映画評「ラーゲリより愛を込めて」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり

角川春樹の姉さん辺見じゅんのノンフィクションの映画化。

戦争末期の満州からソ連の急襲を知って妻子を日本に帰したインテリ青年・山本幡男(二宮和也)は、結局シベリアの収容所(ラーゲリ)に送られる。
 ここを何とか生き抜いた彼は、仲間たちと共に解放されて東に向かうが、何故か、港のあるナホトカを直前に下ろされ、自分を卑怯者と考える青年松田(松坂桃李)、戦争が終わったのにまだ一等兵・二等兵を馬鹿にする軍曹相沢(桐谷健太)らと共に、25年もの刑期を受けた戦犯刑務所に送り込まれる。
 ここには彼の上官だった元慶応野球部の原幸彦(安田顕)がいて、共産主義に対する反動として痛めつけられている。山本は彼の嘘の告発により戦犯になったことを知るが、持ち前の誠実さでこれを何ものともしない。

これが彼の強さであり、女教師の細君もじみ(北川景子)と共に “希望を失わない” というポリシーの原点である。 しかし、 松田を卑怯者から脱却させ、生きる意味あるいは目標を失っていた原や相沢に生きる気力を取り戻させ、無学の漁師の若者(中島健人)に字や俳句を教えた山本その人は、末期がんで捕虜生活10年で息絶える。
 しかし、彼等4人は、闘病中に彼の残した4つの遺書を(ソ連側に没収されてしまうので)記憶して、帰国後記憶に基づいて再現した遺書と共に母、妻、4人の子供たちの待つ彼の家を別々に訪れる。

惜しいかな、監督が瀬々敬久である。この監督の何が悪いかと言って、大袈裟になりすぎることである。「感染列島」が示すように脚本まで担当するともっとひどいことになるのだが、他人の脚本による本作でも、山本その人が憑依したとしか思えない皆のアイドル犬クロが帰還船目掛けて走って来るといった辺りの描写は甚だ良くない。一般的な大衆はこういうのに特に抵抗がないどころか感動してしまうかもしれないが、孔子様も言っている、過ぎたるは猶及ばざるが如し、と(笑)。これは冗談だが、この言葉は案外、文学や映画に当てはまる。
 その割に彼らと一緒に日本に到着したクロは生かされていない。
 また、クロに山本を見るのは良いが、余りに説明的な台詞にしてしまうとつまらない。僕などはクロが船に向って走って来た瞬間に “あっ、山本だ!” と口に出して言ったくらい。 “クロは山本の遺体について行ったきり戻って来なかった” という松田のモノローグが前段にあるので、観客におかれてはこれくらいは理解できないといけないのだ。

夫君の死を知った気丈なもじみが庭先で倒れてしまうのも疑問で、ここら辺りをもっと抑制的に作ると、本当の映画好きはぐっと喜ぶ。

四人が一人一人やってくるのもくどいと言えばくどいが、これは悪くない。悪くないどころか、涙が止まらなかった。そのうち一人は母を失い、一人は妻を失っているという設定が作劇として巧い。

気に入らない点も多いが、結果的に良い反戦映画になっているので、総合的にはこのくらいの☆★を進呈したい。

舞台が共通するのを考えると、この映画の題名を案出した時(ノンフィクションのタイトルは「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」)、作者たちには「ロシアより愛をこめて」が意識にあったのではないだろうか。因みに、ダモイ(домой)は “家(故郷・故国)に” を意味するロシア語の副詞。 日本人捕虜はこれを帰国という意味の名詞として使ったのである。

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