に関するニュートンへの批判は科学的にはゲーテの間違いで、その頑固ぶりに少々苦笑させられる。
城山 三郎
「総会屋錦城」
★★★近年、短編集はともかく短編が直木賞を受賞していない(1994年が最後)が、これは直木賞を受賞した短編。この作品の題名を冠した新潮文庫短編集から読んだ。こういう社会小説は僕の好みからは遠いが、妻や娘との関係には味がある。
「輸出」
★★同短編集所収の第2編。海外赴任をめぐる会社員残酷物語。
伊吹 有喜
「今はちょっと、ついてないだけ」
★★★★かつて人気スターに祭り上げられて今は引退同然の青年写真家と、彼を狂言回しにする連作短編集。映画版に解りにくいところがあったので、読んでみた。映画は、一部省略した挿話があるが、大体は原作通りに作られていた。しかし、写真家が主人公である第一話の一部詳細を全く説明することなしに一気に後半で出した為に解りにくくなっていたのだ。彼の大学時代の友人の出し方も映画は解りにくいし、フラッシュバックの女性の正体も解りにくい。小説は特に最初の三話が非常に良い。自分の人生は巧く行っていないと思われる30代から50代くらいの人は元気づけられるかもしれないヒューマンな小説(群)である。
ソール・ベロー
「雨の王ヘンダソン」
★★★本国ではヘミングウェイやスタインベックとまでは行かないにしても、ノーマン・メイラーくらいの評価がされている、ノーベル賞もピュリツァー賞も受賞しているアメリカの大作家ベローは日本では不人気である。その結果、僕も読むのが今頃になった。アメリカの富豪なのに何か解らないものにせかされて、アフリカ奥地(多分スーダン南部くらいではないか)に進んで、ジャングルの民族に王様に祭り上げられるものの、王様の運命の酷さを知っている為、祖国へ戻っていく。「ロード・ジム」と「王になろうとした男」の間のようなお話で、ちょっとした文明批判的なところもあるが、そう激烈なものではない。語り手が自ら認めるように、一人称の語りに寄り道が多いのは良し悪し。為にちと長い。
プルタルコス
「プルターク英雄伝:ピュルロス」
★ギリシャの一国エピロスの王にして軍人。当時は王様でも実戦で戦うことが多いので、ただの将軍と区別しにくい。これは対比されていない。岩波文庫の訳は悪文で解りにくいので、余程集中して読まないと面白く感じられない。訳自体は潮文庫の方が良いが、重訳なのが難点のど飴。
「プルターク英雄伝:マリウス」
★ガイウス・マリウス(大マリウス)はローマの政治家・軍人で、後に現れる大物ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の親戚筋に当たる。毎度のことだが、地名と人名が色々出て来て解らなくなる。これも単独の紀伝。
「プルターク英雄伝:リューサンドロス/スッラ」
★★プルタルコスは清貧な人が大好きなので、人間としてはギリシャの軍人リューサンドロスを評価するが、戦略家としては道徳心に些かもとるスッラを評価している。上の二人よりは、対比されるこちらの二人の紀伝のほうが若干面白い。
吉植 庄亮
「開墾」
★★歌集。農業もやったことのない作者が土地の開墾からスタートし、それを歌にした。素朴ながら、農業に関する専門用語などルビを振って貰わない解らない単語が結構出て来る。 新墾(田)は “あらき(だ)” と読んだり、 “にいばり” と読んだり。 「万葉集」に僅かに収録されている以外、日本で初めての農業歌らしい。
赤木 健介
★★★★歌集となっているが、自由律・三行スタイルで、一つのタイトルの下に関連付けられて進むので、詩集という感じが強い。和歌であれば長歌という感じだ。真珠湾攻撃から1か月後の発表で、戦争についても歌われているが、距離を置いている感じで、間接的に反戦的な気分が醸成されている。ダニエル・ダニュー、レンブラントといった枢軸国以外の人名も出て来、気に入りました。
ポール・ギャリコ
「ハリスおばさんパリへ行く」
★★★★映画版と登場人物の性格造型が大分違う。明らかに大人向けに作り直された映画版は登場人物の性格と作品ムードに乖離があって些か作り過ぎ。人間はどこへ行っても同じであるという主題の下に素直に書かれたこちらの児童小説の方が寧ろ大人の身に沁みる。
アーサー・コナン・ドイル
「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」
★★★公式短編集第4弾。新潮社版で、8話全部収録。この直前のNHK-Eテレ「100分 de 名著」のホームズ編で取り上げられていた「ボール箱」が、事前に見ていたせいもあって一番面白い。軍事秘密めいたりスパイが絡む「ブルース・パティントン設計書」「最後の挨拶」は少し好みから外れる。「悪魔の足」「瀕死の探偵」は共に毒薬を絡めて、ちょっとした奇妙さを含んでいて、楽しい。
作者不詳
「将門記」
★★ “しょうもんき” と読む軍記物語。小学高学年の時に学習雑誌によって10世紀に相次いで乱を起こした藤原純友と平将門の名前を憶えた。後世に影響を残したのは、怪談のせいもあって、関東に新国を作った平将門。こうして軍記物語として書かれているのもそのせいかもしれない。一部散逸しているので、乱の発端が解りにくい。
「陸奥話記」
★★同じく軍記物語。“むつわき”と読み、東北で起きた前九年の役を扱う。役(これは昔の差別用語で、文化水準の低い部民が起こした乱という意味を持つ)を源頼義が鎮圧したことで、100年以上の後に子孫・源頼朝が幕府を開くに至る。
梅原 猛
「隠された十字架」
★★★★現在残されている法隆寺が白鳳時代あたりの再建であるという、執筆当時やっとほぼ確定した事実を基に、再建された謎を、子孫を全滅させられた聖徳太子の怨霊を鎮める為という仮説により説明する。これを読む限りかなり説得力がある。
フランソワーズ・サガン
「ある微笑」
★★★デビュー作「悲しみよこんにちは」のヴァリエーション。女子学生が恋人の叔父に恋するが、向こうは遊び半分にすぎないことを知って抱いた孤独を乗り越えようとする。厭世的でシニカルな女子学生は傷つきやすくもある。
「一年ののち」
★★複数のカップルをめぐる不倫群像劇で、「ジョゼと虎と魚たち」で名前を借用されたジョゼもの第一作。ジョゼは片方の夫の愛人だが、主役ではない。片方の夫がベルナールで、片方がエドワール。全く混乱するです。
「ブラームスはお好き」
★★★結構好みだった映画「さよならをもう一度」の原作。小説のヒロインの名前がポールで、男性なのかと暫く混乱する。映画ではポーラという女性と判りやすい名前になっていて、イングリッド・バーグマンが扮していた。例によって浮気(儒教的な不貞・不倫という言葉は嫌い)に流されていく男女の物語で、比較的話らしい話がある部類で、映画同様僕には割合好みである。サガンを読みながら浮気に抵抗感がある人が見受けられるが、どんな悪党でも結婚したらその人に誠実であれ、というのは儒教の観念が強かった父権主義時代の考え。未だにこの手がいるのである。現在の人間には幸福を求める権利がある。
ミシェル・トゥルニエ
「フライデーあるいは太平洋の冥界」
★★★「ロビンソン・クルーソー」の二次創作。お話の流れは似たようなものだが、事件発生を100年ずらしてアメリカ独立戦争の直前としている。何らかの意図があるはずだが、よく掴めず。地の文は経過を綴るが、ロビンソンが書く日誌ではサルトルのような「存在」が重要テーマである。興味深いが、極めて形而上学的である為イージーではない。
松村 栄子
「至高聖所」
★★★ “アパトーン” と読む。第106回(1991年下半期)芥が賞受賞作。地方の学園都市にやって来た別の地方出身の女子大生の行状。妙齢女性の孤独がテーマで、完全にピンと来るわけではないものの、心に残るものがある。一人称叙述ばかりだった芥川賞受賞作が何故かこの作品以降暫く地の文のある小説が受賞するようになる。まあ偶然だろうが。
藤原 智美
「運転士」
★★第107回(1992年上半期)芥川賞受賞作。戦後の日本文学の中心スタイルとなった感のある無機的なタイプの小説で、芥川賞もこの手を好んだ時代があるような気がするが、その手の代表格。地下鉄運転士の緊張感が幻想を交えて綴られ、それが読者を緊張させる。難解で、僕にはピンと来ない。
