映画評「母性」(2022年)

☆☆☆(6点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・廣木隆一
ネタバレあり

ベストセラー作家・湊かなえは「告白」だけ読んだことがある。映画版の出来栄えも悪くないと思ったが、小説は文章ならではの特徴を生かした傑作と判じた。本作も湊かなえのミステリーを原作としているが、読んでいない現在言うのは無茶ながら、主題は小説と違うのではないか。

女子高生が亡くなる。別の高校の教師たちがその事件を話し合っている。そのうち一人は前の高校で彼女を知る者である。
 教会では娘に関して母親ルミ子(戸田恵梨香)が告解をしていて、事件が起きるまでを説明する。片や、娘・清佳=さやか=は同じ事件を振り返る。

この辺りは「告白」に似て、別人物による語りで構成されている。娘が死んでいるなら、たまにある “亡霊” が語る映画であるが、この映画の場合はどうか。とにかく、同じ事象が二人の視点により語られる。全く同じか大体同じの事象がかなり違った印象を覚えさせる。大体同じという部分ではまあ「藪の中」状態であるわけだが、寧ろ全く同じ事象が違った風に感じられるところが映画としての妙であろうか。

別の高校の教師の中に、名前の出て来ない若い女性教師(永野芽郁)がいる。幼稚園時代の清佳(落井実結子)は永野芽郁の面影を宿している。そして清佳が高校生になると永野芽郁であることが判る。しかし、この時点ではまだ彼女が女性教師と同一人物であるかどうかは曖昧で、僕は一人二役かも知れないと考えていた。
 しかし、映画が半分に達する前に示した女性教師の態度と、三分の二くらい過ぎたところで見せた高校生の彼女の態度が全く同じだったので、この時点で同一人物と確信する。

ここで本作のミステリー趣味(ほぼ叙述トリックと言うべし)はほぼ終わる。ほぼというのは、この後の、父親の不倫の発覚が少しミステリー的であることと、それをきっかけにルミ子の母親(大地真央)の死についての秘密が明らかになるという一幕があるからだが、原作はともかく、これはこの映画の【母性】に関する言及の為に用意された設定に過ぎない印象を覚え、僕は重視しない。
 本作は【母性】を定義することを命題とする映画である、というのが僕の理解である。清佳の主張に従う、【母性は先天的なものではなく、環境により生まれるものではないか】というのが作者の定義であるようだ。
 ルミ子の義母(高畑淳子)が嫁には厳しく自分の娘には甘すぎる典型的な姑。彼女自身の母性の在り方も面白いが、それ以上に、ルミ子の、義母と娘に対する態度が【母性】定義の一環として興味深い。

本作の映画としての面白味は、多少わざとらしいところもあるミスリード(一般的にこの手のミスリードは想像の余地の多い文学より映画の方が難しい)に尽きるが、そこそこ上手く行っているのではないかと思う。【湊かなえ原作】に拘ると面白くないと感じる人もいるだろう。

自分の妻を "嫁" と言う人が増えて来たね。昔も親の代理として息子が妻を指して “嫁” という言葉を使うことあったけど。話がずれますが、 “納得しました” という意味で “そうなんですね?” を言う人も半数以上に及ぶ気がするが、聞き手の ”そうなんですね?” は半疑問なので、本人は知らず態度と矛盾する言葉を使っていることになる。実は疑問を全く伴わない “そうですか!” を使うのが良い。この措辞の最後の “か” は疑問ではなく感嘆である。

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