映画評「イディオッツ」

☆☆(4点/10点満点中)
1998年デンマーク=フランス=ドイツ=オランダ=スウェーデン=イタリア合作映画 監督ラース・フォン・トリアー
ネタバレあり

映画作りにおいてあらゆる人工的なものを排することを方針としたドグマ95の一員としてラース・フォン・トリアーが作った作品。広い意味でコメディーである。
 いかに巧い嘘を付くかを良い劇映画の基準と考える僕には、ドグマ95の製作方針は受け入れがたいものがある。これらの方針で作られた作品にも良いものがあるが、本作のように楽しめないものも少なくない。

一人の中年女性カレン(ボディル・ヨルゲンセン)がレストランで食事をとっている時に、知的障碍者グループの騒ぎに巻き込まれる。
 実は、この連中は偽物。この世の中とりわけ中流階級の偽善を嫌うストファー(イェンス・アルビヌシュ)をリーダー格として形成されたグループで、彼は、一時的に住まわさせて貰っている伯父の売り家に買手が現れると、隣に障碍者施設があると称し、仲間たちをうろうろさせて撃退する。

といったエピソードが続いた後、仲間の一人が父親に連れ帰られるといった事件などをもってこのグループは自然消滅する。かくしてカレンは息子の葬式の一日前に姿を消した家に戻るが歓迎して貰えず、付いてきてくれた仲間の女性と共に家を去っていく。

文学的に捉えれば、民主主義を筆頭にした現代文明批判が内容であろうが、展開の三分の二くらいまでは一人合点に終始してそうした理解からも遠いし、僕の嫌いなハンディカメラを(カメラを振るなど)嫌いなように使っているのだから楽しめようがない。

10年以上前のデビューからの二作は難解ながら、表現主義的な画面に魅力があり、論理的に考える気にもさせてくれたが、本作はそういう魅力にも欠ける。僕にはフォン・トリアーの人間観が多少分かった気がするのが取り柄という程度。

仮に反社会的組織のボスが、善行をしてその結果めぐりめぐってお金を儲けたとしても、その行為が偽善であるかどうか当人以外の誰にも分らない。余りに安易に偽善呼ばわりする風潮は嫌いだ。

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