映画評「美しい都市」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2004年イラン映画 監督アスガー・ファルハディ
ネタバレあり

アスガー・ファルハディ長編第2作。日本劇場未公開。【都市】は “まち” と読ませる。

先日観た「英雄の証明」の原型が見られるが、こちらのほうが人命に関してはぐっと深刻。

少年院から出た若者アーラ(ババク・アンサリ)が、18歳になって刑務所に移送された親友の為に奔走する。親友は心中に失敗して生き残った為に、相手の娘を殺した罪で何もしなければ死刑になる運命である。

ここからがイランの不思議なところで、被害者の父親(ファラマルズ・ガリビアン)が加害者側からの賠償金を受け入れて訴えを取り下げれば、死刑を回避することができる。

そこで乳飲み子を抱える友の姉フィルーゼ(タラネ・アリドゥスティ)と力を合わせて、説得する為に家を足繁く訪問する。お金を工面するのも大変だが、頑なになっている父親の説得するのはもっと難しいくらい。とは言っても信心深い人だから、尊師の言うことには耳を傾けないわけでもなく、二人の懸命の訴えに心が揺れ動く。
 男の後妻は障害を持つ娘と若者を娶せることで、全てを解決しようと企む。若者としても全く無視することは出来ないが、本音を言えばフィルーゼに傾いている為、離婚していることが確認できた彼女にモーションを掛ける。
 彼女も憎からず思っているが、彼を受け入れることは即ち弟の救済を半ば諦めることである。

色々な葛藤が錯綜するお話だが、ファルハディが一番見せたかったのは、愛する対象(弟か心優しい若者か)を選択するという命題を突きつけられフィルーゼの苦しい胸の内であろう。
 それを直球的に見せなかったのが殊勲で、 “煙草を吸う女性は嫌い” という彼の言葉を意識してか彼女が煙草を吸っているところで映画は終る。その前に彼女は彼に “嘘つきと刑務所の常連は嫌い” と言い、本音を隠す。煙草にかこつければ煙(けむ)に巻くのである。この言葉の交換に苦悩がよく感じられ、僕を唸らさせた。

「友だちのうちはどこ」同様、イラン人の一途な行動が大変印象深い。

刑事事件の行方も被害者次第。死刑でもお金で減刑(無罪放免?)も出来るという不可思議。現実主義的なのか、それとも全く別の理由があるのか。

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