映画評「死んでもいい」(1992年)
☆☆☆(6点/10点満点中)
1992年日本映画 監督・石井隆
ネタバレあり
1962年にジュールス・ダッシンがギリシャ悲劇「フェードラ」を現代化した映画を作り、日本では「死んでもいい」のタイトルで公開された。ダッシンの映画は結構観ているが、残念ながらこれは未見である。
同じ題名を持つ本作は、その30年前の作品とは勿論関係なく、西村寿行の弟の西村望の小説「死の蛾」を石井隆が自ら脚色して映画化した、第2作である。
駅で衝突した色っぽい人妻・大竹しのぶに魅入られた若者・永瀬正敏が、彼女を追いかけ、その夫・室田日出男の営む不動産屋を通してぼろアパートを借りることに、また、同社に雇ってもらうことを強引に頼み込む。人の良い室田氏は承諾するが、若者はアパートを案内した彼女を犯してしまう。嫌がっていた彼女も相手の子供っぽい一面にほだされ、情人関係に陥る。
社員旅行で二人の関係は露呈し、若者は首になるが、彼女は彼を探し出して関係が続く。やがて、若者は雨の降った日に室田氏を殺すと告げ、夫婦が閉塞した夫婦関係を打開しようと楽しむことにしたホテルの部屋に入って、元雇い主を激しく殴打する。
というお話は、放浪の若者が入ったガソリンスタンドで人妻を見初めて懇ろになり夫を殺す「郵便配達は二度ベルを鳴らす」とは事の順番こそ違え、構図はそのまま。
左脳人間の僕には最後が曖昧なのが不満である。夫は瀕死と見えたが、死んだか否か。多分死んだから未だ騒ぎになっていず、ホテルで騒ぎになる前に彼女が彼を逃そうとしているところで終了という感じなのだろうが、ちょっと気取り過ぎという気がする。
日本ではまだ不倫=悪という儒教や古い宗教戒律に縛られている人が寧ろ昭和時代より多い気さえする現在であるが、何故不倫が道徳的に悪になったか想像すれば、子供が出来た際の認知の問題が面倒くさいから、あるいは人間には嫉妬という厄介な気持ちを持ちがちであるからその発生を抑える為に、数千年前の人が知恵を絞った結果と思われる。父権主義時代のデタラメなどを考えれば、不倫をした方が悪いとは限らないということを承知しておくべきである。
この作品の夫には大きな問題はないが、ヒロインの二人とも愛したいという感情を論理的=精神分析的=ではない形で把握しないと本作は理解できないであろう。僕は左脳人間だが、彼女を精神分析的に理解したいとは思わない。
佐々木原保志を撮影監督に据えた画面がなかなか良い。とくに川べりの宿屋での長回しと、夕方の材木河岸を歩く二人をカメラが後ろから追うショットがムード満点で魅力的だ。
不動産屋のショットは途中からずっとロー・ポジション・カメラ。元々は、女性のスカートの中を覗き見したい室田の助平心を反映しているらしいのも愉快。
不倫を問題と思う人は、近松の心中ものを何本か観るべし。
1992年日本映画 監督・石井隆
ネタバレあり
1962年にジュールス・ダッシンがギリシャ悲劇「フェードラ」を現代化した映画を作り、日本では「死んでもいい」のタイトルで公開された。ダッシンの映画は結構観ているが、残念ながらこれは未見である。
同じ題名を持つ本作は、その30年前の作品とは勿論関係なく、西村寿行の弟の西村望の小説「死の蛾」を石井隆が自ら脚色して映画化した、第2作である。
駅で衝突した色っぽい人妻・大竹しのぶに魅入られた若者・永瀬正敏が、彼女を追いかけ、その夫・室田日出男の営む不動産屋を通してぼろアパートを借りることに、また、同社に雇ってもらうことを強引に頼み込む。人の良い室田氏は承諾するが、若者はアパートを案内した彼女を犯してしまう。嫌がっていた彼女も相手の子供っぽい一面にほだされ、情人関係に陥る。
社員旅行で二人の関係は露呈し、若者は首になるが、彼女は彼を探し出して関係が続く。やがて、若者は雨の降った日に室田氏を殺すと告げ、夫婦が閉塞した夫婦関係を打開しようと楽しむことにしたホテルの部屋に入って、元雇い主を激しく殴打する。
というお話は、放浪の若者が入ったガソリンスタンドで人妻を見初めて懇ろになり夫を殺す「郵便配達は二度ベルを鳴らす」とは事の順番こそ違え、構図はそのまま。
左脳人間の僕には最後が曖昧なのが不満である。夫は瀕死と見えたが、死んだか否か。多分死んだから未だ騒ぎになっていず、ホテルで騒ぎになる前に彼女が彼を逃そうとしているところで終了という感じなのだろうが、ちょっと気取り過ぎという気がする。
日本ではまだ不倫=悪という儒教や古い宗教戒律に縛られている人が寧ろ昭和時代より多い気さえする現在であるが、何故不倫が道徳的に悪になったか想像すれば、子供が出来た際の認知の問題が面倒くさいから、あるいは人間には嫉妬という厄介な気持ちを持ちがちであるからその発生を抑える為に、数千年前の人が知恵を絞った結果と思われる。父権主義時代のデタラメなどを考えれば、不倫をした方が悪いとは限らないということを承知しておくべきである。
この作品の夫には大きな問題はないが、ヒロインの二人とも愛したいという感情を論理的=精神分析的=ではない形で把握しないと本作は理解できないであろう。僕は左脳人間だが、彼女を精神分析的に理解したいとは思わない。
佐々木原保志を撮影監督に据えた画面がなかなか良い。とくに川べりの宿屋での長回しと、夕方の材木河岸を歩く二人をカメラが後ろから追うショットがムード満点で魅力的だ。
不動産屋のショットは途中からずっとロー・ポジション・カメラ。元々は、女性のスカートの中を覗き見したい室田の助平心を反映しているらしいのも愉快。
不倫を問題と思う人は、近松の心中ものを何本か観るべし。
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