映画評「神在月のこども」
☆☆★(5点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・白井孝奈
ネタバレあり
旧暦十月になると神が出雲に集まって不在になる為出雲以外の国では神がいなくなるということで、旧暦十月を神無月と言うのは、大人の皆様であれば常識。現在の感覚ではほぼ十一月です。
その頃出雲では逆に神在月となり、神在祭が催される。これが小学生から中学生くらいがターゲットであろうアニメたる本作の前提でござる。
走るのが得意だった母親が若くして亡くなった為に、走るのを厭うようになった小学6年生カンナ(声:蒔田彩珠、幼少時:新津ちせ)が、父親が見学に来た小学校のマラソン大会の後、雨中、母親の形見の勾玉の腕輪を腕にはめると、時が止まったようになり、牛神や夜叉(声:入野自由)や白兎(声:坂本真綾)が現れる。
神の使いである白兎によれば、カンナは、神在祭に間に合うように、行程にある神社のちそう(馳走)を届ける、韋駄天の末裔である。タイムリミットの今夕だが、白兎によれば彼女が今いる世界では時が120倍遅く進む為、僕の計算では一月ほどの猶予がある。
韋駄天の家系をライバル視してその地位を奪おうと狙っている夜叉の存在が、負けず嫌いの彼女に火を付けて、その役目を背負うことになる。結局龍により遣いのお墨付きを貰ったカンナは、白兎だけでなく夜叉をも味方につけて行程を進むが、途中で罪悪感を持つ故に母親に会いたいという欲望にうち負けて、偽の母親といたいが為に、勾玉の腕輪の紐を切ってしまう。
が、ここから克己の心が芽生え、現実時間に戻って時間が迫る中、再び出雲大社を目指す。
一度は自分の弱さに負けて目標を失った子供が克己して目的を果たし、自らの傷も癒していく、というファンタジーの形式を使った再生物語。小学生くらいであれば、余程ひねくれていない限り勇気づけられるお話ではないかと思う。
このお話のベースにある「古事記」「日本書紀」に拘って、デタラメに過ぎる、という意見がある。韋駄天や夜叉が出て来るのはおかしい、といわけである。確かにこれらは基本的にインド産だ。しかし、色々と調べると、韋駄天を祀る神社もあり、そう単純ではないらしい。確かに「古事記」などに出て来た記憶はないが。
いずれにしても、それをハイブリッドと捉えると、面白いとも言える。
原作者は四戸俊成。
伝統を言う人に限って伝統を余り知らない。特に自民党議員が“伝統”と言う時は信用しない方が良い。LGBTQへの否定的見解は明治時代に入って来た、産業革命で労働力を必要とし始めた欧州の考えであって、日本の伝統ではない。日本の古典文学を読むと、本来日本人はLGBTQに寛容だ。良い意味でほぼ無関心だった、ということが解る。
2021年日本映画 監督・白井孝奈
ネタバレあり
旧暦十月になると神が出雲に集まって不在になる為出雲以外の国では神がいなくなるということで、旧暦十月を神無月と言うのは、大人の皆様であれば常識。現在の感覚ではほぼ十一月です。
その頃出雲では逆に神在月となり、神在祭が催される。これが小学生から中学生くらいがターゲットであろうアニメたる本作の前提でござる。
走るのが得意だった母親が若くして亡くなった為に、走るのを厭うようになった小学6年生カンナ(声:蒔田彩珠、幼少時:新津ちせ)が、父親が見学に来た小学校のマラソン大会の後、雨中、母親の形見の勾玉の腕輪を腕にはめると、時が止まったようになり、牛神や夜叉(声:入野自由)や白兎(声:坂本真綾)が現れる。
神の使いである白兎によれば、カンナは、神在祭に間に合うように、行程にある神社のちそう(馳走)を届ける、韋駄天の末裔である。タイムリミットの今夕だが、白兎によれば彼女が今いる世界では時が120倍遅く進む為、僕の計算では一月ほどの猶予がある。
韋駄天の家系をライバル視してその地位を奪おうと狙っている夜叉の存在が、負けず嫌いの彼女に火を付けて、その役目を背負うことになる。結局龍により遣いのお墨付きを貰ったカンナは、白兎だけでなく夜叉をも味方につけて行程を進むが、途中で罪悪感を持つ故に母親に会いたいという欲望にうち負けて、偽の母親といたいが為に、勾玉の腕輪の紐を切ってしまう。
が、ここから克己の心が芽生え、現実時間に戻って時間が迫る中、再び出雲大社を目指す。
一度は自分の弱さに負けて目標を失った子供が克己して目的を果たし、自らの傷も癒していく、というファンタジーの形式を使った再生物語。小学生くらいであれば、余程ひねくれていない限り勇気づけられるお話ではないかと思う。
このお話のベースにある「古事記」「日本書紀」に拘って、デタラメに過ぎる、という意見がある。韋駄天や夜叉が出て来るのはおかしい、といわけである。確かにこれらは基本的にインド産だ。しかし、色々と調べると、韋駄天を祀る神社もあり、そう単純ではないらしい。確かに「古事記」などに出て来た記憶はないが。
いずれにしても、それをハイブリッドと捉えると、面白いとも言える。
原作者は四戸俊成。
伝統を言う人に限って伝統を余り知らない。特に自民党議員が“伝統”と言う時は信用しない方が良い。LGBTQへの否定的見解は明治時代に入って来た、産業革命で労働力を必要とし始めた欧州の考えであって、日本の伝統ではない。日本の古典文学を読むと、本来日本人はLGBTQに寛容だ。良い意味でほぼ無関心だった、ということが解る。
この記事へのコメント
>出雲以外の国では神がいなくなるということで、旧暦十月を神無月と言う
古来日本には八百万も神様がいる事になっとりますので全員出雲に集合したらなんぼ出雲大社が広いて言うてもキッチキチになりますし、留守宅の守りも疎かになると言うことで留守番担当の神さんがいはったらしいです。と、おばあちゃんが言うてました。(この祖母は秋分の日に休みで家にいると、『今日は学校休みか? ああ、新嘗祭やな』とか言う人で民間伝承的には間違ってないかもです。)
神無月で思い出しましたが、30年近く前の本ですが飯嶋和一の「神無き月 十番目の夜」が面白かったです。
>留守番担当の神さんがいはったらしいです
そうなんです(She was right!)。
この映画の、ちそうを出す神々がそれに当たるようです。
>飯嶋和一の「神無き月 十番目の夜」が面白かったです
了解です。
こういう民俗学的な、あるいは文化人類学的な本には興味ありです。