多和田 葉子
「犬婿入り」
★★★第108回(1992年下半期)芥川賞受賞作。やや大人向けの現在版 “御伽草子”。正体不明のアラフォー(当時はこんな言葉はありませんでした)女性塾講師が起こしかつ起こされる奇怪な経験を綴る。猥雑な可笑し味を楽しむべし。
𠮷目木 晴彦
「寂寥郊野」
★★★第109回(1993年上半期)芥川賞受賞作。戦争花嫁ものやアメリカで過ごす日本人女性の話は芥川賞を何度か受賞しているか、こちらは老齢になったかつての戦争花嫁が、鬱病かアルツハイマーを疑われる症状を出す。夫を中心とした家族の反応が丁寧に描かれているが、結果的に当時は殆ど知る者のなかったアルツハイマーらしいことが確定する。少々疑問なのは、アメリカを舞台に日本女性を鬱病ではなくアルツハイマーにする必然性である。
奥泉 光
「石の来歴」
★★★★第110回(1993年下半期)芥川賞受賞作。戦時中の洞穴での上等兵から聞かされた話が元で、復員後石の収集を趣味とした山梨県の書店店主が、その結果小学生の時に長男を何者かに殺され、十数年後学園闘争の結果逃げた次男を警察に殺される。最後の時空を超える事件の設定を使ってもう少し大衆的に書かれ長ければ、本屋大賞でも獲りそうな優れたフィクション性がある。洞穴が挟んで、外にいる兄弟は父親の声を聞いたように思い、中にいる主人公は少年二人の声を聞くのである。幻想的だが、僕は混乱する主人公の内面を綴っているのだと思う。
イーヴリン・ウォー
「ブライヅヘッドふたたび」
★★★不可知論者である主人公が大学で知り合った貴族青年とその一族と交流するうちキリスト教(カトリック)に帰依するようになる。というお話が、オーソドックスな回想スタイルで展開する。軍隊の幹部になった主人公が青年一家が残した邸宅を基地とした為、必然的に青年時代への頭が向かうという構成であります。僕が共産主義からカトリックに転向したグレアム・グリーンを思い出したように、近代英国文学好きならいけるかも。
徐 陵(撰)
「玉台新詠」
★★★6世紀中国南北朝時代に編纂された詩集。「文選」と時代がさほど変わらず、重複するものも少なくない。95%が恋愛の歌で、そのうちの8割は出征などで遠く離れた配偶者を想う妻もしくは夫の詩。完成度の高いものが多いが、余りに同工異曲で飽きる。
矢野 健太郎
「数学物語」
★★★★戦前、現在の中学生程度の少年に当てた数学の歴史について書かれたもの。さすがに文系の僕でも殆ど解る。学校では教えられない数字表記のトピックが楽しい。
中野 重治
「甲乙丙丁」
★★★中野重治本人を二つの人物に分け、前半の主人公と後半の主人公としている。どちらも資格を剥奪された共産党員だが、前者では女優原泉と結婚した中野の私生活を、後者では主に共産主義系小説家という公人としての中野という感じになっている。共産党内部のゴタゴタなど全く興味がないが、得るものがないわけではないし、割合読みやすい(長いので読む人は少ない筈)。宮本顕治と宮本百合子の夫婦も仮名で出て来る。共産党に関係ない人は実名で紹介される。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
「ガン病棟」
★★★★文字通りガン病棟を舞台とした群像劇。中心となる患者は政治犯の青年で、女医や看護婦に対する一種の慕情を政治犯としてのトラウマが邪魔をする様子が痛々しい。様々な癌患者の心理の奥にソ連体制の問題が揺曳するが、直球的に批判しなくても問題になるのがソ連なのだ。
イタロ・カルヴィーノ
「マルコ・ポーロの見えない都市」
★★★マルコ・ポーロとフビライ・ハンが街々について語り合うという形式で進行するが、飛行機など20世紀文明に属するものが出てくる。すると、メタフィクション的に劇中に暗示されるように、この二人はその名前を名乗る現在の浮浪者の類なのかもしれない。種々の都市に関する叙述に終始する、小説の枠を超えた異色作。一種の哲学小説だろうか?
宮部 みゆき
「クロスファイア」
★★★★スティーヴン・キング「ファイアスターター(炎の少女チャーリー)」に触発されて書かれた日本版で、こちらの女性は逃げるのではなく、悪党に立ち向かって行く。しかるに、異能者の悲哀に切なくなるものもありますよ。全く記憶にないが、映画版もあったんだってね。日本映画界はこの手をうまく映像化できないので、小説だけで終わりにした方が良いかもしれない。
中谷 宇吉郎
「雪」
★★★雪華の第一人者による雪に関する科学書。と言っても極めて専門的なところは半分くらいで、小さなことから積み重ねていくことの肝要さが理解できる良書という印象。現在の日本(の政財界)は、すぐに結果の出来るものばかりを求め、こうした基礎科学を馬鹿にするところがあり、それが却って将来の大きな損失となることを僕は憂う。1930年代に書かれたこの本にほぼ同じ事が書かれていたのが興味深い。 また、 池澤夏樹が「スティル・ライフ」で ”雪が降るのではなく我々が上昇する” といった表記をしていたが、 同じようなことを書いている。池澤はこの本を読んでいたかもしれない。
イスマイル・カダレ
「砕かれた四月」
★★★★アルバニア高地で実際に伝統として行われてきたという、家族間で交互に行われる復讐譚。しかし、家族同士であるから、休戦やら回避策があるとしても、そう何年もそれが続くとは思えない不思議。復讐をした者は大公に血の税を納めるという習慣もあり、バルカン的な野趣が満載と言うべし。その慣習に客人である夫婦が巻き込まれる。小説も色々あると思わされるが、この手の野趣溢れる厳しい作品は、映画では比較的目にする機会があるような気がする。
川口 松太郎
「明治一代女」
★★★★一人の芸妓をめぐる二人の男性の争奪戦の末の悲劇。男性はどちらも善良で、その原因を作ったライバル芸妓が憎たらしいという印象を以って終える。
ナサニエル・ホーソーン
「七破風の屋敷」
★★★有名作「緋文字」同様に清教徒的思想の残忍さに対する批判をベースに、ホラー小説風に150年以上も呪いに苛まれる一家の波乱を綴る。同時代の英国文学ほどくどくはないにしても、台詞が最小で冗長になりがちなところが目立つが、早く読み終えようとしない限り良い小説と思う。
マーク・トウェイン
「不思議な少年」
★★★★サタンが少年のなりをして現れ、自分の残虐性を非難する人間の残酷な人間性を揶揄し、人が戦争を始める精神を説明する。人間風刺編。世界が欧州化して新たな戦争に入るという予想は少し外れているが、基本的にはトウェインの言ったことは今でも通ずる。21世紀に入って大国の為政者は1930年頃まで退化した感じがする。
尾崎 翠
「こおろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」「歩行」
★★★★精神科医員幸田当八氏を狂言回しにする幻想三部作。最初のこおろぎ嬢=「歩行」の私=「アントン」のおばあちゃんの娘(小野町子)だろう。「アントン」で精神に問題を抱えているらしい詩人土田久作と動物学者の松木氏が対立し、幸田氏に失恋するのは「歩行」の私。別々に読んでも奇妙な味の小説として楽しめるが、連作としてまとめて読んだほうが狙いが明確になり面白いだろう。幻想小説の類だが、ユーモラスなところが良い。土田氏は小野町子と同様に作者を投影した人物と理解される。土田氏はその恋の対象ともなりうる小野町子の中にいる別人格かもしれない。
「第七官界彷徨」
★★★★短期間で著作から離れざるをえなかった作者には珍しい中編。「地下室アントンの一夜」と同じく小野町子というのがヒロインの名前であるから、上の三部作の原形と考えられる。尾野真千子もとい小野町子は作者自身を投影した人物で、実兄に相当する人物も出て来る。同じ借り家に住む兄弟従妹たちのドタバタが内容で、これらの人物を同じ名前もしくは別名で登場させ、もっと幻想的に展開したのが後年書かれた上の三作という感じ。彼女の小説は殆ど同じ人物がドッペルゲンガー的に別名で、あるいは二重人格的に登場する、ということが下の小説群を読むと益々判って来る。第七官界は恐らく第七+官界ではなく、第七官(第七感)+界。
「山村氏の鼻」「詩人の靴」「新嫉妬価値」「途上にて」
