映画評「砂塵にさまよう」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2003年イラン映画 監督アスガー・ファルハディ
ネタバレあり
アスガー・ファルハディの監督デビュー作。日本劇場未公開。
ユダヤ教から派生した各宗教圏ではかつて民事でも逮捕されることがあった。ディケンズの半自伝小説「デイヴィッド・カパフィールド」にもそんな場面が出て来る。イスラム教のイランは今でもそれが続いていることは、ファルハディの映画を観るとよく解る。しかも、その判決がお金次第で変わるというのだから、不思議の国イランと言うべし。
若者ナザル(ユーゼフ・ゴダパラスト)が、結婚したばかりの妻レイハネ(バラン・コーサリ)と離婚する。ナザルの両親側が彼女の母親が売春婦であるという噂を信じて離婚を強要したのである。
それだけなら昔の日本でもありそうなお話だが、日本と違うのは、その為に妻側に少なくない慰謝料(年金)を支払い、それが払えないと刑務所行きになるという点である。
それはならぬと彼はバンに潜り込んで逃走する。が、延々と走って止まった砂漠の真ん中で、彼は運転者である毒蛇獲りの老人(ファラマルズ・ガリビアン)にしたたかに叩かれ、車の近辺を彷徨しては車まで戻って来るということを繰り返して数日間が過ぎる。夜は甚だ寒くて、マッチだけ渡される。老人は車で暮らすノマドである。
以前から毒蛇がお金になるということに着目していた若者は老人につきまとって蛇獲りを教わろうとする。が、頭部を抑えるさすまた状の道具だけ辛うじて得て見よう見真似で蛇を捕まえようとする。最初はビギナーズ・ラックで巧く殺して捕まえるが、蛇を殺すのを嫌がる老人に無視を決め込まれた後、今度は生きたまま捕まえようとトライして、蛇に指を咬まれる。
老人は嫌がる若者の指を切って氷を入れた瓶に保管、病院に急行する。老人の必死の懇願で病院側は対応する。
退院した若者は老人のバンが荷物を残したまま他の人に譲渡されているのを知る。しかし、老人が密かに持っていた亡き妻の写真だけは見当たらない。
「彼女が消えた浜辺」以降の作品のようには洗練されていずかなり荒々しいが、手が込んでいないのが却って良いように思う。
砂漠の中でひどい目にあうと言えば、「眼には眼を」(1957年)や「グリード」(1924年)を思い出すが、それらにも似て、砂漠(と蛇)が野趣を生む。これがこの映画の魅力の第一で、線の太い単純さが捨てがたい。
そこに主題である妻への愛情が絡み合う。古臭い僕などはその愛情にじーんとしてしまうわけだが、少々軽い若者ではなく、頑なな態度を生んだ一因であろう老人のそれに胸を打たれる。若者の愛情を反射させる為に出て来る設定だろうが、実際にはこちらのほうが主眼かもしれない。
映画の出来栄えと関係のないところで、 “借金をすると逮捕” というのは、債務者が真面目な場合相当不合理な制度である。最終的に払えるかどうかは別として、債権者がお金を貰うタイミングが確実に遅くなるのだから。現代国家ならやはり自己破産という制度は必要になるだろう。
青年の蛇の扱いは素人以下で、絡まれないように尾の方を足で抑えてから頭を掴まないといけない。尾を持ったままでいるのは咬んでくださいと言っているようなものだ。
2003年イラン映画 監督アスガー・ファルハディ
ネタバレあり
アスガー・ファルハディの監督デビュー作。日本劇場未公開。
ユダヤ教から派生した各宗教圏ではかつて民事でも逮捕されることがあった。ディケンズの半自伝小説「デイヴィッド・カパフィールド」にもそんな場面が出て来る。イスラム教のイランは今でもそれが続いていることは、ファルハディの映画を観るとよく解る。しかも、その判決がお金次第で変わるというのだから、不思議の国イランと言うべし。
若者ナザル(ユーゼフ・ゴダパラスト)が、結婚したばかりの妻レイハネ(バラン・コーサリ)と離婚する。ナザルの両親側が彼女の母親が売春婦であるという噂を信じて離婚を強要したのである。
それだけなら昔の日本でもありそうなお話だが、日本と違うのは、その為に妻側に少なくない慰謝料(年金)を支払い、それが払えないと刑務所行きになるという点である。
それはならぬと彼はバンに潜り込んで逃走する。が、延々と走って止まった砂漠の真ん中で、彼は運転者である毒蛇獲りの老人(ファラマルズ・ガリビアン)にしたたかに叩かれ、車の近辺を彷徨しては車まで戻って来るということを繰り返して数日間が過ぎる。夜は甚だ寒くて、マッチだけ渡される。老人は車で暮らすノマドである。
以前から毒蛇がお金になるということに着目していた若者は老人につきまとって蛇獲りを教わろうとする。が、頭部を抑えるさすまた状の道具だけ辛うじて得て見よう見真似で蛇を捕まえようとする。最初はビギナーズ・ラックで巧く殺して捕まえるが、蛇を殺すのを嫌がる老人に無視を決め込まれた後、今度は生きたまま捕まえようとトライして、蛇に指を咬まれる。
老人は嫌がる若者の指を切って氷を入れた瓶に保管、病院に急行する。老人の必死の懇願で病院側は対応する。
退院した若者は老人のバンが荷物を残したまま他の人に譲渡されているのを知る。しかし、老人が密かに持っていた亡き妻の写真だけは見当たらない。
「彼女が消えた浜辺」以降の作品のようには洗練されていずかなり荒々しいが、手が込んでいないのが却って良いように思う。
砂漠の中でひどい目にあうと言えば、「眼には眼を」(1957年)や「グリード」(1924年)を思い出すが、それらにも似て、砂漠(と蛇)が野趣を生む。これがこの映画の魅力の第一で、線の太い単純さが捨てがたい。
そこに主題である妻への愛情が絡み合う。古臭い僕などはその愛情にじーんとしてしまうわけだが、少々軽い若者ではなく、頑なな態度を生んだ一因であろう老人のそれに胸を打たれる。若者の愛情を反射させる為に出て来る設定だろうが、実際にはこちらのほうが主眼かもしれない。
映画の出来栄えと関係のないところで、 “借金をすると逮捕” というのは、債務者が真面目な場合相当不合理な制度である。最終的に払えるかどうかは別として、債権者がお金を貰うタイミングが確実に遅くなるのだから。現代国家ならやはり自己破産という制度は必要になるだろう。
青年の蛇の扱いは素人以下で、絡まれないように尾の方を足で抑えてから頭を掴まないといけない。尾を持ったままでいるのは咬んでくださいと言っているようなものだ。
この記事へのコメント
うちの庭にも時々アオダイショウが現れますね。害はないし、つかまえる必要もなく、蛇やネヤモリやアシナガバチがいる間は家もだいじょうぶなんだろうと思っています。
>最後の蛇の扱いに長けたコメント、覚えておきます。
その前に青年のように捕獲器で頭の近くを抑えてからにしましょう。素人はやめておいたほうが良いですね。
>うちの庭にも時々アオダイショウが現れますね。害はないし、つかまえる必要もなく
昔は家の中にもいました。今の新しい家(とは言っても築45年ですが)になってからは蛇はいません。周囲でたまにシマヘビを見ます。
>蛇やネヤモリやアシナガバチがいる間は家もだいじょうぶなんだろうと思っています。
なるほど。
この間、大人しいアシナガバチをうっかり刺激して刺されてしまいました。アナフィラキシーショックがなければ、刺されても大したものではないのですがね。