映画評「ヒトラーのための虐殺会議」

☆☆★(5点/10点満点中)
2022年ドイツ映画 監督マッティ・ゲショネック
ネタバレあり

イスラエルがハマスのテロへの報復としてガザを激しく攻撃している現在、1942年に開催されたユダヤ人問題の最終的解決をめぐる会議の議事録をそのまま映像化した本作を観るのは、それ以前とはまた違った意味を成すであろう。

1942年1月。ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊大将(フィリップ・ホフマイヤー)がヴァンゼー(ヴァン湖)の邸宅に、8名の学者と7名の幹部を招聘し、ユダヤ人問題の最終的解決について会議を催す。
 ユダヤ人問題の最終的解決とは、即ちユダヤ人絶滅のことを指す。一見ユダヤ人配慮と思われる発言をする者も実はドイツ人を思って発言しているのであり、銃殺では手間ひまと銃弾が勿体ないからとガスによる毒殺が発案され、混血児をめぐる面倒臭い処理は断種が発案される。
 会議の議事録を最終的にまとめたのは、中間管理職なのに名を良く知られるようになったアドルフ・ハイヒマン。

その後ナチスが実際に遂行したことは様々の映画やTV番組等を通してよく知られているので、その中身に今更驚かないが、ただそれが通常の営業会議のように淡々と決められていく様子が恐ろしい。ただ業務としてしか事を処理しない彼らが全く異常者でないことが異常なのである。

とは言え、映画芸術的にこれが特筆すべきかと言えば否であり、色々と好奇心旺盛の僕にとって良い勉強になったという印象に留まる。

イスラエルのやることを批判すると、ホロコーストを免罪符とする人々から反ユダヤ主義と言われるが、僕は疾うの昔からそれは馬鹿らしいと言って来た。ホロコーストはなかったとする人々は反ユダヤ主義だが。アメリカは、イスラエルを難詰こそしないが、その激しい攻撃性を抑えるに難儀、自分の傀儡国家と言えないこともないイスラエルの暴走に困っている状態である。ここへ来てイスラエルも世界の非難に少し態度を変えたが、この後どうなっていくか。

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