映画評「ル・ミリオン」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1931年フランス映画 監督ルネ・クレール
ネタバレあり
四十余年前、京橋のフィルムセンターで観た。
「巴里の屋根の下」「巴里祭」「自由を我等に」ほど有名ではないかもしれないが、傑作と思う。実際 IMDb では☆☆☆☆☆を進呈した。さすがに調子に乗り過ぎたという感がなきにしもあらずので、ここでは★一つ分落とす。
ある建物の一室で祝賀のどんちゃん騒ぎが繰り広げられている。それが起こるまでの経緯が回想形式で説明される。
可憐な妙齢美人ベアトリス(アナベラ)が恋人の貧乏画家ミシェル(ルネ・ルフェーヴル)に繕いものの上着を返しに行くと、彼はモデルとイチャイチャしている。怒ったベアトリスはその上着を、逃避して来た謎の老人チューリップ爺さん(ポール・オリヴィエ)にくれてしまう。
そこへ彼の親友プロスペル(ルイ・アリベール)が現れてミシェルの買った宝くじが当たったと言うが、肝心の宝くじが上着に入っていたと解った為に、二人は爺さん、古着屋、オペラ歌手を歴訪、挙句、歌手が出演する劇場でミシェル、欲を出したプロスペル、実は犯罪組織の大ボスである爺さん一味が上着の争奪戦を繰り広げる。
という、宝くじ以上に上着が狂言回しとして活躍するドタバタ喜劇。前半の上着の激しい流転ぶりが鮮やかな語り口で頗る面白く、後半上着争奪戦が遂にはラグビー状態になってしまう辺りはスラップスティックス的な意味でゴキゲンと言うべし。
結局ミシェルは無事に宝くじを取り戻し、くだんのどんちゃん騒ぎになるという次第。
「自由を我等に」を見ても解るように、クレールは拝金主義について批判的で、本作では一見金儲けを認めるように見えつつ、貧乏人の射幸心実現の前提となる人情をこそ褒め讃えている。
その意味ではプロスペルは些か残念な人物で、約束を守る律義さにより宝くじ奪還に貢献した犯罪者チューリップ爺さんをクレールは讃えるのだ。
開巻後はクレールの他の作品同様に町の空撮風(明らかなセットなので、クレーンだろう)に始まり、建物のセットを生かした激しい出入りには単なるスラプスティックスに留まらず、その前身である前衛作家ぶりを僅かに発揮してシュールな気分も漂い、映画的に非常に面白い。見どころ多し。
1990年代の映画はもう30年も前だが、現在の映画と大して変わらず、一部の秀作を別にすると、再鑑賞する気が起こらない。やはり1970年代を含む、それ以前の映画の放映についてNHKやWOWOWを含むメディアには一考を求む。本作を再鑑賞したプライム・ビデオは、著作権の切れた(パブリック・ドメインになった)1952年までの一部映画はかなりある(但しDVD画質)が、それ以降の作品は大体において少なくともプライム会員無償枠では観られない。年金が本格的に貰えるようになったら、(今回アジア大会を大量に配信した)U-NEXTあたりと契約しようか。スポーツ関連もどんどんこうした有償メディアに移り、かくして従来スポーツは衰退していく。スポーツ観戦も好きな僕としては、WBCを配信するところが良いか(日本戦以外も見られる)? 五輪だけは心配ないが。
1931年フランス映画 監督ルネ・クレール
ネタバレあり
四十余年前、京橋のフィルムセンターで観た。
「巴里の屋根の下」「巴里祭」「自由を我等に」ほど有名ではないかもしれないが、傑作と思う。実際 IMDb では☆☆☆☆☆を進呈した。さすがに調子に乗り過ぎたという感がなきにしもあらずので、ここでは★一つ分落とす。
ある建物の一室で祝賀のどんちゃん騒ぎが繰り広げられている。それが起こるまでの経緯が回想形式で説明される。
可憐な妙齢美人ベアトリス(アナベラ)が恋人の貧乏画家ミシェル(ルネ・ルフェーヴル)に繕いものの上着を返しに行くと、彼はモデルとイチャイチャしている。怒ったベアトリスはその上着を、逃避して来た謎の老人チューリップ爺さん(ポール・オリヴィエ)にくれてしまう。
そこへ彼の親友プロスペル(ルイ・アリベール)が現れてミシェルの買った宝くじが当たったと言うが、肝心の宝くじが上着に入っていたと解った為に、二人は爺さん、古着屋、オペラ歌手を歴訪、挙句、歌手が出演する劇場でミシェル、欲を出したプロスペル、実は犯罪組織の大ボスである爺さん一味が上着の争奪戦を繰り広げる。
という、宝くじ以上に上着が狂言回しとして活躍するドタバタ喜劇。前半の上着の激しい流転ぶりが鮮やかな語り口で頗る面白く、後半上着争奪戦が遂にはラグビー状態になってしまう辺りはスラップスティックス的な意味でゴキゲンと言うべし。
結局ミシェルは無事に宝くじを取り戻し、くだんのどんちゃん騒ぎになるという次第。
「自由を我等に」を見ても解るように、クレールは拝金主義について批判的で、本作では一見金儲けを認めるように見えつつ、貧乏人の射幸心実現の前提となる人情をこそ褒め讃えている。
その意味ではプロスペルは些か残念な人物で、約束を守る律義さにより宝くじ奪還に貢献した犯罪者チューリップ爺さんをクレールは讃えるのだ。
開巻後はクレールの他の作品同様に町の空撮風(明らかなセットなので、クレーンだろう)に始まり、建物のセットを生かした激しい出入りには単なるスラプスティックスに留まらず、その前身である前衛作家ぶりを僅かに発揮してシュールな気分も漂い、映画的に非常に面白い。見どころ多し。
1990年代の映画はもう30年も前だが、現在の映画と大して変わらず、一部の秀作を別にすると、再鑑賞する気が起こらない。やはり1970年代を含む、それ以前の映画の放映についてNHKやWOWOWを含むメディアには一考を求む。本作を再鑑賞したプライム・ビデオは、著作権の切れた(パブリック・ドメインになった)1952年までの一部映画はかなりある(但しDVD画質)が、それ以降の作品は大体において少なくともプライム会員無償枠では観られない。年金が本格的に貰えるようになったら、(今回アジア大会を大量に配信した)U-NEXTあたりと契約しようか。スポーツ関連もどんどんこうした有償メディアに移り、かくして従来スポーツは衰退していく。スポーツ観戦も好きな僕としては、WBCを配信するところが良いか(日本戦以外も見られる)? 五輪だけは心配ないが。
この記事へのコメント
昔はテレビで映画観て映画ファンになった人、多かったですよね。
>淀川長治「日曜洋画劇場」も、晩年は淀川先生があまりお好きでなさそうなアクション映画みたいのが増えてました。
そうだったです。
僕は気の毒でたまらなかった。先生よりアクションを見る僕ですら見る気が起こらないアクションを見たいわけがないですから。