映画評「真珠」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1946年メキシコ=アメリカ合作映画 監督エミリオ・フェルナンデス
ネタバレあり

大学の第二語学に選んだ英語の教材がジョン・スタインベックの中編「真珠」だった。確かこれは文庫本が出ている筈と本屋で買って来たが、講師は学生の行動を見越して、角川文庫の大門一男の訳のミスを早々に指摘した。それでも、僕は参考にはしたが。

これは原作の舞台であるメキシコのエミリオ・フェルナンデスが、スタインベックと共同脚色して自ら映像に移した秀作。

メキシコで乳飲み子のいる若いインディオの漁師キーノ(ペドロ・アルメンダリス)が大きな真珠を発見する。これが街にまで伝わる評判になって、赤ん坊がサソリにさされた時に相手にしなかった医者が現れて、酔わせて盗もうとするが果たせない。ディーラーたちはまがいものと嘘を付いて略取しようとするが、真珠を売った大金で子供を教養のある人間にしたい夢を持ったキーノは騙されない。
 これに腹を立てたディーラーたちが殺してまで奪おうとするので、彼は愛妻フアナ(マリア・エレナ・マルクェス)と共に逃亡するが、逃げに逃げた末に子供は撃たれて死に、故郷に戻った夫婦は真珠を海に捨てる。

映画の中でも言われるが、人間の金銭欲に対する醜悪さが主題である。勿論作者は、 “持たない者” である主人公が夢の実現の為に真珠に固執するのを直接的には責めない。殺人をも厭わぬ “持つ者” の果てしない欲望を唾棄するのである。

お話としては、一家が逃げ続ける様子を長く綴る部分が、大衆映画のそれとは少し違う、粘っこいサスペンスを醸成して迫力がある。これが日本で初めて公開されたメキシコ映画らしいので、TVもない70年以上前に本作を見た日本人は、野趣いっぱいのメキシコの風俗と荒々しい自然に魅了されたことだろう。

画面は同時代の水準的なアメリカ映画を遥かに凌ぐ構図的なもので、文句の付けようがない。もっと解像度の高いもので見られれば、☆★がもっと増えたかもしれない。

通称ミッキーマウス法のせいで、著作権保護がどんどん長くなり、古い映画がなかなか観られない。ミッキーマウスは商標権だけで守って欲しかったよ。せめて著作権保護期間が公表後50年であれば、大分観られる映画が増えると思うのだが。個人の死後70年はもっとひどい。作者は護られるべきだが、子孫を長く護る必要はない。著作権保護が余りに長いと、殆どの作者は却って忘れられてしまう。明治・大正に大人気作を発表した菊池幽芳や柳川春葉を知っている人がどのくらいいるだろうか? 二人とも10回以上映画化された作品を書いているのだが。

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