★★★最初の三篇は鼻(臭覚)、足(触覚)、耳(聴覚=ここでは恐らく幻聴)をテーマにした作品群で、「途上にて」にも食べ物の話が出て来る。いずれも幻想小説と言えるタイプの作品で、彼女が好きだったのではないかと想像するチェーホフが幻想小説を書けば、こんな感じになったのではないかと思う。
「アップルパイの午後」
★★ごく短い戯曲。兄と妹が電報の頼信紙をめぐって変な騒動を起こす。僕にはほぼ意味不明。全く関係ありませんが、中学生の時に「美季とアップルパイ」という少女コミックを読みました。
「花束」「初恋」
★★★「初恋」では、兄が盆踊りで妹に釘付けになり、後でその正体に気付く。「花束」も一期一会に終わった男女の恋未満の心情を綴っている。
「無風帯から」
★★★異母兄妹の近親相姦的愛慕関係を兄の一人称で綴る心理小説で、大正時代らしいナイーブな感じがする中編小説(デビュー作)の佳作。後の短編「初恋」と重なる部分あり。最後に妹が実母と再会してからが良い。この関係をユーモラスに発展させたのが「第七官界彷徨」であり、幻想的に分解していったのが最初の三部作という感じがする。
「杖と帽子の偏執者」「匂い」「捧ぐる言葉」
★★掌編小説なのかエッセイなのか。著者は映画好きで中でもチャップリンがご贔屓だったらしく、そのオマージュが最初の一編。「匂い」はゲーテやチェーホフなど海外の著名な作家たちにあたかも実際に宛てて書かれた手紙のような文章群。「捧げる言葉」は意味不明の幻想的散文。
本年も記事の第一弾は読書録。すっかりお馴染みになったと思われます。例によってリストの前に少し前口上をば。
このところ大分新しい作品が増え、“オカピーの爺は相変わらず変なのばかり読んでいる”という段階を抜けつつありますが、今一つコメントが増えませんねえ。読書録を始めた当初は物珍しくて多数(でもないですが)コメントをお寄せいただきましたが、最近は皆様、ROM(リード・オンリー・メンバー)化していらっしゃるようで、寂しい限り。
なぬっ、目にも触れていないって。そんなことを言って白内障が始まって毎日遅延の目薬をつけている老人をいじめないでください。緑内障も徐々に広がっていまして、手術が出来る白内障と違ってこちらはなるようにしかならんのですって(怖いです)。
さて、大古典はぐっと減りまして、東洋では日本の軍記物二作や漢籍「十八史略」「玉台新詠」。西洋では「トリスタンとイズー物語」「ゲーテとの対話」くらい。あとはホーソーン、マーク・トウェイン、ヴィリエ・ド・リラダンなどの中古典。後は現代文学の古いものを幾つか。
古典以外では、芥川賞読破シリーズを二回(計11作)行い、大分今世紀に近づいています。映画になった新・旧作も結構読みましたよ。詳細は下記のお楽しみ。
文学の合間に、哲学や科学など他ジャンルを選ぶようにしていますが、選ぶのに結構難儀しております。皆様、ご推奨のものがございましたら、是非お願い致します。
それでは、ご笑覧あれ!
***** 記 *****
瀧澤 美恵子
「ネコババのいる町で」
★★★★第102回(1989年下半期)芥川賞受賞作。記念すべき(?)平成初の受賞作。遂に平成に入りましたよ。今回読んだ受賞作6編の中で最も昭和的な、僕の好むタイプの作品でございます。 米国人と結婚した母に捨てられた “わたし” は、 叔母と祖母の下で育てられ、野良猫の面倒を見ているネコババと少しずつ代替わりするネコバンたちに可愛がられる。若くして結婚したヒロインは、祖母とまだ若い叔母の相次ぐ死にショックを受ける。ネコババと祖母が共に待合(多分あいまい宿)を経営したライバル同士という辺りの説明も面白い。
大岡 玲
「表層生活」
★★同じく第102回芥川賞受賞作。池澤夏樹の「スティル・ライフ」に似た香りがする。僕は古臭い人間なので、こういうビルの隙間を吹く風のような寒々しい人間もしくは人間関係を描くお話は苦手だ。コンピューター等を使ってサブリミナル効果の実験をする “計算機” なる理系人間を、ちょっとした犯罪的行為に加担する文系人間の “ぼく” が傍観者的に見つめる、その果て。世の中は計算通りに行かない、という顛末は良い。
辻原 登
「村の名前」
★★★第103回(1990年上半期)芥川賞受賞作。どの時期からは把握していないが、ある時期以降の日本の純文学は一人称叙述ばかりだ。一巻に6編から8編ほど収める芥川賞全集を読んで三人称叙述はいつも1編くらいしかない。神の視点を感じさせるという意味で三人称叙述を僕は好む。本作は数少ない三人称叙述である。中国に交渉に出た営業マンが、名前も陶淵明の「桃花源記」に由来するのかもしれない桃花源村という寒村で、時代を超越するかのような不思議な場面に次々と遭遇する。奇談の類だが、そこに主人公の故郷へのノスタルジーを溶け込ませたところに純文学らしさがある。
小川 洋子
「妊娠カレンダー」
★★★第104回(1990年下半期)芥川賞受賞作。読解力は衰えていないと思うが、集中力が衰え、未婚の妹が、同居する妊婦の姉の動向を記録する穏やかなお話と勘違いした。実は後半、妹が姉の子供(農薬に入っている汚染物質によりその染色体)が破壊されることを願うホラー小説に変じているのである。銓衡(選考)委員の言葉を読んで合点した。
辺見 庸
「自動起動装置」
★★★第105回(1991年上半期)芥川賞受賞作。SFめいたタイトルながら、報道関係の建物に眠る関係者を起こすバイトをする二人の学生が、ライバルとなる装置と言えるほどの禍々しいものではない対象に嫉妬するというだけのお話。幽霊の正体見たり枯れ尾花的な敵の見た目に二人ともがっかり、という展開ぶりがユーモラス。眠りを主題にした珍しい小説です。
荻野 アンナ
「背負い水」
★★★同じく第105回芥川賞受賞作。シングルファーザーになった彫刻家の父親のせいもあって、必要以上に恋愛に苦労する女性イラストレーターが迷走するお話。落語家もやるという作者らしい冗談もふんだんに出て来る変てこな恋愛小説。人は一生分の水を背負っていて、それを恋愛関係の期間などにも敷衍していく辺りが面白い。が、常連の方々は解っているように、僕は、恋愛映画も恋愛小説もよく理解できないタイプです。
ヤロスラフ・ハシェク
「兵士シュベイクの冒険」
★★白痴として知られるシュベイクが本人が馬鹿なことをすればするほど軍内に食い込んでいく。すると、本当に馬鹿なのは彼より上位の軍人たちで、ある意味彼は神のようにも見えて来る。最初のうちは楽しいが、後半はエピソード群の差が余り感じられなくなり、退屈する。
オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン
「未来のイヴ」
★★★★1880年代に書かれた哲学SF。エジソンが19世紀後半のフランケンシュタインに相当する立場で主人公として出て来る。反科学至上主義的な立場を取る作者が、科学を最大限に使って、逆説的に人間の魂を描く。
椎名 麟三
「深夜の酒宴」
★★★戦後の長屋ものの風情。語り手は作者を思わせる転向者の須巻という人物で、彼の目に映る人々のうらぶれた生活を切り取る。野間宏の「暗い絵」と違うのは、こちらは自分ではなく、人々が中心であるということ。まあゴーリキーの「どん底」を想像すれば遠くない。
「重き流れのなかに」
★★★上の続編。共に「重きの流れのなかに」という短編集に収められたものらしい。住居を変えたものの、須巻の目に映るのは相変わらず、うらぶれた人々ばかりである。
「美しき女」
★★★★主人公の鉄道員は作者自身を投影しているように感じるが、作者程のインテリ性はない。共産主義者疑惑で留置所に放り込まれたりもするが、本人は共産主義を全く知らない。数名の女性と夫婦関係を持つなどするが、折に触れて彼女たちが彼が理想とする “美しい女” に見えたり、或いは、彼女たちの背後に美しい女が見えたりする。どの女性からも馬鹿にされながらも、愚直な彼には神性が宿っている。その意味でドストエフスキーだ。
エラリー・クイーン
「中途の家」
★★★警部の息子エラリー・クイーンもの。国名シリーズと違って、殺害の趣向そのものは平凡。被害者そのものに面白い細工があるが、探偵役クイーンの論理が物凄いことになっている。しかし、現在の一般ファンにはくどい。そういう点ではドルリー・レインもののほうが一般的な読書好きに向いている気がする。
「ギリシャ棺の謎」
