映画評「1秒先の彼」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・山下敦弘
ネタバレあり

1年半前に台湾製のオリジナルを観た時は、日本版リメイクが決定していて、僕はワン・アイデアで勝負するタイプの作品ゆえにリメイクは見ないだろうと述べた。
 が、主人公か女性から男性に変わったこと以上に、監督がオフビートなリズムの為にご贔屓にしている山下敦弘と知って観ることにした。尤も、【W座からの招待状】にかかる作品は全部観ることにしているので、その条件がなくても観たはずだが。

ストーリーは大体同じなので詳細はリンクしておいたオリジナル版を参照して貰うことにし、差異だけを述べていきましょう。

何を為すのも人より早く所謂一秒先を行く主人公を岡田将生が演じ、その逆に一秒遅い後半の主人公たる女性を清原果耶が演ずる。
 このお話は男女差が影響しないので、そのまま性を変えても男性大奥という意味を成さないことを見せる「大奥」(2010年)のように理屈に合わないことは起こらない(あの映画の不合理性は、同映画評を参照のこと)。
 オリジナルでは一秒後の男性がバス運転手で、動かなくなった彼女を連れまわす設定が一部で不評だった為(Allmovieの投稿を参考にしたデス)一秒後の彼女をカメラ好き大学生にし、運転手を別に配置する(荒川良々)作戦を取ったらしい。

時間に対する観念の独自さに基づくワン・アイデアが秀逸なので、二回目は【幽霊の正体見たり枯れ尾花】のような印象は避けられないが、結構面白く見てしまうのが人情。

人情と言えば、二人の情もさることながら父親の情にもぐっと来るものがある。

映画的には、同じ場面を後半に清原果耶の立場から殆どアングルの変化なく繰り返すのがくどくて良くない。
 その中で感心したのは、懇意度を深めた岡田君とシンガー福室莉音とが歩く場面に、実はある時からある事情により二人を追いかけまわしていた清原果耶嬢の主観ショットと感じられるように見える瞬間があったことである。
 つまり、同じようにくどく繰り返すなら、全て彼女の主観ショットに近い感覚で撮ればもっと楽しめる映画になったはず。事前に相談してもらえればそう進言したのだが(笑)。

中国が【一つの中国】原則を主張するのは良いとして、台湾に根付いた文化を本当の併合によって消してしまうのは良くない。戦争には至らず香港程度の騒ぎで済んだとしても、現在の台湾は中華人民共和国とは違う文化を持っている。それを失うのは、地球規模で勿体ない。中国に属しなかった故に台湾は未だに世界で唯一繁体字を使っている(香港も1997年の返還後簡体字に移行している)。実に見上げたものだ。

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