映画評「To Leslie トゥ・レスリー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年アメリカ映画 監督マイケル・モリス
ネタバレあり
僕くらいの年になると、こういうインディ映画のほうにぐっと来ることが多い。
6年前に19万ドルを当てたが故に却って酒に溺れてしまった中年女性アンドレア・ライズボローは、モーテルを追い払われて、今は19歳になった心優しい愛息オーウェン・ティーグに頼るが、酒を断てずにさすがに追い出され、生まれ故郷の町の知り合いスティーヴン・ルートとアリスン・ジャニーのお世話になろうとする。しかし、彼らも酒場からの電話で腹を立て、またまた追い出される。
そこで仕方なくモーテルの庭で眠っていた関係で、管理人(実質的経営者)マーク・マロンに宿を提供してもらい、かつ、従業員として雇ってもらえる。それでも酒場に入り浸り、色々と面倒を引き起こすが、マロンは彼女に立ち直って貰いたくて面倒を見るうち、彼女も酒を断とうと努力し始める。
そこに乗じて、マロンは、彼女を嫌うアリスンたちも間違いなく参加する町のフェスティヴァルに誘う。案の定彼女は嫌がらせを受け現場を去るが、もはや町を去ることは出来ない。
それでも遂に酒を断った彼女は、モーテルの真の所有者の変人アンドレ・ロヨが放置していた小屋を改築してダイナーを始めることにする。
僕は麻薬は勿論酒も嗜まないが、今精神安定剤の後遺症らしきものにちょっと悩まされている。精神安定剤で不安に打ち勝ったが、その翌日から不安が恐怖に変わり、暫く薬に頼り、今は薬に頼る必要は殆どないが、それでも勝手に血管が縮こまって軽い頭痛が起き、やがて去るといったことを繰り返している。これを経験して麻薬依存症と言われる人の苦しみが多少想像出来た気がする。
煙草や麻薬や酒の依存症にならないよう、僕はそもそもこうしたものに好奇心を持たないことが肝要と言っているのだが、酒だけは人との付き合いで全くやらないというわけには行かない。
僕は、2009年に膵炎に倒れてから一切酒を飲まなくなった。忍耐力に関して僕は人後に落ちない。チャドクガによる物凄い痒みにも、かかずに耐えた(これは自慢して良いのではないか)。
そういう意味で、このヒロインの前半はさすがに弱い人間だなあと同情も出来ずにいたが、モーテルに雇われてからそこはかとなく堪えている様子に “頑張れ!” という気分に代わって来た。
映画サイトを見ると性格に問題ある人をくさし、それを根拠に映画をも貶す人がいるが、ジャンル映画と違って人間劇(ドラマ)は人を見つめるジャンルなのだから、どんな主人公・副主人公をも公平に見ないといけない。大体この手のドラマは最初はダメでも段々克己していくのを見るわけだから、 最初の段階で “嫌いなタイプだから云々” ではお話にならない。
かくして僕は最後には涙を流すことになった。息子との再会は勿論感動的なのだが、彼女自身の克己や意地悪をしてきたアリスンの心底の優しさにぐっと来る。
マロンの優しさは、恐らく個人的に好みの女性だったということがベースにあり、かつ、彼が人の弱さを知っていたことに因ると、僕は勝手に推測している。人の弱さを知っている人は立派と思う。
ドリー・パートンのカントリーに始まり全編カントリーで彩られるこの映画は、文字通りカントリー調の映画と言うべし。
劇中で何曲か聴かれ、名前も出て来るウェイロン・ジェニングズのアルバムは持っていない(笑)。
2022年アメリカ映画 監督マイケル・モリス
ネタバレあり
僕くらいの年になると、こういうインディ映画のほうにぐっと来ることが多い。
6年前に19万ドルを当てたが故に却って酒に溺れてしまった中年女性アンドレア・ライズボローは、モーテルを追い払われて、今は19歳になった心優しい愛息オーウェン・ティーグに頼るが、酒を断てずにさすがに追い出され、生まれ故郷の町の知り合いスティーヴン・ルートとアリスン・ジャニーのお世話になろうとする。しかし、彼らも酒場からの電話で腹を立て、またまた追い出される。
そこで仕方なくモーテルの庭で眠っていた関係で、管理人(実質的経営者)マーク・マロンに宿を提供してもらい、かつ、従業員として雇ってもらえる。それでも酒場に入り浸り、色々と面倒を引き起こすが、マロンは彼女に立ち直って貰いたくて面倒を見るうち、彼女も酒を断とうと努力し始める。
そこに乗じて、マロンは、彼女を嫌うアリスンたちも間違いなく参加する町のフェスティヴァルに誘う。案の定彼女は嫌がらせを受け現場を去るが、もはや町を去ることは出来ない。
それでも遂に酒を断った彼女は、モーテルの真の所有者の変人アンドレ・ロヨが放置していた小屋を改築してダイナーを始めることにする。
僕は麻薬は勿論酒も嗜まないが、今精神安定剤の後遺症らしきものにちょっと悩まされている。精神安定剤で不安に打ち勝ったが、その翌日から不安が恐怖に変わり、暫く薬に頼り、今は薬に頼る必要は殆どないが、それでも勝手に血管が縮こまって軽い頭痛が起き、やがて去るといったことを繰り返している。これを経験して麻薬依存症と言われる人の苦しみが多少想像出来た気がする。
煙草や麻薬や酒の依存症にならないよう、僕はそもそもこうしたものに好奇心を持たないことが肝要と言っているのだが、酒だけは人との付き合いで全くやらないというわけには行かない。
僕は、2009年に膵炎に倒れてから一切酒を飲まなくなった。忍耐力に関して僕は人後に落ちない。チャドクガによる物凄い痒みにも、かかずに耐えた(これは自慢して良いのではないか)。
そういう意味で、このヒロインの前半はさすがに弱い人間だなあと同情も出来ずにいたが、モーテルに雇われてからそこはかとなく堪えている様子に “頑張れ!” という気分に代わって来た。
映画サイトを見ると性格に問題ある人をくさし、それを根拠に映画をも貶す人がいるが、ジャンル映画と違って人間劇(ドラマ)は人を見つめるジャンルなのだから、どんな主人公・副主人公をも公平に見ないといけない。大体この手のドラマは最初はダメでも段々克己していくのを見るわけだから、 最初の段階で “嫌いなタイプだから云々” ではお話にならない。
かくして僕は最後には涙を流すことになった。息子との再会は勿論感動的なのだが、彼女自身の克己や意地悪をしてきたアリスンの心底の優しさにぐっと来る。
マロンの優しさは、恐らく個人的に好みの女性だったということがベースにあり、かつ、彼が人の弱さを知っていたことに因ると、僕は勝手に推測している。人の弱さを知っている人は立派と思う。
ドリー・パートンのカントリーに始まり全編カントリーで彩られるこの映画は、文字通りカントリー調の映画と言うべし。
劇中で何曲か聴かれ、名前も出て来るウェイロン・ジェニングズのアルバムは持っていない(笑)。
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