★★★★国名シリーズの最高傑作とも言われる。探偵役エラリー・クイーンが初めて解決した事件で、少々失敗もする。「中途の家」同様、論理が微に入り細を穿つ感じで、僕にはヘビーすぎるが、犯行自体に謎が多い分楽しめる。個人的には昨年読んだ「エジプト十字架の謎」の外連味のほうを買う。
曾 先之(編)
「十八史略」
★★★「史記」を最古とする、南宋までの中国の正史書をダイジェストにしたもの。わが高校時代漢文授業の散文はほぼ「論語」と「十八史略」の序盤に占められた。重要なところは殆ど省略なく、そうでないと部分はざっと記される。正史を全部読むのは大変なので、大変便利。江戸時代以降日本人はこの書をよく学んだらしく、恐らく世界史教科書における宋までの中国史は本作の扱いを参考にしているのではないか。
ジョセフ・ベディエ(編)
「トリスタンとイズー物語」
★★★13世紀ケルトのロマンスで、色々な書き手が韻文なり散文なりで書き記したが、多く散逸した為、近代になって残りの部分からフランスのベディエが再構成した。解説者等が述べているように、この編では、媚薬は王族の二人を結び付ける原因ではなく、恋愛心理の象徴であると理解できる。面白く読める。
浅田 次郎
「鉄道員(ぽっぽや)」
★★★★★大人向けお伽話8編を収めた短編集。大きく3タイプの物語群に分けられる、そのうち5編が生霊・死霊が絡むファンタジー仕立てだが、実は殆どに作者の経験や自伝的要素が含まれると言う。タイトルとなった最初の一編は映画にもなった名編で、自伝要素のある「角筈にて」は父子の関係が逆。「うらぼんえ」には祖父の霊が姻族に苦しめられる孫娘の前に現れる。中国の出稼ぎ娘の悲劇を扱って落涙を禁じ得ない「ラブ・レター」も霊は現れないが、偽装結婚の夫は供えられた花から声を聞く。「伽羅」は生霊か。最後の「オリヲン座からの招待状」にも当日死んだ映画館主が絡んでいて、最後を締めるにふさわしい、誠に良い味の佳作。下層階級も上流階級も出て来るが、いずれも自分の人生を誇れない人々が主人公。彼らに注ぐ優しさが良い。たまにはこういう解りやすい大衆小説も良いです。
恩田 陸
「夜のピクニック」
★★★★映画版は見ていないが、やはりこの小説には及ばないのではないか。異母兄妹が同じクラスになったことで生まれた精神的齟齬を、丸一日かけた歩行大会によって、解消していく。それも意図のあり、あるいは意図のない他者の介在によって。ミステリー的な面白さもあるが、ヒロインが感じた謎は結構早々に分ったので★一つ引きました。しかし、★5つの価値がある。
俵 万智
「サラダ記念日」
★★★★★口語体歌集だが、実は五七調を守っている。図書館に二つ置かれている蔵書がいつも借りられて読めないので、【現代短歌全集】というのを借りて読む。これはワクワクしますな。爺が読んでも胸を打たれるのだから、妙齢の女性たちに読まれ、通常の歌集の千倍くらい売れたのも理解できる。早大在籍時代に書かれたもので、当時若手だったサザンオールスターズも二回登場する。
ジョン・アーヴィング
「ホテル・ニューハンプシャー」
★★★40年近く間に観た映画の軽いイメージとは全然違う。お笑い要素はあるが、輪姦、同性愛、近親相姦、家族の死、テロ、内向性と、実に重い。少なからぬ奇妙な死と、性愛が氾濫する。つまり、本作は生と死の寓話なのである。
ポール・オースター
「スモーク」
★★★★映画の脚本。一種の人情劇。映画を再鑑賞したばかりなので、かなりピンと来る。
「ブルー・イン・ザ・フェイス」
★★★映画の脚本。「スモーク」と登場人物が共通するところがあるが、作者としては続編ではないとのこと。再鑑賞していないせいもあるが、読んで楽しむには「スモーク」に分がある。映画にはマドンナも出ていました。
稲葉 京子
「槐の傘」
★★歌集。 “えんじゅのかさ”。 心情を歌うという点で共通するものがあるが、俵万智の後に読むと難しく感じますなあ。古典的だが、彼女とは対照的に破調が案外多い。
ヨハン・P・エッカーマン
「ゲーテとの対話」
★★★★ゲーテ晩年の10年くらいによく訪問した若者によるゲーテの発言集のようなものである。僕の芸術観は、トルストイとは余り合わないが、ゲーテとは共通点が多い。メッセージ性(ゲーテは道徳的ねらいと言っている)と演出に関する関係など全く同じと言って良いくらい。色彩論に関するニュートンへの批判は科学的にはゲーテの間違いで、その頑固ぶりに少々苦笑させられる。
城山 三郎
「総会屋錦城」
★★★近年、短編集はともかく短編が直木賞を受賞していない(1994年が最後)が、これは直木賞を受賞した短編。この作品の題名を冠した新潮文庫短編集から読んだ。こういう社会小説は僕の好みからは遠いが、妻や娘との関係には味がある。
「輸出」
★★同短編集所収の第2編。海外赴任をめぐる会社員残酷物語。
伊吹 有喜
「今はちょっと、ついてないだけ」
★★★★かつて人気スターに祭り上げられて今は引退同然の青年写真家と、彼を狂言回しにする連作短編集。映画版に解りにくいところがあったので、読んでみた。映画は、一部省略した挿話があるが、大体は原作通りに作られていた。しかし、写真家が主人公である第一話の一部詳細を全く説明することなしに一気に後半で出した為に解りにくくなっていたのだ。彼の大学時代の友人の出し方も映画は解りにくいし、フラッシュバックの女性の正体も解りにくい。小説は特に最初の三話が非常に良い。自分の人生は巧く行っていないと思われる30代から50代くらいの人は元気づけられるかもしれないヒューマンな小説(群)である。
ソール・ベロー
「雨の王ヘンダソン」
★★★本国ではヘミングウェイやスタインベックとまでは行かないにしても、ノーマン・メイラーくらいの評価がされている、ノーベル賞もピュリツァー賞も受賞しているアメリカの大作家ベローは日本では不人気である。その結果、僕も読むのが今頃になった。アメリカの富豪なのに何か解らないものにせかされて、アフリカ奥地(多分スーダン南部くらいではないか)に進んで、ジャングルの民族に王様に祭り上げられるものの、王様の運命の酷さを知っている為、祖国へ戻っていく。「ロード・ジム」と「王になろうとした男」の間のようなお話で、ちょっとした文明批判的なところもあるが、そう激烈なものではない。語り手が自ら認めるように、一人称の語りに寄り道が多いのは良し悪し。為にちと長い。
プルタルコス
「プルターク英雄伝:ピュルロス」
★ギリシャの一国エピロスの王にして軍人。当時は王様でも実戦で戦うことが多いので、ただの将軍と区別しにくい。これは対比されていない。岩波文庫の訳は悪文で解りにくいので、余程集中して読まないと面白く感じられない。訳自体は潮文庫の方が良いが、重訳なのが難点のど飴。
「プルターク英雄伝:マリウス」
★ガイウス・マリウス(大マリウス)はローマの政治家・軍人で、後に現れる大物ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の親戚筋に当たる。毎度のことだが、地名と人名が色々出て来て解らなくなる。これも単独の紀伝。
「プルターク英雄伝:リューサンドロス/スッラ」
★★プルタルコスは清貧な人が大好きなので、人間としてはギリシャの軍人リューサンドロスを評価するが、戦略家としては道徳心に些かもとるスッラを評価している。上の二人よりは、対比されるこちらの二人の紀伝のほうが若干面白い。
吉植 庄亮
「開墾」
★★歌集。農業もやったことのない作者が土地の開墾からスタートし、それを歌にした。素朴ながら、農業に関する専門用語などルビを振って貰わない解らない単語が結構出て来る。 新墾(田)は “あらき(だ)” と読んだり、 “にいばり” と読んだり。 「万葉集」に僅かに収録されている以外、日本で初めての農業歌らしい。
赤木 健介
★★★★歌集となっているが、自由律・三行スタイルで、一つのタイトルの下に関連付けられて進むので、詩集という感じが強い。和歌であれば長歌という感じだ。真珠湾攻撃から1か月後の発表で、戦争についても歌われているが、距離を置いている感じで、間接的に反戦的な気分が醸成されている。ダニエル・ダニュー、レンブラントといった枢軸国以外の人名も出て来、気に入りました。
ポール・ギャリコ
「ハリスおばさんパリへ行く」
