映画評「ジェラール・フィリップ 最後の冬」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2022年フランス映画 監督パトリック・ジュディ
ネタバレあり

僕はジェラール・フィリップの作品は、あるいは全部観ているかもしれない。とにかく大好きな俳優である為、本作に対する星の数が多くなってしまったかもしれない。悪しからず。

構成がめちゃめちゃと言う意見がかなり多いものの、僕はその構成こそ一番良いし、面白いと思った。彼らとは映画の見方が違うのですな。

最初はホーム・ビデオ(と言ってもフィルムだが)で、学者のインテリ妻アンヌと二人の子供たちと海で過ごす様子から始まり、病気で悩んでいる事情から、回想的に暫し映画俳優になる前のことから叙述されていく。
 父親はファシストで、対独協力者として死刑になりかけたのを、俳優としての地位を築いていた息子が救う。その息子は正反対に人権主義者で共産主義シンパになる。口跡が素晴らしく文学の朗読も多く行ったが、「資本論」(勿論一部だろう)もやったらしい。
 この辺りの、通常は語られない部分が相当興味深い。

病気(末期の肝臓癌)について触れながら随時時を遡る。つまり、この映画は編年的ではなく、紀伝式にテーマごとに叙述を進める(原作はジェローム・ガルサン)形式なのである。それが解れば、構成がめちゃくちゃという意見こそ結構めちゃくちゃ(デタラメとまでは言えない)なのだ。

 イヴ・アレグレ監督「狂熱の孤独」(1953年)以降、その医師役が彼を悩ませたようである。個人的にはその前後の作品より劣ると思うが、一部では評価される作品だ。
 また、日本では殆ど知られていないが、日本未公開の「ティル・オイレンシュピーゲルの冒険(戦いの鐘は高らかに)」(1956年)への酷評は、鬼のように厳しいフランソワ・トリュフォーの批評を繰り出すまでもなく、尤もと言うしかない。NHK様(笑・・・20年くらいまでNHK-BSは映画ファンにとって神様の様だったのだ)のおかげで観ることができたが、彼の出演作の中で唯一☆☆★に届かず☆☆にした記憶がある。様々な制限下で作られた為に、その出来栄えについては本人も解っていた模様。

年上の細君のおかげで演技も幅を狭めずに済んだのは映画ファンにとっては僥倖だった。この辺りに、微笑ましくも、彼は恐妻家だったのではないかという雰囲気が漂う。

最後は文字通り彼の最期を綴っているが、マルセル・カルネの秀作「愛人ジュリエット」(1951年)のラスト・シーンで振り返るところでストップ・モーション。身内の死のように涙が出てきました。

長生きしていたら、トリュフォーはきっとジェラール・フィリップを主演に起用した映画を作ったのではないか。トリュフォーくらい自分の映画指向を理解できていなかった監督はいないと思う。後年、若い時に批判した大監督のような(しかし、新しいタイプの詩的リアリズムとでも言うべき)ムードを漂わす映画を作って行った。

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