映画評「3つの鍵」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年イタリア=フランス合作映画 監督ナンニ・モレッティ
ネタバレあり
交通事故が引き起こす3(+1)家族の運命の変転を描く人間劇。監督は僕の中でまだ評価が定まっていないナンニ・モレッティ。
飲酒して車を運転していたベテラン裁判官夫婦の息子アンドレア(アレッサンドロ・スペルドゥーティ)が、妊婦モニカ(アルバ・ロルヴァケル)を避けたはずみで、熟年女性を撥ねてしまう。この事件でアンドレアは著名な裁判官の父(ナンニ・モレッティ)に裁判について小細工をしてくれないかと働きかけるが、父親は拒否、結局5年服役することになる。
この夫婦の階下(2階)に住むモニカは女児を無事に産むが、仕事で余儀なくされる夫の長期不在に憂鬱を禁じ得ない。
車に突っ込まれた1階の部屋に住むルーチョ(リッカルド・スカマルチョ)の夫婦は外出の度に向かいの部屋の老夫婦に6歳くらいの娘フランチェスカを預ける。が、ある時娘が老人レナート(パオロ・グラツィオージ)と夜の公園で発見されるという出来事が起きる。ルーチョは、事件性はないと無罪放免になった老人が娘に性的虐待をしたのではないかという疑心暗鬼を避けることが出来ず、入院中の老人に暴力を働き、やがて老人は死んでしまう。
老人の孫娘シャルロット(デニーズ・ダントゥッチ)がパリから戻り、ルーチョにモーションをかけ、彼は応じてしまう。これが災いして老人の妻と娘がルーチョを訴える。結果を見れば、ルーチョは無罪の老人を疑ったことに復讐されるように、自ら性的暴行の被疑者になる。5年後ルーチョは無罪とされるが、一家は上訴しようとする。
出所したアンドレアに対し、母ドーラ(マルゲリータ・ブイ)が夫側に立った為、彼は出奔する。その後夫は死ぬが、母と子には修復しがたい大きな断絶が起き、10年後ちょっとしたきっかけで居場所を知らされた息子に見事に拒絶される。しかし、被害者の夫が息子からハチミツを送られたと知って再び養蜂をする息子に会いに行くと、その態度は和らいでいる。
ルーチョは祖母が死に引っ越していくシャルロットを静かに見送る(元々二人の間に大したわだかまりはない。祖母とルーチョの間にあっただけ)。二人目の子供を産んだモニカは、その直後に夫と娘を残して行方知らずになる。
モニカは交通事故によって直接にも間接にも運命の変転を強いられたわけではなく、他の3家族との関係も希薄、出て行った後の行動も現在も不鮮明。ちょっと浮いているという印象が禁じ得ないが、多分作者が描こうとしたものは、赦しが必要とされた “家族(の成員)” が赦し赦されるまでの物語であろう。
そして、モニカに象徴されるように、いずれの家族も意識的・無意識的に家の外に出て行かざるを得ない。寺山修司風に言えば、 “ドアを開けよ 町へ出よう”が主題である。 閉塞した三家族の再生のカギは(外出の為ドアを閉める為の)鍵であった。
終盤のモニカの扱いには疑問を覚える。しかし、シーンを断裁的に終える為に乱暴と誤解を生みかねないものの、全体としては丁寧に作っていると思う。心理描出不足や拙い編集を指摘するコメントを読んだが、僕はほぼ逆の印象を受けた。心理描写に行間を読ませるところが多いだけである。行間を読む力は人によって違うが、この映画くらいでは不足とは言えない。余りありすぎると余情を殺いでしまう。作品に文句を言う前に自らを鍛えるべし。
戦後すっかり定着してしまった“鍵をかける・開ける・閉める”という言い方。鍵と錠とを混同して起きた間違いだが、今これを問題と思っているのは僕くらいだろう。
2022年イタリア=フランス合作映画 監督ナンニ・モレッティ
ネタバレあり
交通事故が引き起こす3(+1)家族の運命の変転を描く人間劇。監督は僕の中でまだ評価が定まっていないナンニ・モレッティ。
飲酒して車を運転していたベテラン裁判官夫婦の息子アンドレア(アレッサンドロ・スペルドゥーティ)が、妊婦モニカ(アルバ・ロルヴァケル)を避けたはずみで、熟年女性を撥ねてしまう。この事件でアンドレアは著名な裁判官の父(ナンニ・モレッティ)に裁判について小細工をしてくれないかと働きかけるが、父親は拒否、結局5年服役することになる。
この夫婦の階下(2階)に住むモニカは女児を無事に産むが、仕事で余儀なくされる夫の長期不在に憂鬱を禁じ得ない。
車に突っ込まれた1階の部屋に住むルーチョ(リッカルド・スカマルチョ)の夫婦は外出の度に向かいの部屋の老夫婦に6歳くらいの娘フランチェスカを預ける。が、ある時娘が老人レナート(パオロ・グラツィオージ)と夜の公園で発見されるという出来事が起きる。ルーチョは、事件性はないと無罪放免になった老人が娘に性的虐待をしたのではないかという疑心暗鬼を避けることが出来ず、入院中の老人に暴力を働き、やがて老人は死んでしまう。
老人の孫娘シャルロット(デニーズ・ダントゥッチ)がパリから戻り、ルーチョにモーションをかけ、彼は応じてしまう。これが災いして老人の妻と娘がルーチョを訴える。結果を見れば、ルーチョは無罪の老人を疑ったことに復讐されるように、自ら性的暴行の被疑者になる。5年後ルーチョは無罪とされるが、一家は上訴しようとする。
出所したアンドレアに対し、母ドーラ(マルゲリータ・ブイ)が夫側に立った為、彼は出奔する。その後夫は死ぬが、母と子には修復しがたい大きな断絶が起き、10年後ちょっとしたきっかけで居場所を知らされた息子に見事に拒絶される。しかし、被害者の夫が息子からハチミツを送られたと知って再び養蜂をする息子に会いに行くと、その態度は和らいでいる。
ルーチョは祖母が死に引っ越していくシャルロットを静かに見送る(元々二人の間に大したわだかまりはない。祖母とルーチョの間にあっただけ)。二人目の子供を産んだモニカは、その直後に夫と娘を残して行方知らずになる。
モニカは交通事故によって直接にも間接にも運命の変転を強いられたわけではなく、他の3家族との関係も希薄、出て行った後の行動も現在も不鮮明。ちょっと浮いているという印象が禁じ得ないが、多分作者が描こうとしたものは、赦しが必要とされた “家族(の成員)” が赦し赦されるまでの物語であろう。
そして、モニカに象徴されるように、いずれの家族も意識的・無意識的に家の外に出て行かざるを得ない。寺山修司風に言えば、 “ドアを開けよ 町へ出よう”が主題である。 閉塞した三家族の再生のカギは(外出の為ドアを閉める為の)鍵であった。
終盤のモニカの扱いには疑問を覚える。しかし、シーンを断裁的に終える為に乱暴と誤解を生みかねないものの、全体としては丁寧に作っていると思う。心理描出不足や拙い編集を指摘するコメントを読んだが、僕はほぼ逆の印象を受けた。心理描写に行間を読ませるところが多いだけである。行間を読む力は人によって違うが、この映画くらいでは不足とは言えない。余りありすぎると余情を殺いでしまう。作品に文句を言う前に自らを鍛えるべし。
戦後すっかり定着してしまった“鍵をかける・開ける・閉める”という言い方。鍵と錠とを混同して起きた間違いだが、今これを問題と思っているのは僕くらいだろう。
この記事へのコメント