★★★★映画版と登場人物の性格造型が大分違う。明らかに大人向けに作り直された映画版は登場人物の性格と作品ムードに乖離があって些か作り過ぎ。人間はどこへ行っても同じであるという主題の下に素直に書かれたこちらの児童小説の方が寧ろ大人の身に沁みる。
アーサー・コナン・ドイル
「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」
★★★公式短編集第4弾。新潮社版で、8話全部収録。この直前のNHK-Eテレ「100分 de 名著」のホームズ編で取り上げられていた「ボール箱」が、事前に見ていたせいもあって一番面白い。軍事秘密めいたりスパイが絡む「ブルース・パティントン設計書」「最後の挨拶」は少し好みから外れる。「悪魔の足」「瀕死の探偵」は共に毒薬を絡めて、ちょっとした奇妙さを含んでいて、楽しい。
作者不詳
「将門記」
★★ “しょうもんき” と読む軍記物語。小学高学年の時に学習雑誌によって10世紀に相次いで乱を起こした藤原純友と平将門の名前を憶えた。後世に影響を残したのは、怪談のせいもあって、関東に新国を作った平将門。こうして軍記物語として書かれているのもそのせいかもしれない。一部散逸しているので、乱の発端が解りにくい。
「陸奥話記」
★★同じく軍記物語。“むつわき”と読み、東北で起きた前九年の役を扱う。役(これは昔の差別用語で、文化水準の低い部民が起こした乱という意味を持つ)を源頼義が鎮圧したことで、100年以上の後に子孫・源頼朝が幕府を開くに至る。
梅原 猛
「隠された十字架」
★★★★現在残されている法隆寺が白鳳時代あたりの再建であるという、執筆当時やっとほぼ確定した事実を基に、再建された謎を、子孫を全滅させられた聖徳太子の怨霊を鎮める為という仮説により説明する。これを読む限りかなり説得力がある。
フランソワーズ・サガン
「ある微笑」
★★★デビュー作「悲しみよこんにちは」のヴァリエーション。女子学生が恋人の叔父に恋するが、向こうは遊び半分にすぎないことを知って抱いた孤独を乗り越えようとする。厭世的でシニカルな女子学生は傷つきやすくもある。
「一年ののち」
★★複数のカップルをめぐる不倫群像劇で、「ジョゼと虎と魚たち」で名前を借用されたジョゼもの第一作。ジョゼは片方の夫の愛人だが、主役ではない。片方の夫がベルナールで、片方がエドワール。全く混乱するです。
「ブラームスはお好き」
★★★結構好みだった映画「さよならをもう一度」の原作。小説のヒロインの名前がポールで、男性なのかと暫く混乱する。映画ではポーラという女性と判りやすい名前になっていて、イングリッド・バーグマンが扮していた。例によって浮気(儒教的な不貞・不倫という言葉は嫌い)に流されていく男女の物語で、比較的話らしい話がある部類で、映画同様僕には割合好みである。サガンを読みながら浮気に抵抗感がある人が見受けられるが、どんな悪党でも結婚したらその人に誠実であれ、というのは儒教の観念が強かった父権主義時代の考え。未だにこの手がいるのである。現在の人間には幸福を求める権利がある。
ミシェル・トゥルニエ
「フライデーあるいは太平洋の冥界」
★★★「ロビンソン・クルーソー」の二次創作。お話の流れは似たようなものだが、事件発生を100年ずらしてアメリカ独立戦争の直前としている。何らかの意図があるはずだが、よく掴めず。地の文は経過を綴るが、ロビンソンが書く日誌ではサルトルのような「存在」が重要テーマである。興味深いが、極めて形而上学的である為イージーではない。
松村 栄子
「至高聖所」
★★★ “アパトーン” と読む。第106回(1991年下半期)芥が賞受賞作。地方の学園都市にやって来た別の地方出身の女子大生の行状。妙齢女性の孤独がテーマで、完全にピンと来るわけではないものの、心に残るものがある。一人称叙述ばかりだった芥川賞受賞作が何故かこの作品以降暫く地の文のある小説が受賞するようになる。まあ偶然だろうが。
藤原 智美
「運転士」
★★第107回(1992年上半期)芥川賞受賞作。戦後の日本文学の中心スタイルとなった感のある無機的なタイプの小説で、芥川賞もこの手を好んだ時代があるような気がするが、その手の代表格。地下鉄運転士の緊張感が幻想を交えて綴られ、それが読者を緊張させる。難解で、僕にはピンと来ない。
多和田 葉子
「犬婿入り」
★★★第108回(1992年下半期)芥川賞受賞作。やや大人向けの現在版 “御伽草子”。正体不明のアラフォー(当時はこんな言葉はありませんでした)女性塾講師が起こしかつ起こされる奇怪な経験を綴る。猥雑な可笑し味を楽しむべし。
𠮷目木 晴彦
「寂寥郊野」
★★★第109回(1993年上半期)芥川賞受賞作。戦争花嫁ものやアメリカで過ごす日本人女性の話は芥川賞を何度か受賞しているか、こちらは老齢になったかつての戦争花嫁が、鬱病かアルツハイマーを疑われる症状を出す。夫を中心とした家族の反応が丁寧に描かれているが、結果的に当時は殆ど知る者のなかったアルツハイマーらしいことが確定する。少々疑問なのは、アメリカを舞台に日本女性を鬱病ではなくアルツハイマーにする必然性である。
奥泉 光
「石の来歴」
★★★★第110回(1993年下半期)芥川賞受賞作。戦時中の洞穴での上等兵から聞かされた話が元で、復員後石の収集を趣味とした山梨県の書店店主が、その結果小学生の時に長男を何者かに殺され、十数年後学園闘争の結果逃げた次男を警察に殺される。最後の時空を超える事件の設定を使ってもう少し大衆的に書かれ長ければ、本屋大賞でも獲りそうな優れたフィクション性がある。洞穴が挟んで、外にいる兄弟は父親の声を聞いたように思い、中にいる主人公は少年二人の声を聞くのである。幻想的だが、僕は混乱する主人公の内面を綴っているのだと思う。
イーヴリン・ウォー
「ブライヅヘッドふたたび」
★★★不可知論者である主人公が大学で知り合った貴族青年とその一族と交流するうちキリスト教(カトリック)に帰依するようになる。というお話が、オーソドックスな回想スタイルで展開する。軍隊の幹部になった主人公が青年一家が残した邸宅を基地とした為、必然的に青年時代への頭が向かうという構成であります。僕が共産主義からカトリックに転向したグレアム・グリーンを思い出したように、近代英国文学好きならいけるかも。
徐 陵(撰)
「玉台新詠」
★★★6世紀中国南北朝時代に編纂された詩集。「文選」と時代がさほど変わらず、重複するものも少なくない。95%が恋愛の歌で、そのうちの8割は出征などで遠く離れた配偶者を想う妻もしくは夫の詩。完成度の高いものが多いが、余りに同工異曲で飽きる。
矢野 健太郎
「数学物語」
★★★★戦前、現在の中学生程度の少年に当てた数学の歴史について書かれたもの。さすがに文系の僕でも殆ど解る。学校では教えられない数字表記のトピックが楽しい。
中野 重治
「甲乙丙丁」
★★★中野重治本人を二つの人物に分け、前半の主人公と後半の主人公としている。どちらも資格を剥奪された共産党員だが、前者では女優原泉と結婚した中野の私生活を、後者では主に共産主義系小説家という公人としての中野という感じになっている。共産党内部のゴタゴタなど全く興味がないが、得るものがないわけではないし、割合読みやすい(長いので読む人は少ない筈)。宮本顕治と宮本百合子の夫婦も仮名で出て来る。共産党に関係ない人は実名で紹介される。
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
「ガン病棟」
★★★★文字通りガン病棟を舞台とした群像劇。中心となる患者は政治犯の青年で、女医や看護婦に対する一種の慕情を政治犯としてのトラウマが邪魔をする様子が痛々しい。様々な癌患者の心理の奥にソ連体制の問題が揺曳するが、直球的に批判しなくても問題になるのがソ連なのだ。
イタロ・カルヴィーノ
「マルコ・ポーロの見えない都市」
★★★マルコ・ポーロとフビライ・ハンが街々について語り合うという形式で進行するが、飛行機など20世紀文明に属するものが出てくる。すると、メタフィクション的に劇中に暗示されるように、この二人はその名前を名乗る現在の浮浪者の類なのかもしれない。種々の都市に関する叙述に終始する、小説の枠を超えた異色作。一種の哲学小説だろうか?
