映画評「遠い夜明け」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1987年イギリス=アメリカ=ジンバブエ合作映画 監督リチャード・アッテンボロー
ネタバレあり

35年前Jターンして住みついた埼玉中部から東京まで出かけて観た。多分それ以来の再鑑賞ではないだろうか。

当時はまだマンデラも解放されていず、アパルトヘイトも存在していたが、南アのアパルトヘイトをめぐる映画が色々と作られ、恐らくその影響もあって、3年も経たない1990年2月にマンデラは釈放され、程なくアパルトヘイトも撤廃された。
 南アの黒人住民にひどいことばかりしてきた白人の中にも立派と言える人はいるもので、 マンデラを釈放したデクラーク大統領もそうした人物であろう。 "時代の力学さ" と言うなかれ、 伝統なるものを変えることが人間にとってなかなか難しいのは、未だに夫婦別姓に反対し続ける自民党右派を見れば解る。

1977年南ア。リベラル新聞社の編集長ドナルド・ウッズ(ケヴィン・クライン)が、白人差別主義者(白人の差別主義者ではなく、白人差別の主義者)と非難した抗アパルトヘイト運動家スティーヴ・ビコ(デンゼル・ワシントン)の実相を知ろうと接近した結果すっかり彼のファンになる。が、恐れを知らぬビコは結局留置所で拷問死する。

という前半は、今流行の調査報道ものに近い体裁で、実にしっかりと体制側がテロとする運動の実態を描いている。
 僕も小中学時代にPLOを過激派とする報道を信じて悪い奴らと思い込んでいたが、ある程度の年齢になって、体制側の言うテロはテロではないことに気付いた。自由や平和などの希求に応じれば彼らの危険な行動は止む。そこが、自分の考えと違う者には尽く向かっていく野心いっぱいのイスラム国などとは違うのである。

さて、体制側は官憲の不都合な真実を明らかにしようとするウッズの身動きが取れないように家族を除く他人と二人以上で会ってはいけないなどと命令を下す。しかし、ジャーナリスト精神に突き動かされた彼は英国で真実を発表すべく、英国への脱出を考え、家族と別々に行動するという作戦で実行に移す。

後半はうって変わって脱出サスペンスであるが、前半で彼の立場をきちんと描いているから、トーンを少し異にする後半へとスムーズに移行することができる。前半のようなお堅いままでは大衆の関心も続かない筈なのでサスペンスに変えた作者側の作戦は賢いと思う。アパルトヘイト問題に絡んで亡くなった英雄たちを取り上げるにしても、硬派のままでは多くの大衆の関心を引き付け続けることができず、結果的に作者の問題提示は空振りに終わってしまったかもしれない。

後半の中核を成す、ウッズの脱出模様と家族の合流に向けての急行とをクロス・カッティングで描いたシークエンスが見事に手に汗を握らせてくれる。主人公の思いの強さが表現されるこの強いサスペンスがあるから、英雄たちの不条理な死が鑑賞者の頭に残るのである。

リチャード・アッテンボロー監督は、今回マッチカットなど華やかな技法は殆ど使っていないが、やはり上手い。

昨日の新聞に “特にドイツではイスラエル批判は反ユダヤ主義と捉えられてしまう” という識者の問題指摘が載っていた。 ホロコーストの過去が加害の免罪符となるという考えは愚かであろう。その理屈が通るなら、犯罪被害者は加害者をリンチしても良いということになってしまう。国家も個人も変わらない筈。違うと言う人はダブル・スタンダードだ。

この記事へのコメント

十瑠
2023年12月10日 11:10
録画DVDはまだ見つかっていませんが、博士の記事に少しだけ感触を思い出しました。
後味としてはハラハラサスペンスを堪能しつつ、正義感も高揚させられた、でしょうか?

>当時はまだマンデラも解放されていず、アパルトヘイトも存在していた

この辺りの製作者の姿勢にも感心してしまうんですよね。
オカピー
2023年12月10日 17:42
十瑠さん、こんにちは。

>後味としてはハラハラサスペンスを堪能しつつ、正義感も高揚させられた、でしょうか?

そういうことになると思います。
やはり娯楽性が低いと、大衆には響かない。最近の調査報道ものもこの辺りの匙加減が上手いものが多いので、大いに観るべし、です、です。

>この辺りの製作者の姿勢にも感心してしまうんですよね。

英米の映画人はこの辺の気合の入り方が違いますよね。
日本は実名を出さない、もしくは出せない文化ですので、この手のドラマ映画がなかなか作れないのです。
mirage
2024年01月05日 16:12
こんにちは、オカピーさん。

1990年2月、28年間、獄中にあったアフリカ民族会議(ANC)の指導者ネルソン・マンデラ氏が釈放されたニュースが全世界に流れました。

「ガンジー」「素晴らしき戦争」などのリチャード・アッテンボロー監督は、長年、人種問題に取り組んできた信念の映画作家だと思います。

この映画「遠い夜明け」は、公開年から考えて、マンデラ氏の釈放を予言したような作品で、原作を書いた実在のドナルド・ウッズの体験をもとに映画化されていて、舞台は南アフリカ、1975年の11月から、この物語は始まります。

反アパルトヘイトの黒人運動家ビコ(デンゼル・ワシントン)と、新聞社のウッズ編集長(ケヴィン・クライン)との運命的な出会いがストーリーの発端になります。

南アフリカの新聞社のウッズ編集長のところへ、黒人女性ランベール医師が訪れます。
黒人運動家ビコを批判した記事を載せたことに対する抗議でした。
このことがきっかけになって、ウッズはビコに会う運命になったのです。

ビコは警察の監視下にあったが、彼とその仲間たちは、コミュニティセンターを建設して、自主独立の準備を進めていた。
ウッズは、ビコの人間性と理論に次第に共感を覚えて、記事の面でも協力的になっていくが、南アの権力者たちは、そんなウッズの行動を好ましく思いませんでした。

ある夜、コミュニティセンターが襲撃されるという事件が起きます。
犯人は、警察だった。ウッズは、目撃者がいることを親しいクルーガー警視総監に相談に行きます。
ところが、この警視総監は、アパルトヘイトの強力な推進者であったため、当局の黒人弾圧は一層厳しくなっていきます。

ビコは、ケープタウンの集会へ向かう途中、検問にあって逮捕される。
そして、厳しい拷問の末、死亡するという事件が起きました。
この国の将来を憂えるウッズは、新聞記者としての使命、あるいは人間として、南アフリカの現状を全世界に訴えたいと決心します

だが、当局に監視されているウッズは、出国することが出来ないのです。
このような状況の中、イギリスから本の出版の話がもちあがると、ウッズは亡命することを決意します。

そして、1977年の大晦日の夜、神父に変装したウッズは、仲間の黒人たちの協力を得て国境を越えることに-----------。

歴史的にみれば、白人が南アフリカに渡って国をつくったのは1652年。
当時の南アフリカの人口は2,900万人で、そのうち白人は450万人にすぎませんでした。

各国の上映では、様々な論争を巻き起こしたと言われていますが、「遠い夜明け」は、あくまでも、人間としての人道的な視点、中立的な視点を失っていないからこそ、感動を呼ぶのだと思います。
オカピー
2024年01月05日 18:20
mirageさん、こんにちは。

>人間としての人道的な視点、中立的な視点を失っていないからこそ、感動を呼ぶのだと思います。

そういうことだと思います。
昨今のメジャー映画には、それができていない作品が多い気がします。