映画評「火祭り」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2006年イラン映画 監督アスガー・ファルハディ
ネタバレあり

NHKだけでなくWOWOWも僕を失望させ続けているが、今回のアスガー・ファルハディの未公開作3本の連続放映はなかなか嬉しい企画である。一本ごとに次第に深化していく様子を見せ、なかなか興味深い。

後年の「別離」の原形のようなところがあるが、本作は登場人物のジレンマが主眼ではなく、寧ろ人間存在そのものに対する凝視が目的だったのではないか。

年末。婚約者とラブラブの妙齢美人ルーヒ(タラネ・アリドゥスティ)が、小学生の子供のいる三人家族のある中流階級に雇われるが、到着早々夫婦喧嘩の現場に遭遇し、巻き込まれていく。
 喧嘩の原因は、細君のモデュデ(ヘディエ・テヘラニ)が夫モルテザ(ハミッド・ファロクネジャード)の、アパートの隣の美容師シミン(パンテア・バーラム)との浮気を疑い、ノイローゼになっているのである。
 一度帰されかけたルーヒは、隣が美容師と知って婚約者の為に眉を揃えてもらい、シミンの人となりを垣間見る。結局一家の為に働き続けることになった彼女の言動が夫婦の行動をも左右し、結局彼女の善意の嘘が夫婦を危機を救う。
 ように見えた後、観客には妻の妄想かと思えた浮気が事実であったことを判明する。それでも一応の安寧を得た妻はルーヒの態度から夫への疑惑が蘇るも、前のようには至らない。

というお話で、二つの大事な小道具が実に上手く作劇に使われている。
 一つはブザー。この一家のブザーが壊れていて人々がシミンのブザーを使う為に話がこんがらがるのである。
 もう一つは(ルーヒの)チャドル。細君はルーヒのチャドルを使って勤務中の夫の動向を伺いに出て路上で夫にしたたかに叩かれるという事件も起きる。またアレゴリーとしても面白く使われている。つまり、夫婦関係のもつれが、序盤彼女のチャドルがバイクのタイヤに巻き込まれるという小事件により象徴的に使われていたことが、最後まで観ると気付かされるという次第。

人間の性格も小道具になっているかもしれない。
 火祭りを終えてモルテザがルーヒを車で連れ帰る。婚約者はその事実を知り、複雑そうな顔を見せる。モルテザは観客の心配をよそに若者に話しかける。若者が車に近づいていく。が、二人は新年の挨拶を交わして別れるだけである。婚約者たちは笑いながらバイクで遠ざかっていく。
 この穏やかさは二人の若さ故とも言えるが、それ以上に性格の違いではないだろうか。若者が嫉妬深い性格ならルーヒは悲惨な目に遭ったにちがいない。音楽用語で言えばコーダと言えるこの最後は、終幕の扱いとして抜群。

イラン版「家政婦は見た」。

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