宮部 みゆき
「クロスファイア」
★★★★スティーヴン・キング「ファイアスターター(炎の少女チャーリー)」に触発されて書かれた日本版で、こちらの女性は逃げるのではなく、悪党に立ち向かって行く。しかるに、異能者の悲哀に切なくなるものもありますよ。全く記憶にないが、映画版もあったんだってね。日本映画界はこの手をうまく映像化できないので、小説だけで終わりにした方が良いかもしれない。
中谷 宇吉郎
「雪」
★★★雪華の第一人者による雪に関する科学書。と言っても極めて専門的なところは半分くらいで、小さなことから積み重ねていくことの肝要さが理解できる良書という印象。現在の日本(の政財界)は、すぐに結果の出来るものばかりを求め、こうした基礎科学を馬鹿にするところがあり、それが却って将来の大きな損失となることを僕は憂う。1930年代に書かれたこの本にほぼ同じ事が書かれていたのが興味深い。 また、 池澤夏樹が「スティル・ライフ」で ”雪が降るのではなく我々が上昇する” といった表記をしていたが、 同じようなことを書いている。池澤はこの本を読んでいたかもしれない。
イスマイル・カダレ
「砕かれた四月」
★★★★アルバニア高地で実際に伝統として行われてきたという、家族間で交互に行われる復讐譚。しかし、家族同士であるから、休戦やら回避策があるとしても、そう何年もそれが続くとは思えない不思議。復讐をした者は大公に血の税を納めるという習慣もあり、バルカン的な野趣が満載と言うべし。その慣習に客人である夫婦が巻き込まれる。小説も色々あると思わされるが、この手の野趣溢れる厳しい作品は、映画では比較的目にする機会があるような気がする。
川口 松太郎
「明治一代女」
★★★★一人の芸妓をめぐる二人の男性の争奪戦の末の悲劇。男性はどちらも善良で、その原因を作ったライバル芸妓が憎たらしいという印象を以って終える。
ナサニエル・ホーソーン
「七破風の屋敷」
★★★有名作「緋文字」同様に清教徒的思想の残忍さに対する批判をベースに、ホラー小説風に150年以上も呪いに苛まれる一家の波乱を綴る。同時代の英国文学ほどくどくはないにしても、台詞が最小で冗長になりがちなところが目立つが、早く読み終えようとしない限り良い小説と思う。
マーク・トウェイン
「不思議な少年」
★★★★サタンが少年のなりをして現れ、自分の残虐性を非難する人間の残酷な人間性を揶揄し、人が戦争を始める精神を説明する。人間風刺編。世界が欧州化して新たな戦争に入るという予想は少し外れているが、基本的にはトウェインの言ったことは今でも通ずる。21世紀に入って大国の為政者は1930年頃まで退化した感じがする。
尾崎 翠
「こおろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」「歩行」
★★★★精神科医員幸田当八氏を狂言回しにする幻想三部作。最初のこおろぎ嬢=「歩行」の私=「アントン」のおばあちゃんの娘(小野町子)だろう。「アントン」で精神に問題を抱えているらしい詩人土田久作と動物学者の松木氏が対立し、幸田氏に失恋するのは「歩行」の私。別々に読んでも奇妙な味の小説として楽しめるが、連作としてまとめて読んだほうが狙いが明確になり面白いだろう。幻想小説の類だが、ユーモラスなところが良い。土田氏は小野町子と同様に作者を投影した人物と理解される。土田氏はその恋の対象ともなりうる小野町子の中にいる別人格かもしれない。
「第七官界彷徨」
★★★★短期間で著作から離れざるをえなかった作者には珍しい中編。「地下室アントンの一夜」と同じく小野町子というのがヒロインの名前であるから、上の三部作の原形と考えられる。尾野真千子もとい小野町子は作者自身を投影した人物で、実兄に相当する人物も出て来る。同じ借り家に住む兄弟従妹たちのドタバタが内容で、これらの人物を同じ名前もしくは別名で登場させ、もっと幻想的に展開したのが後年書かれた上の三作という感じ。彼女の小説は殆ど同じ人物がドッペルゲンガー的に別名で、あるいは二重人格的に登場する、ということが下の小説群を読むと益々判って来る。第七官界は恐らく第七+官界ではなく、第七官(第七感)+界。
「山村氏の鼻」「詩人の靴」「新嫉妬価値」「途上にて」
★★★最初の三篇は鼻(臭覚)、足(触覚)、耳(聴覚=ここでは恐らく幻聴)をテーマにした作品群で、「途上にて」にも食べ物の話が出て来る。いずれも幻想小説と言えるタイプの作品で、彼女が好きだったのではないかと想像するチェーホフが幻想小説を書けば、こんな感じになったのではないかと思う。
「アップルパイの午後」
★★ごく短い戯曲。兄と妹が電報の頼信紙をめぐって変な騒動を起こす。僕にはほぼ意味不明。全く関係ありませんが、中学生の時に「美季とアップルパイ」という少女コミックを読みました。
「花束」「初恋」
★★★「初恋」では、兄が盆踊りで妹に釘付けになり、後でその正体に気付く。「花束」も一期一会に終わった男女の恋未満の心情を綴っている。
「無風帯から」
★★★異母兄妹の近親相姦的愛慕関係を兄の一人称で綴る心理小説で、大正時代らしいナイーブな感じがする中編小説(デビュー作)の佳作。後の短編「初恋」と重なる部分あり。最後に妹が実母と再会してからが良い。この関係をユーモラスに発展させたのが「第七官界彷徨」であり、幻想的に分解していったのが最初の三部作という感じがする。
「杖と帽子の偏執者」「匂い」「捧ぐる言葉」
★★掌編小説なのかエッセイなのか。著者は映画好きで中でもチャップリンがご贔屓だったらしく、そのオマージュが最初の一編。「匂い」はゲーテやチェーホフなど海外の著名な作家たちにあたかも実際に宛てて書かれた手紙のような文章群。「捧げる言葉」は意味不明の幻想的散文。
この記事へのコメント
「読書録2023年下半期」の中で紹介されている、私の大好きな作家のひとり、恩田陸さんの「夜のピクニック」について、コメントしたいと思います。
恩田陸さんの作品には、以前から学園物が多いのですが、いつになく爽やかな作品で驚きました。
「六番目の小夜子」や「三月は深き紅の淵を」や「蛇行する川のほとり」にあるような沈み込むような影は、この作品には感じられません。
それもそのはず、登場人物たちは朝から晩までひたすら歩いているだけなのです。
特に何か大きな出来事が起こるわけでもなく、ひたすら歩いているだけ。
それなのに、その情景が全く単調にならず、それどころか、登場人物たちの会話を通して垣間見えてくる人間関係の揺れだけで、ここまで惹きつけてしまうというのは凄いですね。
