映画評「ガラスの城」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1950年フランス映画 監督ルネ・クレマン
ネタバレあり

戦前から1950年代まで映画界に人気のあった女流作家ヴィッキー・バウムの「誰も知らない」をルネ・クレマンが映画化。
 秀作の多いクレマンの中では最も無名に近い作品で、僕もそう面白く見たとは言えないが、つぶさに見ていけば女性側の恋愛心理映画としてなかなか面白いのではないかと思う。

スイスの湖で、フランスのセールスマンであるジャン・マレーと、同国判事ジャン・セルヴェの妻ミシェル・モルガンがラブ・シーンを演じている。判事は20km離れた女友達エリサ・チェガーニの別荘で彼女とチェスをしている。

何だか途中から始まるようなお話で、さすがのクレマン先生も寝ぼけたかと思ったが、双葉十三郎氏はこれを “恋愛成立後の心理を描くのが目的だから” と仰っている。さすがに僕などとは分析力が違うと脱帽した。

マレーはミシェルと楽しみながらも時計を非常に気にし、それに対し彼女は “時計を見るくらいなら、早く出て行ってくれたほうが良い” と言う。
 この辺りの心理は、後半夫に内緒でパリに出かけてマレーとアヴァンチュールを楽しんだ後に、 半ば主客転倒した形で再現されて映画的に相当興味深い。 “半ば” なのは常に時間を気にしているのは、 女を真に愛することができず、愛されることを求める(パリの恋人エリーナ・ラブールデットの発言による)マレーだからである。

彼女は恐らく深層心理が働いて最初の搭乗予定の列車に乗り遅れ、暫しアヴァンチュールの延長を楽しむ。彼女は代わりに乗った飛行機が墜落して夫が事件の真相を知って、死んだ為に叱責できない妻の代りにそれを黙認したエリサに怒るという白昼夢を見(妄想す)る。
 結局彼女は次の列車も逃して妄想通り飛行機で飛び立つ。

この幕切れは墜落の音を交えて悲劇も暗示させるが、僕はこれはひっかけで、そうならないと思う。それでは余りにメロドラマ的で、最後の白昼夢で表現されたヒロインの自暴自棄の心理が却って生かされない。

かく、ヒロインの心理に集中して見れば結構いけると思う。多分1980年代に一度見ているが、前回同様どうも映画の狙いが掴み切れなくて前半少々当惑かつ退屈した為、星を控え目にする。

僕はどうもこれをフランソワーズ・サガンを原作とする「スエーデンの城」と混同する。

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