映画評「TAR/ター」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年アメリカ映画 監督トッド・フィールズ
ネタバレあり
実話ものと思って観ていたが、全く違いましたがな。
女性初のベルリン・フィル首席指揮者であるリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は作曲者としても才能を発揮するなど物凄い天才であるが、その成し遂げた業績のせいか鼻を高くしているらしく、アカデミーで教えている生徒に嫌味を言ったり、高慢で少々問題のある人物である。コンサート・マスターの女性シャロン(ニーナ・ホス)を妻とする同性夫婦の夫側にあり、ペトラ(ミラ・ボゴイェヴィッチ)という養女がいる。
やがて有望な女性チェリストのオルガ(ソフィー・カウアー)を新プログラムのソリストとして迎える。有頂天のある日、彼女に冷遇された元教え子の女性指揮者が自殺する。彼女と連絡を取り合っていたらしい秘書で指揮者候補のフランチェスカ(ノエミ・メルラン)が去る。
学会でパワハラ・セクハラが問題として浮上すると、シャロンも去って子供にも合わせない。悪運が重なって練習用に据えた住居も追い出され、完全に干されてしまう。
というお話で、これ以降のシーンの数々は、精神のバランスを失ったヒロインの幻想かもしれないと思わないでもなかったが、どうも違う。
東南アジアに赴くのは若い時に南米に行ったという挿話と重なるものがあり、実家に帰り子供時代に見たビデオを見て原点に帰ったと思えば実際的な展開に見えて来る。求めて来る相手には拒まず呼応する境地。子供相手やゲーム「モンスターハンター」BGMの指揮も立派な仕事と僕は思う。少なくとも彼女が最終的に辿り着いた心境において、この終幕はハッピー・エンドだ。
彼女が車のハンドルを握る場面が多く、主観ショットから成るトンネルの中のそれは、彼女の音楽求道者の孤高の心理が反映されているような気がする。オルガは若々しくて天真爛漫で、音楽に関係するところにおいて極めてターと対照的であると同時に、彼女の登場後ヒロインにとっては悪いことが起き始めるという設定が面白い。オルガが消えた巣窟のようなところで、ヒロインは何者かに襲われる。これを見ると、オルガが悪魔の遣いのような印象さえ漂わす。
コンプライアンス(法令順守)に煩くなった現在では仕方がないと思うものの、かかるパワハラは比較的最近まで指揮者に相当する人物のいる業界では当たり前なことであっただろう。現在の基準では黒澤明も溝口健二もパワハラをやったことになりかねない。
ヒロインの場合は諸事情から確かにあったのだろうと思わされる一方、亡くなった若い指揮者の詳細がない為不明ながら、彼女が一方的に思いを寄せていた逆恨みの可能性があり、その逆恨みからある種の陰謀が起きたと考えられないでもない。僕は必ずしも自業自得とは考えない。寧ろ、パワハラを極悪と考え冤罪を生みかねない風潮と、それを助長するSNS時代の怖さを感じるのである。
ケイト・ブランシェットの演技が圧巻。これを堪能すべし。
ジャッキー・チェンの映画がエンディングでNG集を、あるいはTV番組でもそういうのを見せた時代がある。後者に関してはビデオだから許されたという面があるが、フィルムが貴重な時代では一人の失敗が大きなコストになるわけで、役者は笑ってはいられない。黒澤明の役者に対する厳しさを見ているが故に、かかるNG集を見て複雑な思いをした。失敗をして笑っていられるような環境で本当に良いものが作れるのか?