高校生活3年目になって、ようやくその良さが実感できてきた行事。
参加当日の朝の高揚感と緊張感。
ひたすら歩き続けるという非日常的な状態。
夜という一種独特な雰囲気になりやすい状況に加え、疲れとは裏腹に、徐々にランナーズ・ハイのような状態になっていく彼らの、いつもよりも一歩踏み込んだ思考と会話。
歩き疲れて頭が働かなくなり、どんな作為的な表情も作れなくなったところに、唐突にぶつけられる言葉。
そこでのやり取りは、読んでいるこちらまでドキドキしてしまうほど。
本当にただ歩いているだけなのに、なぜこれほど特別なのでしょうね。
高校3年生というこの時期にしか出来ないこと、この時期だからこそ見えてくるもの。
貴子や融、他の登場人物たちが、それぞれに見ている情景が、まるで自分自身の高校時代をそのまま思い起こさせてくれるようで、とても懐かしかったですし、高校3年生というこの時期に、こういう行事に参加できる彼らがしみじみ羨ましくなってしまいます。
「黒と茶の幻想」や「クレオパトラの夢」や「まひるの月を追いかけて」などで「旅」を描いてきた恩田陸さんですが、この歩行祭という行事もまた、一つの「旅」なんでしょうね。
長い人生を生きていくのと同じように、時々立ち止まったり休んだりしながらも、進み続ける旅。
もちろん、この歩行祭によって全てがに丸く収まったわけではなく、むしろ問題が顕在化した分、乗り越えなくてはならないことが増えているのですが、それでもきっと乗り越えられるという、明るい強さが根底に感じられるのがとても良かったと思います。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
新年早々の読書録には初日からコメントは必ず来ていたのに、今年はゼロ。
やっとコメントが届いて安心しました。
有難うございました<(_ _)>
>恩田陸さんの作品
50年くらい前の中学時代駆って貰った百科事典【ジャポニカ】の索引に網羅されている書籍のうち読めるものは極力読むという誓いを立てて、数十年のブランクがありましたが、ここへ来てほぼ読破したという感じになり、漸く現在の作品を手にすることが出来るようになりました。
ということで、本作が初恩田です(笑)
映画化されるのも解る快作と思いますが、その実、映画化は難しそう。
しかし、観てみたいと思っています。17年くらい前に観るチャンスがありましたが、その時は無視しました^^;
>貴子や融、他の登場人物たちが、それぞれに見ている情景が、まるで自分自身の高校時代をそのまま思い起こさせてくれるよう
>高校3年生というこの時期に、こういう行事に参加できる彼ら
毎年あった約10kmの校内マラソンと、ぞろぞろ列を作ってクラスメートで喋りながら京都を歩いた修学旅行を合わせたような感じで、僕もその頃を懐かしく思い出しながら読みました。
あの頃は今のように外国人でごった返すなんてことのない時代でした。
本年も宜しくお願いします。
えぇ…さてさて、コメントが少ないとお嘆きのようですが、私が僭越ながら思いますにコメントのしようが分からない方が多いのではないかと…私もその1人なのですが。
私の場合はお勧めした本をちゃんと読んでくださっているのでそれに関して書くことは出来るのですが、なにぶん冊数が多いですし馴染みのない難しそうな古典(殆ど誰も読まないような) が結構あると引いてしまいませんかね?
今回はお薦めした尾崎翠にはあえて触れずに思いつくままに何冊かお薦めさせてください。 既読なら「失礼仕った」ということでスルー願います。
☆ 浅田次郎からの連想で 志水辰夫 「いまひとたびの」
☆ 今読んでる最中ですが面白いので ジョン・サザーランド
「ヒースクリフは殺人犯か?」
「ジェイン・エアは幸せになれるか?」
☆ 20数年前にハードカバーで出た時に読んで面白かったのですが、コロナ禍で再注目されたのかどうかは分かりませんが、文庫化されて百数十万部売れているらしいです。 ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」
これ、題名だけは記憶にありますね、「りぼん」だったでしょうか?
多和田 葉子は、徐京植 との往復書簡『ソウル―ベルリン 玉突き書簡―境界線上の対話』というのが、私が岩波の『世界』を定期購読するきっかけになりました。挿絵もよかったのですよ。徐京植、昨年亡くなられましたね。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
>私もその1人なのですが。
そんなことはないと思います^^
>馴染みのない難しそうな古典(殆ど誰も読まないような) が結構あると引いてしまいませんかね?
それは事実です(笑)が、訪問者の為に読む本を変えるのも本末転倒なので、これに関しては仕方がないかなあ。
しかし、誰も読まないような古典は相当減りましたよ。読書録を始めた頃は95%くらいそれでしたもの(笑)
しかし、おかげさまで、今日4件の書き込みがあり、すっきりしました。
かきこみかきこみ、お返し申す、の心境です(笑)
>尾崎翠
ちと掴みきれないところがあったので、いつでも良いですから、モカさんの分析をお願いします。
因みに、我が母校(高校)の学園祭は翠巒祭と言いまして、【翠】は親しみのある漢字です。
>志水辰夫 「いまひとたびの」
>ジョン・サザーランド 「ヒースクリフは殺人犯か?」
面白そうです。
図書館にありました。
>「ジェイン・エアは幸せになれるか?」
こちらはありませんでした_| ̄|○
>ジャレド・ダイアモンド 「銃・病原菌・鉄」
去年の文化欄でこのタイトルは読みましたぞ。
図書館にありました。何だか解りませんが、面白そう。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
>>「美季とアップルパイ」
>これ、題名だけは記憶にありますね、「りぼん」だったでしょうか?
正解です。
姉が購読していた「りぼん」は、鬼の居ぬ間に、こっそり読んでいました(笑)
>多和田 葉子は、徐京植 との往復書簡『ソウル―ベルリン 玉突き書簡―境界線上の対話』
図書館にありました。読んでみようかな。
彼女は、僕と同世代で、同じ頃ロシア語を学んでいたようです。僕が早稲田を選べば一緒に学んでいたかも。
>徐京植
東京新聞の社会面では訃報がなかったような気がするなあ。
文化欄にはあったかもしれません。
合掌!
