映画評「ひゃくはち」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2008年日本映画 監督・森義隆
ネタバレあり

一昨日の「野球部に花束を」は部そのものを描くのが主眼で、野球映画ファンとして決して楽しめる内容ではなかったが、こちらは正攻法ではない正統派野球映画。

背番号を付けられるかどうかの際にいる野球強豪高野球部内野手の2年生、斎藤嘉樹と中村蒼は、今日も仲良く背番号を得られるよう練習に励み、神社に祈りに通う。
 2年生のうちは結局背番号が得られないまま3年生になるが、プロ野球球団スカウト小松政男が有望1年生一塁手を入学させたために、一塁手の中村が焦って三塁手コンバートを宣言、二人は一つのポジションを争うライバルになって激しくバッティングする。
 結局斎藤君は19番を得て、中村君は落選。しかし、有望一年生が負傷した為に20番の背番号を得る。

この映画のリアルさは、この最後のエピソードによく象徴されている。つまり、他の選手の負傷を斎藤君が自ら言うように “不謹慎でも喜ぶ” のである。このほうが余程 “あるある” であると言いたい。
 その他、高校生なのに喫煙、飲酒、思春期後期らしい性的な話題、大人たちのセクハラ、パワハラが出て来て、極めて実感を伴う。但し、竹内力のパワハラ監督は「野球部に花束を」ほどではないにしても一向に(強豪校)野球監督に見えず、個人的には気に入らない。
 反面、15年前に比べてコンプライアンスが進み、一応このような様々な暴力は抑え気味になっていると思いつつ、今でもかかるタイプの監督はいるだろう。怪我を負うような暴力は全く戴けないが、何でもかんでもパワハラとしてしまう風潮は、何でも “さん” づけにして平等化してしまう(とりわけ有名人や過去の偉人にさんを付けるくらい彼らを馬鹿にするものはない)のを大いに嫌っているのと同様、僕はあまり歓迎できない。
 こういうのが大きな暴力に繋がるという懸念も解らないではないが、それは結局他人に対する理解の欠如そして不寛容を示し、ある意味人間性としては寧ろ後退しているかもしれないのである。

閑話休題。

綺麗ごとだけで澄ませないところは正攻法ではないが、野球部少年の青春スポーツ映画としては極めて正統的。清濁併せて見せて、却って清々しい映画になっているのが殊勲である。

細かいところでは、幕切れの、9回のピンチで伝令役の斎藤君がわざとライン上で転げて選手を和ませるのがナイス。事前に転ぶ練習をしているのを見せるのを伏線として、最後に “そういう目的だったのか” と、ボーっと見ていた僕のような観客をも納得させる。

市川由衣扮する女性スポーツ記者の扱いはいま一つ。スポーツ青春群像の中に余りうまく溶け込んでいない気がする。

本作の高校は、横浜高校を意識しているか。甲子園のベンチ入りは18人につき背番号19のままでは甲子園ではベンチ入りできなかったが、今年から20人になった。後は本人次第だ。

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