2022年アメリカ映画 監督トッド・フィールズ
ネタバレあり
実話ものと思って観ていたが、全く違いましたがな。
女性初のベルリン・フィル首席指揮者であるリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は作曲者としても才能を発揮するなど物凄い天才であるが、その成し遂げた業績のせいか鼻を高くしているらしく、アカデミーで教えている生徒に嫌味を言ったり、高慢で少々問題のある人物である。コンサート・マスターの女性シャロン(ニーナ・ホス)を妻とする同性夫婦の夫側にあり、ペトラ(ミラ・ボゴイェヴィッチ)という養女がいる。
やがて有望な女性チェリストのオルガ(ソフィー・カウアー)を新プログラムのソリストとして迎える。有頂天のある日、彼女に冷遇された元教え子の女性指揮者が自殺する。彼女と連絡を取り合っていたらしい秘書で指揮者候補のフランチェスカ(ノエミ・メルラン)が去る。
学会でパワハラ・セクハラが問題として浮上すると、シャロンも去って子供にも合わせない。悪運が重なって練習用に据えた住居も追い出され、完全に干されてしまう。
というお話で、これ以降のシーンの数々は、精神のバランスを失ったヒロインの幻想かもしれないと思わないでもなかったが、どうも違う。
東南アジアに赴くのは若い時に南米に行ったという挿話と重なるものがあり、実家に帰り子供時代に見たビデオを見て原点に帰ったと思えば実際的な展開に見えて来る。求めて来る相手には拒まず呼応する境地。子供相手やゲーム「モンスターハンター」BGMの指揮も立派な仕事と僕は思う。少なくとも彼女が最終的に辿り着いた心境において、この終幕はハッピー・エンドだ。
彼女が車のハンドルを握る場面が多く、主観ショットから成るトンネルの中のそれは、彼女の音楽求道者の孤高の心理が反映されているような気がする。オルガは若々しくて天真爛漫で、音楽に関係するところにおいて極めてターと対照的であると同時に、彼女の登場後ヒロインにとっては悪いことが起き始めるという設定が面白い。オルガが消えた巣窟のようなところで、ヒロインは何者かに襲われる。これを見ると、オルガが悪魔の遣いのような印象さえ漂わす。
コンプライアンス(法令順守)に煩くなった現在では仕方がないと思うものの、かかるパワハラは比較的最近まで指揮者に相当する人物のいる業界では当たり前なことであっただろう。現在の基準では黒澤明も溝口健二もパワハラをやったことになりかねない。
ヒロインの場合は諸事情から確かにあったのだろうと思わされる一方、亡くなった若い指揮者の詳細がない為不明ながら、彼女が一方的に思いを寄せていた逆恨みの可能性があり、その逆恨みからある種の陰謀が起きたと考えられないでもない。僕は必ずしも自業自得とは考えない。寧ろ、パワハラを極悪と考え冤罪を生みかねない風潮と、それを助長するSNS時代の怖さを感じるのである。
ケイト・ブランシェットの演技が圧巻。これを堪能すべし。
ジャッキー・チェンの映画がエンディングでNG集を、あるいはTV番組でもそういうのを見せた時代がある。後者に関してはビデオだから許されたという面があるが、フィルムが貴重な時代では一人の失敗が大きなコストになるわけで、役者は笑ってはいられない。黒澤明の役者に対する厳しさを見ているが故に、かかるNG集を見て複雑な思いをした。失敗をして笑っていられるような環境で本当に良いものが作れるのか?
この記事へのコメント
映画全体としては、いろいろと、あいまいなところが、かえって良かったです。
>ブランシェット氏の演技が流石ですよねえ。
21世紀のキャサリン・ヘプバーン!
>映画全体としては、いろいろと、あいまいなところが、かえって良かったです。
作者としては答えはあるのでしょうが、彼女の現状がハッピーなのかアンハッピーなのかは、観客の人生観によって変わるでしょうね。
(一般的すぎて重白くないかもですが...)
それはリンクの経験からきております
冒頭に「テンポ」が最重要だという主人公
が「映画」に合わせる時点で積んだ?!?
>冒頭に「テンポ」が最重要だという主人公
>が「映画」に合わせる時点で積んだ?!?
僕はすっかり主人公の“テンポ観”を忘れていたので、本文のような結論になりましたが、音楽観だけで言えば、全くその通りかもしれませんね。
ただ、人間としてそれが幸福がどうかは別問題かもしれません。
ほんとにそうでした! 彼女を見ているだけで満足、長尺でしたが飽きることがない。
わりと私は素朴に観ていたのか、最後、都落ちみたいな形になりましたが、「指揮者はスーツケースだけ持ってどこにでもいって指揮するのよ」と言っていたターですから、ああずっと指揮者やってるんだなって。
ただ、あのマッサージ店での「金魚鉢」の中から視線を向けられる場面は、強烈な印象でした。ターははげしく動揺していましたね。
>「指揮者はスーツケースだけ持ってどこにでもいって指揮するのよ」
>ああずっと指揮者やってるんだなって。
ハッピーエンドかどうかという命題がありまして、上の言葉を放った彼女としては、必ずしもビターエンドではない一方、テンポが最重要と言ったという彼女としては「モンスターハンター」に合わせるということは、芸術観を放棄したとも言える。
僕の結論としては、芸術至上主義の立場から言えばハッピーではないですが、人間としてはハッピーなのだろう、ということになっています(笑)。
>「金魚鉢」の中から視線を向けられる場面
指揮者として生徒を選抜する時の意識がオーヴァーラップしたという説もありますね。