「読書録2023年下半期」で紹介されている本の中の、ポール・ギャリコの「ハリスおばさんパリへ行く」について、コメントしたいと思います。
ポール・ギャリコの本は、「ジェニィ」「ポセイドン」などをかつて読みましたね。
この"ハリスおばさんシリーズ"第1弾の「ハリスおばさんパリへ行く」は、コクニー訛りの庶民の中の庶民の、通いの女中をしているおばさんが、最高級のドレスを手に入れるという、夢のようなお話ですね。
外国に行くのも初めてなら、衣料品に5ポンド以上使うのも初めて。
それがフランスのディオール本店で、350ポンドから450ポンドもするドレスを買おうとするのですから、痛快です。
日本では、シャネルやディオールといえば誰でも知っているブランドですが、海外ではそれを手に入れることのできる階級の人間以外は、あまり知らないと聞いたことがあります。
実際、バターフィルドおばさんは、ディオールのことを知らないようです。これは日本人が感じる以上の大事件なのかもしれませんね。
冒険物語という言葉が相応しいのかも知れません。
もちろん、見た目だけで通いの女中さんだと分ってしまうハリスおばさんですから、一筋縄ではいきません。
ディオールの店に辿り着いても、マダム・コルベールの門前払いに遭いますし、ようやくサロンに入れてもらっても、隣の席の夫人が騒ぎ出す始末。
しかし、暖かい人柄と明るく前向きな姿勢が魅力のハリスおばさん。
知らず知らずのうちに、会う人会う人を皆幸せにしてしまうんですね。
そして、ハリスおばさんと友達になった人々には、それぞれに幸せが訪れることになります。
人のために頑張ることが、逆に自分のために頑張ることに繋がっているんですね。
最後はちょっぴりほろ苦い結末が待っているのですが、それでも、やはりドレスは大切な宝物。
デザイナーはもちろんお針子さんや裁断師、その他ディオールの店にいる全ての人の暖かい愛情がこもっているんですね。
ハリスおばさんの明るく前向きな姿勢のおかげで、とても爽やかな読後感に浸れる作品ですね。
>マダム・コルベールの門前払いに遭います
マダム・コルベールは、映画版ではぐっと悪役でした。
>暖かい人柄と明るく前向きな姿勢が魅力のハリスおばさん。
映画版と違って、小説のハリスおばさんはそこはかとなく人を幸せにするのが良かった。映画版が能動的にしたのは設計ミスと思います。
☆尾崎翠
思い返せば、お勧めはしていませんでしたね。
去年の読書録で加藤幸子を取り上げておられて「尾崎翠の感覚世界」を書いた人だという話になったのでした。
でもちゃんと読んでいただき高評価までしてもらっているのに言い難いのですが、尾崎翠は左脳人間を自認されている男性にはちと掴み辛いと思います。
とりあえずは松岡正剛の千夜千冊の424夜で尾崎翠全集を取り上げていますのでそちらをご参照ください。
私の知り合いで尾崎翠が好きな女性はそこそこいますが男性はどうなんだろう…
今度夫に読ませてみましょうか…
☆ポール・オースター
「ムーンパレス」読まれましたか? 本が詰まった段ボール箱を家具にして片っ端から読んでいくエピソードが面白かったです。 未読なら本を読破してしまう前半だけでも是非どうぞ。(後半の冒険より前半が面白い)
>左脳人間を自認されている男性
2003年くらいから、テレビ朝日系列で5回ほどIQを測る番組がありまして、この番組の判定によると、僕は学校の教師か弁護士が向いている左脳人間と出てきました。
何しろ、映像記憶問題はいつも5問中3問しかできず、論理問題はいつも満点でしたからね。
>松岡正剛の千夜千冊の424夜
植物感覚か。確かに植物の話はよく出てきますが^^
少女漫画については惜しい。3年程姉の雑誌を通して密かに少女コミックを読んだことがあるのですが、出て来た女性作家には触れていません!
彼女の大学時代の同窓の女性陣が凄いですね。
網野菊はいつか読もうと思いつつ未読。
湯浅芳子は、独身時代の中条(宮本)百合子と一緒に革命直後のソ連に行った女性ですね。戦後ツルゲーネフのあとがきで、スターリンを絶賛していたのにはびっくりしましたが、ソ連でスターリン批判が起る10年近く前ですから仕方がない面があるかも。
とにかく、尾崎翠は感覚の作家なんですね。
>☆ポール・オースター
>「ムーンパレス」読まれましたか?
うんにゃ(笑)
図書館にありましたので、読んでみます。
元日の地震に続き翌日の羽田空港の恐ろしい事故と、何だか不穏な新年の幕開けとなってしまい、お気楽に映画三昧していていいものなのかと後ろめたい気がしてしまいますが…特に能登半島は高校生の夏休みに友人4人で出かけた思い出の旅先なので心が痛みます。輪島の朝市!
奥泉光 「石の来歴」
これは読みました。芥川賞作品とは知りませんでしたが。
(知っていたら読まない捻くれ者です。すいません。)
文庫本で持っていたはずなんですが、処分したかな…
そこそこ面白く読んだ記憶はあるのですが…
若いのにこういう設定で書けるのはやはり横井さんとか小野田さんの事があったからかな?と思った記憶があります。
当時この作家さんに興味を持つに至るほどの読後感がなかったので他にどんな物を書いておられるのかも全く知らなくてAmazonで検索してみたら面白いものを発見しました。
どこかの文芸誌上でのいとうせいこうとの対談を文字起こしした「文芸漫談」というシリーズああって「第七官界…」が俎上に上がっていました。
少しだけサンプルで読めまして笑いましたよ。
いとうせいこうが「男がなにを語るかと注視されそうですが、いや面白いです。やっぱり傑作。」と話し始めるのですが、「男が何を」のところに大ウケ(笑)
女性からの「あんたらには尾崎翠を芯から理解は出来んのよ」という無言の差別的圧を感じていらっしゃる。
私は現代の最高の語り部のひとり、宮部みゆきさんの作品が大好きで、彼女の作品をかなりの数、読んでいると思います。
今回、「クロスファイア」の紹介をされていますので、コメントしたいと思います。
この「クロスファイア」は、「鳩笛草」に収蔵の「燔祭」に登場していた青木淳子が再登場する作品ですね。いわば、「燔祭」の後日談です。
青木淳子は、目線も物言いも行動も、とにかくまっすぐで強い女性です。
その強さ故に、逆に痛々しさを感じてしまうほどの強さ。
彼女の持っている能力は、物を燃やしてしまう「パイロキネシス」なのですが、彼女自身、自らを「装填された一丁の銃」だと表現し、その能力が神に与えられた使命とでも考えなければバランスを取ることができなくなっているように見えます。
この不必要な能力のおかげで、彼女自身がこれまで払ってきた犠牲の大きさは、「燔祭」で受けた傷と共に心の一部を凍らせてしまっているようです。
淳子は、まるで神の立場のように少年たちを処刑していきます。
これは「粛清」という言葉が相応しいほどの激しい行動。
確かにこの種の犯罪が許せないという気持ち、それらの犯罪の裁きを法に委ねることへのもどかしさというのはよく分かりますが、しかし、だからと言って、このように殺してしまっていいものなのでしょうか。
いくらなんでも、人が人をこんな風に裁いてしまう権利はあるのでしょうか?これは、同じ宮部みゆきさんの「スナーク狩り」にも通じる問題ですね。
そして、淳子と対照的だったのが、中年のおばさん刑事である石津ちか子。彼女が良い意味で、物語の「良心」となって、バランスを取っていたように思います。
物語の後半、淳子の心の氷を溶かしていったのは、直接的にはあの人物かもしれませんが、しかし、実際にはちか子の温かさだったようにも思えるのです。
自分のことも周囲のことも、きちんと見て分かっている、この石津ちか子という人物の大きさは、傍にいる警察の同僚にはあまり気付かれないかもしれませんが、でもとても貴重なものですね。
読後感はあまり良くないのですが、とても強い吸引力のある物語ですね。
この結末は、あまり好きではないのですが、しかし、それしかなかったのかもしれないとも思えます。
最後に至る展開は、結果的に彼女にはとても良かったのではないかと思えて、それだけは救われました。
>能登半島は高校生の夏休みに友人4人で出かけた思い出
親友が金沢に住んでいますし、その親友夫婦と22年前に能登の輪倉温泉に行ったこともありますので、同じように思うところがあります。
>これは読みました。芥川賞作品とは知りませんでしたが。
>(知っていたら読まない捻くれ者です。すいません。)
それはひねくれ者だ(笑)
僕は決して権威主義ではないし、ベストセラーも同時代的にはまず読まないですが、芥川賞だの直木賞だの本屋大賞だのは、選ぶ時に便利。つまらなかったり肌に合わなくても、損をした感じが薄い(笑)
その代わり、モカさんのようにこんなものを発見・・・という楽しみは無いです^^;
>「第七官界…」が俎上に上がっていました。
>女性からの「あんたらには尾崎翠を芯から理解は出来んのよ」
あははは。
やはりそういうものですか^^
ひょんなところから面白いものを当たるのが、面白いですね!
>宮部みゆきさんの作品が大好き
>「クロスファイア」
>この「クロスファイア」は、「鳩笛草」に収蔵の「燔祭」に登場していた青木淳子が再登場する作品ですね。いわば、「燔祭」の後日談です。
文庫本の解説に書いてあり、興味を持ちました。
僕はこれが3作目です。
>自分のことも周囲のことも、きちんと見て分かっている、この石津ちか子
>という人物の大きさは、傍にいる警察の同僚にはあまり
>気付かれないかもしれませんが、でもとても貴重なものですね。
彼女の性格造型が、このフィクション性の高いお話を成立させているものかもしれませんね。