映画評「RRR」
☆☆★(5点/10点満点中)
2022年インド映画 監督S・S・ラージャマウリ
ネタバレあり
昨年踊りと歌が大いに話題になったインド映画。
舞台は、1920年頃の英国植民地時代のインド。
絶対的な権力を持つインド総督バクストン夫婦(レイ・スティーヴンスン、アリスン・ドゥーディ)に妹マッリを奪われた森林部族の青年ビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)は、彼女を奪還する為に総督府のある大都市デリーに身分を偽って乗り込む。ビームは、列車事故に巻き込まれた少年を助け合ったことで頼りになる年上の青年ラーマ(ラーム・チャラン)と義兄弟の関係になる。
が、ラーマはビームの正体を知ると、自分も警官の立場を明らかにし、戦い合って遂に逮捕する。その虐待の現場を見た土着民たちは怒り狂う。これを見て苦しくなったのは、実はインドの解放の為に警官として雌伏していたラーマ。待ちに待った一揆のチャンスが訪れる寸前だったからだが、チャンスが完全に到達する前に死刑寸前のビームを助け出すことを決意する。
やがて二人で力を合わせて総督夫婦を倒す。
「バーフバリ」で神話への傾倒を示した監督S・S・ラージャマウリは、背景を近代に移しても、ラーマとその恋人シータ(アーリヤ―・バット)を神話「ラーマーヤナ」の同名人物とダブらせるようにお話を構成している。
世評に反して、僕はこの映画を褒める気にはとてもなれない。
まず一つはアクションの7割くらいを占めるスローモーションである。先日「フェイブルマンズ」でスローを使わないことでスティーヴン・スピルバーグを賞賛したように、僕は意味や効果のないスローを嫌悪する。本作で唯一効果があったと思われるのは、マッリの逃走を通常スピードで、ラーマの逃走をスローで、対位法的に捉えるシークエンス。他は意味も効果も薄い。
二人が知り合うきっかけになる鉄道に代表されるようにCGのレベルもそう高くないが、それよりCGによるアクションの不自然な動きにどうも白ける。
勧善懲悪的な脚本は、とりわけ心理面において疑問が多い。
ビームは総督の娘ジェニー(オリヴィア・モリス)に恋に落ちるが、これが全く変なのである。彼女自身は心優しい美人だから恋に落ちるのは自然だが、すれば「ロミオとジュリエット」的な複雑な心境に陥らない(ように見える)のは心理的におかしい。スローで上映時間を稼ぐなら心理の描出に尺を当てろと言いたくなる。彼女がビームに親しみを感じているのに両親に対して大きな抵抗を殆ど見せないのも疑問で、総督府から逃げていたジェニーが両親の死後ニコニコしているのも、総督夫婦を徹底的に悪党に見せつける作品の方針(それ自体が現在の西洋的映画観では疑問)を考慮しても、奇妙である。
ミュージカル的な場面で悲劇調が一転するのは、西洋的な映画観では余り感心できないが、西洋的映画のテンプレートで作っている韓国映画と違って、これは西洋的基準では量れない、インド映画の定まった特徴/様式として理解し、深く追及しないことにする。とは言え、褒めることもできない。
聖書と同じ位の長さがある(と言われる)「ラーマーヤナ」は数年前に何とか読破した。それより更に倍くらいの長さがある「マハーバーラタ」は図書館に完全版があるが、さすがに厳しい。
2022年インド映画 監督S・S・ラージャマウリ
ネタバレあり
昨年踊りと歌が大いに話題になったインド映画。
舞台は、1920年頃の英国植民地時代のインド。
絶対的な権力を持つインド総督バクストン夫婦(レイ・スティーヴンスン、アリスン・ドゥーディ)に妹マッリを奪われた森林部族の青年ビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)は、彼女を奪還する為に総督府のある大都市デリーに身分を偽って乗り込む。ビームは、列車事故に巻き込まれた少年を助け合ったことで頼りになる年上の青年ラーマ(ラーム・チャラン)と義兄弟の関係になる。
が、ラーマはビームの正体を知ると、自分も警官の立場を明らかにし、戦い合って遂に逮捕する。その虐待の現場を見た土着民たちは怒り狂う。これを見て苦しくなったのは、実はインドの解放の為に警官として雌伏していたラーマ。待ちに待った一揆のチャンスが訪れる寸前だったからだが、チャンスが完全に到達する前に死刑寸前のビームを助け出すことを決意する。
やがて二人で力を合わせて総督夫婦を倒す。
「バーフバリ」で神話への傾倒を示した監督S・S・ラージャマウリは、背景を近代に移しても、ラーマとその恋人シータ(アーリヤ―・バット)を神話「ラーマーヤナ」の同名人物とダブらせるようにお話を構成している。
世評に反して、僕はこの映画を褒める気にはとてもなれない。
まず一つはアクションの7割くらいを占めるスローモーションである。先日「フェイブルマンズ」でスローを使わないことでスティーヴン・スピルバーグを賞賛したように、僕は意味や効果のないスローを嫌悪する。本作で唯一効果があったと思われるのは、マッリの逃走を通常スピードで、ラーマの逃走をスローで、対位法的に捉えるシークエンス。他は意味も効果も薄い。
二人が知り合うきっかけになる鉄道に代表されるようにCGのレベルもそう高くないが、それよりCGによるアクションの不自然な動きにどうも白ける。
勧善懲悪的な脚本は、とりわけ心理面において疑問が多い。
ビームは総督の娘ジェニー(オリヴィア・モリス)に恋に落ちるが、これが全く変なのである。彼女自身は心優しい美人だから恋に落ちるのは自然だが、すれば「ロミオとジュリエット」的な複雑な心境に陥らない(ように見える)のは心理的におかしい。スローで上映時間を稼ぐなら心理の描出に尺を当てろと言いたくなる。彼女がビームに親しみを感じているのに両親に対して大きな抵抗を殆ど見せないのも疑問で、総督府から逃げていたジェニーが両親の死後ニコニコしているのも、総督夫婦を徹底的に悪党に見せつける作品の方針(それ自体が現在の西洋的映画観では疑問)を考慮しても、奇妙である。
ミュージカル的な場面で悲劇調が一転するのは、西洋的な映画観では余り感心できないが、西洋的映画のテンプレートで作っている韓国映画と違って、これは西洋的基準では量れない、インド映画の定まった特徴/様式として理解し、深く追及しないことにする。とは言え、褒めることもできない。
聖書と同じ位の長さがある(と言われる)「ラーマーヤナ」は数年前に何とか読破した。それより更に倍くらいの長さがある「マハーバーラタ」は図書館に完全版があるが、さすがに厳しい。
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