映画評「あのこと」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年フランス映画 監督オドレー・ディヴァン
ネタバレあり
昨年ノーベル文学賞を受賞した女性作家アニー・エルノーの半自伝的な小説を映画化した、ある意味壮絶なドラマ。しかし、この作品の場合、半自伝的映画という事実も知らないで観たほうが良い。いつものことながら僕はアウトラインも知らずに臨んだので、結構ヒヤヒヤしながら観ることが出来た。
1960年頃、文学を学ぶ二十歳くらいの秀才少女アンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、予期しない妊娠をする。輝かしいはずの未来を犠牲にするわけには行かず、堕胎の事で頭がいっぱいになるが、当時のフランスは堕胎は法律で禁止されていたので、当の相手は勿論、親友たちも及び腰で役に立たない。知人の一人が運良く堕胎をしてくれる女性アナ・ムラグリスを密かに紹介してくれ、彼女の家を訪れる。
というお話で、何故半自伝的な小説であることを知らずに観るのが良いかと言えば、堕胎が上手く行くかどうかというサスペンスが感じられなくなってしまうからである。勿論知ったら知ったで、それ以外の映画的要素の完成度を見れば良いのであるが、知らない方が明らかに得なのである。
女性の局部がよく出て来る作品だが、エロティシズムの代わりに痛みを感じさせる効果がある。自分で処理しようと試みる場面など正視しがたい。また、アナ・ムラグリスが処置するところでは、被施術者の代わりに彼女が冷静に対応する様子を延々と捉えて迫力満点。
堕胎を扱った映画は少なくないが、ここまで省略せずに長く描いた作品は映画史に例がないと思う。
欲望を抑えれば文句なく、 避妊をすればかなりの確率でヒロインが遭遇した “事件”(原作小説の題名)は避けられるわけだが、それを言い出すと本作の狙いから外れてしまう。つまり、妊娠により大きく運命を変えられるという点において女性は男性の比ではないという理不尽をとりわけ男性諸氏は理解しなければならない。フェミニズムとは違うヒューマニズムの問題である。
1975年にフランスで堕胎が認められ、フランスの女性が幸福になる可能性はぐっと増えたが、キリスト教原理主義に縛られた人々は、男女を問わず、堕胎を認める法律を廃止に追い込みたいのが本音で、アメリカではトランプにより選ばれた共和党支持の判事たちによる判決の結果一部の州で大分後退すると想像された為、共和党支持の若い女性たちが反旗を翻したのは記憶に新しい。アフガニスタンに象徴されるように、女性の権利を抑制する国が瞬間的にはともかく長い目でみれば発展できないことは歴史が証明している。アメリカも共和党政権が続けば他人事(ひとごと)ではない。
フェミニズムに立脚する映画であれば、このお話の構成でヒロインが堕胎で死ぬことはない。彼女を死なせたら反堕胎に近い立場になってしまう。その意味でも本作がヒロインをどうするかヒヤヒヤしながら見ていたのだ。堕胎に悪いイメージを与える結末は持ってこないだろうと願いながら。日本も実は法律で堕胎は罪せられる。しかるに、母体保護法の為に出来るのだ。
2021年フランス映画 監督オドレー・ディヴァン
ネタバレあり
昨年ノーベル文学賞を受賞した女性作家アニー・エルノーの半自伝的な小説を映画化した、ある意味壮絶なドラマ。しかし、この作品の場合、半自伝的映画という事実も知らないで観たほうが良い。いつものことながら僕はアウトラインも知らずに臨んだので、結構ヒヤヒヤしながら観ることが出来た。
1960年頃、文学を学ぶ二十歳くらいの秀才少女アンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、予期しない妊娠をする。輝かしいはずの未来を犠牲にするわけには行かず、堕胎の事で頭がいっぱいになるが、当時のフランスは堕胎は法律で禁止されていたので、当の相手は勿論、親友たちも及び腰で役に立たない。知人の一人が運良く堕胎をしてくれる女性アナ・ムラグリスを密かに紹介してくれ、彼女の家を訪れる。
というお話で、何故半自伝的な小説であることを知らずに観るのが良いかと言えば、堕胎が上手く行くかどうかというサスペンスが感じられなくなってしまうからである。勿論知ったら知ったで、それ以外の映画的要素の完成度を見れば良いのであるが、知らない方が明らかに得なのである。
女性の局部がよく出て来る作品だが、エロティシズムの代わりに痛みを感じさせる効果がある。自分で処理しようと試みる場面など正視しがたい。また、アナ・ムラグリスが処置するところでは、被施術者の代わりに彼女が冷静に対応する様子を延々と捉えて迫力満点。
堕胎を扱った映画は少なくないが、ここまで省略せずに長く描いた作品は映画史に例がないと思う。
欲望を抑えれば文句なく、 避妊をすればかなりの確率でヒロインが遭遇した “事件”(原作小説の題名)は避けられるわけだが、それを言い出すと本作の狙いから外れてしまう。つまり、妊娠により大きく運命を変えられるという点において女性は男性の比ではないという理不尽をとりわけ男性諸氏は理解しなければならない。フェミニズムとは違うヒューマニズムの問題である。
1975年にフランスで堕胎が認められ、フランスの女性が幸福になる可能性はぐっと増えたが、キリスト教原理主義に縛られた人々は、男女を問わず、堕胎を認める法律を廃止に追い込みたいのが本音で、アメリカではトランプにより選ばれた共和党支持の判事たちによる判決の結果一部の州で大分後退すると想像された為、共和党支持の若い女性たちが反旗を翻したのは記憶に新しい。アフガニスタンに象徴されるように、女性の権利を抑制する国が瞬間的にはともかく長い目でみれば発展できないことは歴史が証明している。アメリカも共和党政権が続けば他人事(ひとごと)ではない。
