映画評「ONODA 一万夜を越えて」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年フランス=日本=ベルギー=イタリア=カンボジア合作映画 監督アルチュール・アラリ
ネタバレあり

1970年代前半中学生から高校生にかけての時代、かつての戦地の島に潜伏していた横井庄一と小野田寛郎(ひろお)が発見されて帰国し、大きく報道されていた。僕が終戦〇〇年を意識したのは横井庄一の事件がきっかけである。

本作は、小野田寛郎元少尉の潜伏生活を描いたフランス主体の伝記映画。

平和の時代に生れ映画を多く観るうち自ずと反戦主義者・個人主義者となった僕は、彼の生涯に全く興味がなくまるで知らなかったのだが、彼はかのスパイ育成機関・陸軍中野学校出身なのであった。
 また、僕は長く一人でジャングルで過ごしたと想像していたのに反し、実は隊長としてかなり長く4人で過ごしていた。赤津一等兵が投降(1950年)、島田伍長(1954年没)が射殺された後も、1972年の小塚上等兵の拉致・死去まで一人ではなかったのである。
 1974年に若い冒険家・鈴木紀夫(仲野太賀)に発見され、かつての上官・谷口義美(イッセー尾形)の “命令” により降服する。

1954年までを遠藤雄弥、1972年以後を津田寛治が小野田少尉を演じている。

175分という長尺だが、29年もの長い潜伏生活を味わう(疑似体験する)には最低限必要な長さではないだろうか。余り短いと単なる再現ドラマになってしまいかねない。結果的に非常に見応えがあった。ラジオの電池はどうしたのかと思っていたら、どうも頻繁にフィリピン農民から略奪していたようである。

意味もなく女性を殺したり、人間として問題を感じるところもあるが、それでも29年間戦争が終わっていないと信じた(知っていたという説もあり)後の帰国には一種の喪失感を覚えたのではないか、と感じられ、妙に感動もさせられる。

帰国後も国粋主義者として生きた彼の人間ぶりはともかく、国家という概念により翻弄された人生であることは間違いないだろう。僕は個人主義者だから、本人にその意識がないとしても、こんな人生は可哀想でならない。

タイパなどと言っている人にこのタイプの映画は耐えられまい。早回し(意味を考えると、速回しであるべきだ)で見た場合は “観た” うちには入らない。

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