映画評「プライベート・ライアン」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1998年アメリカ映画 監督スティーヴン・スピルバーグ
ネタバレあり
ここ数年再鑑賞しようと思っていたが、170分という長さがなかなか許さなかった。
25年前日本でも大いに話題になり、この辺りからマット・デーモンが一般ファンにも知られるようになったという記憶がある。スティーヴン・スピルバーグが作り上げた戦争映画の大作である。
「史上最大の作戦」(1961年)でお馴染みのノルマンディー上陸作戦が主題で、開巻数分後から始まり25分に及ぶオマハ・ビーチでの激しい戦闘が圧巻。
人体破壊が物凄く、抵抗を覚える人も多かったと思う。僕もどちらかと言えばその口だが、本当の戦場はかかる酸鼻を極めていたのは間違いなく、リアリズムによる迫力は満点、文句なしである。
何とか上陸を終えたミラー中尉(トム・ハンクス)を中隊長とする隊が、4人兄弟を出征させそのうち3人をほぼ同時に失なった母親の為に、唯一残った末息子の二等兵ライアン(デーモン)をどこにいるかも解らない前線から探し出して救い出すという、戦況には全く意味を成さない任務を負って、以降、偶発的に起こる戦闘を潜り抜け、遂に郊外でライアン二等兵を探し出すものの、彼は戦友という兄弟と共に戦うと言って残る。
この後再び烈しい市街戦の描写に入っていく。
描写の映画である。本当の戦地で撮っているという見紛う画面の素晴らしさ。戦闘の激しさもさることながら、廃墟となった街の様子など僕はどうにも本物としか思えないのだが、美術であそこまでの再現は無理であろうし、かと言って通常のCGだけであそこまでリアルに見せるのも考えにくい。どう作り上げたものか。
基本的にここ30年くらいの戦争映画にありがちな揺らすカメラであるが、ロングでは固定に近い。不必要に揺れず落ちついた時間帯があるのが良い。
生き残った現在(場所は家族を挙げて訪れたノルマンディー米軍英霊墓地)のリチャード・ライアンのアップで場面が1944年にシフトし、ミラー中尉のアップで一段落。この辺の映画言語の扱いはさすがだ。また戦車が近づくにつれ、土が崩れていく描写も臨場感がある(「ジュラシック・パーク」と似た趣向)。
内容は勿論アメリカ万歳ではない。通常、兵士など歯車としか考えない政治家や軍上層部がその一方で、保身故に庶民を怖れるスタンスを皮肉を込めて描いた、これもまた一種の反戦映画である。
それでもアメリカは軍人が庶民を怖れたし、兵隊も歯車であっても戦力である以上命をそう軽んじてはいないから、まだ良い。そこが日本とは違う。
日本は精神力で戦争は勝てるものとテキトーな考えで戦争を勧め、追いつめられたら兵士などに死ぬよう命じる。弾丸は大事にしてもマンパワーは軽視した。戦国時代ではあるまい、そんなことで大国に勝てるわけがない。
ドイツと日本とを相手に、両方面で大掛かりな戦闘を繰り広げていたので実はアメリカも大変だった、と理解できるのがクリント・イーストウッドの戦争二部作でしたね。
1998年アメリカ映画 監督スティーヴン・スピルバーグ
ネタバレあり
ここ数年再鑑賞しようと思っていたが、170分という長さがなかなか許さなかった。
25年前日本でも大いに話題になり、この辺りからマット・デーモンが一般ファンにも知られるようになったという記憶がある。スティーヴン・スピルバーグが作り上げた戦争映画の大作である。
「史上最大の作戦」(1961年)でお馴染みのノルマンディー上陸作戦が主題で、開巻数分後から始まり25分に及ぶオマハ・ビーチでの激しい戦闘が圧巻。
人体破壊が物凄く、抵抗を覚える人も多かったと思う。僕もどちらかと言えばその口だが、本当の戦場はかかる酸鼻を極めていたのは間違いなく、リアリズムによる迫力は満点、文句なしである。
何とか上陸を終えたミラー中尉(トム・ハンクス)を中隊長とする隊が、4人兄弟を出征させそのうち3人をほぼ同時に失なった母親の為に、唯一残った末息子の二等兵ライアン(デーモン)をどこにいるかも解らない前線から探し出して救い出すという、戦況には全く意味を成さない任務を負って、以降、偶発的に起こる戦闘を潜り抜け、遂に郊外でライアン二等兵を探し出すものの、彼は戦友という兄弟と共に戦うと言って残る。
この後再び烈しい市街戦の描写に入っていく。
描写の映画である。本当の戦地で撮っているという見紛う画面の素晴らしさ。戦闘の激しさもさることながら、廃墟となった街の様子など僕はどうにも本物としか思えないのだが、美術であそこまでの再現は無理であろうし、かと言って通常のCGだけであそこまでリアルに見せるのも考えにくい。どう作り上げたものか。
基本的にここ30年くらいの戦争映画にありがちな揺らすカメラであるが、ロングでは固定に近い。不必要に揺れず落ちついた時間帯があるのが良い。
生き残った現在(場所は家族を挙げて訪れたノルマンディー米軍英霊墓地)のリチャード・ライアンのアップで場面が1944年にシフトし、ミラー中尉のアップで一段落。この辺の映画言語の扱いはさすがだ。また戦車が近づくにつれ、土が崩れていく描写も臨場感がある(「ジュラシック・パーク」と似た趣向)。
内容は勿論アメリカ万歳ではない。通常、兵士など歯車としか考えない政治家や軍上層部がその一方で、保身故に庶民を怖れるスタンスを皮肉を込めて描いた、これもまた一種の反戦映画である。
それでもアメリカは軍人が庶民を怖れたし、兵隊も歯車であっても戦力である以上命をそう軽んじてはいないから、まだ良い。そこが日本とは違う。
日本は精神力で戦争は勝てるものとテキトーな考えで戦争を勧め、追いつめられたら兵士などに死ぬよう命じる。弾丸は大事にしてもマンパワーは軽視した。戦国時代ではあるまい、そんなことで大国に勝てるわけがない。
ドイツと日本とを相手に、両方面で大掛かりな戦闘を繰り広げていたので実はアメリカも大変だった、と理解できるのがクリント・イーストウッドの戦争二部作でしたね。
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