フェミニズムに立脚する映画であれば、このお話の構成でヒロインが堕胎で死ぬことはない。彼女を死なせたら反堕胎に近い立場になってしまう。その意味でも本作がヒロインをどうするかヒヤヒヤしながら見ていたのだ。堕胎に悪いイメージを与える結末は持ってこないだろうと願いながら。日本も実は法律で堕胎は罪せられる。しかるに、母体保護法の為に出来るのだ。
この記事へのコメント
>昨年ノーベル文学賞を受賞した女性作家アニー・エルノーの半自伝的な小説
単に私がフランスの文壇事情に疎いだけの話なのですが、アニーエルノーの受賞のニュースには驚きました。
30年くらい前に「シンプルな情熱」というのを読みましたが映画の原作はこれでしょうか? 実のところ内容はほとんど覚えいないのですが文体というか雰囲気的にはいかにもフランスのインテリ女性が書きました感が満載していた事だけは覚えています。
その後名前を見聞することもなかったので本当に驚きましたが、考えてみれば最近のノーベル文学賞受賞者ってKazuo Ishiguroとかボブディランくらいしか既知の人物はいなかったような気がします。
母体保護法
昭和23年に出来た優生保護法が「優生」は差別用語だという事でいつのまにか名前を変えていたんですね。
日本の戦後のベビーブームが一段落したのは子作りに飽きたのかとずっと思っていましたが(そんな訳ない!ウブでした!) 実はこの優生保護法が施行されたからだったと最近知りました。
>単に私がフランスの文壇事情に疎いだけの話なのですが
現代文学に関してなら、僕よりずっとお詳しいですよ^^v
>30年くらい前に「シンプルな情熱」というのを読みましたが映画の原作はこれでしょうか?
原作は「事件」ということになっていますが、エルノー女史の作品は、殆どの作品が自伝的作品のようです。
>昭和23年に出来た優生保護法が「優生」は差別用語だという事でいつのまにか名前を変えていたんですね。
そう言えば、僕も母体保護法という言い方には余り馴染みがなかったです。
観ましたので衝撃は最大級でした!
>私は全くどんなジャンルの映画も知らずに観ました
そのほうが得する映画ですね!
堕胎がテーマの映画で思い出すのは「主婦マリーがしたこと」と「ヴェラ・ドレイク」でどちらも自身の堕胎ではなくて他人のそれを請け負った女性が罪に問われるといったものでしたね。
「主婦マリー…」はもう2度と見たくないほどこちらの心が冷え切ってしまいましたが「ヴェラ…」の方は不本意な妊娠で困っている若い女性を助けてあげたい主人公の思いが伝わってきて何ともやるせない気持ちになったのを思い出しました。
>「主婦マリー…」はもう2度と見たくないほどこちらの心が冷え切って
確か実話。
今なら罪にも何にもならないことで、死刑でしたね。うーむ。
>「ヴェラ・ドレイク」
>主人公の思いが伝わってきて何ともやるせない気持ち
演じるのが庶民派イメルダ・スタウントンというのもあったかもしれませんね。
英仏の19世紀を代表する文豪が20世紀に蘇って映画の脚本を書いたとしたら?
「主婦マリー…」はエミール・ゾラが、「ヴェラ・ドレイク」はチャールズ・ディケンズが書いたかのような作風だと思いました。
この二つの映画の作風の違いは刑罰の重さの違いやそれぞれの監督の資質の違いもありますが、私はお国柄というか文学的伝統の違いのようなものも感じましたが、先生如何でしょうか?
比較文学(文化)かなんかの卒論のテーマになりそう ^_^
ちなみにイギリス最後の女性死刑囚が主人公の映画は「ダンス ウィズ ア ストレンジャー」でした。
最後の死刑囚で後世に名を残すって…
>「主婦マリー…」はエミール・ゾラが、「ヴェラ・ドレイク」はチャールズ・ディケンズが書いたかのような作風だと思いました。
>お国柄というか文学的伝統の違いのようなものも感じましたが、先生如何でしょうか?
仰ることがよく解るような気がします。
ゾラは自然主義と言われますが、厳密には写実主義の立場で、確か写真のように描写することを目指していたと思います。「主婦マリー」のタッチはよく憶えていませんが、確かに今のフランス(やベルギー)では、その伝統か、セミ・ドキュメンタリー・タッチの映画に力強いものがありますよ。
ディケンズは、厳しい現実を描いても、ハッピー・エンドかハッピー・エンド的な空気を漂わして終わる作家でしたね。
>女性死刑囚が主人公の映画は「ダンス ウィズ ア ストレンジャー」でした。
>最後の死刑囚で後世に名を残すって…
京アニの犯人のように、僕らのような平均的な人間の想像を超えて短絡的な人間もいますが、死刑になった殺人犯の中にも、可哀想と思える人は結構いますね。
このヒロインはどちらのタイプでしたっけね^^
「ダンス ウィズ…」は1年くらい前に再見しました。
殺人の動機は、あまり好きな言い方ではないのですが、「痴情のもつれ」と言うやつですね。
地味な映画ですが、モンローばりのプラチナブロンドに真っ赤なルージュのミランダ・リチャードソンが、シングルマザーとしての母親であり、また1人では生きられない女でもありで破滅していく様を好演していました。
ラストに出てくる殺してしまった男(ルパート・エヴェレット)の母親に宛てた手紙が泣かせます。泣きました…
>シングルマザーとしての母親であり、また1人では生きられない女でもありで破滅していく
哀しい香りがする…
>母親に宛てた手紙が泣かせます。泣きました…
では、泣き虫オカピーなら確実に泣きますね。
30秒のCMを見ても泣きますから(笑)