映画評「新源氏物語」

☆☆★(5点/10点満点中)
1961年日本映画 監督・森一生
ネタバレあり

NHKが本年の大河ドラマで「源氏物語」を扱う関係で、BSで本作を取り上げたらしい。西部劇以外の古い映画に冷たい最近のNHKにもそういう色気はある模様。
 紫式部のご本家ではなく、それを基に書かれた川口松太郎の同名小説の映画化である。しかし、結果的には全く同じで、紫式部の原著に比べれば物凄いスピードで進行する。映画サイトに見かけた、 “かったるい” と仰る人は一度原典に当ってみると良い。相対的には、かったるいどころか超特急である。

桐壺帝と更衣=第二女官=桐壺(寿美花代)の間に生まれた光源氏(市川雷蔵)は成人してモテにモテるが、帝の新しい女御=最高女官=藤壺(寿美花代二役)が、夭逝した母親に面影を見出して憧れる。正妻・葵上(若尾文子)との不仲に悩む光源氏と結ばれた藤壺はやがて男児を生む。真相を知らぬこともあり、これが東宮=皇太子=となる。
 光源氏との仲を復活させた葵上は、しかし、帝弟の正妻・六条御息所に恨まれその生霊に取り付かれ、男児を生んだ後衰弱死する。
 代が変わって朱雀帝は、自分が迎える姫朧月夜(中村玉緒)と光源氏が結ばれたのを知り、遠回しに沙汰する。彼は、引き取った藤壺の姪・紫(高野通子)に再会を約して、京都を去る。

長大な原著の主題についてはとりあえず措いておくとして、この川口源氏は、母を恋(こ)うる物語と見た。
 最終的に一番思いを寄せる藤壺は母に瓜二つであり、その身分故に公式には通うこともできない藤壺の面影を留める姪の紫を引き取る。彼女は将来大人になったら、仮の父親たる光源氏と結ばれても良いと大胆な宣言をする。東宮(光源氏の息子)は光源氏との関係を断つ為に出家する母たる藤壺を止めようとする。その時の東宮の母親への思いは重層的(母桐壺と愛人藤壺)に光源氏の強い恋慕を象徴する。

色々な女性と恋の遍歴は出て来るが、常に彼の思いは藤壺に帰る。そこはかとなく切ないところのある物語である。

「源氏物語」の上っ面を知るには良い素材かもしれない。セットもなかなか豪華で、歴史考証に余り拘らなければ見ておいて良いと思う。余りに上っ面すぎて僕は物足りなかったが、これで物足りない人は大河ドラマをご覧ください、ということで。

儒教的道徳観の強い人が、平安時代の通い婚の仕組みを知らずに、光源氏のプレイボーイぶりを批判してはならない。当時の貴族はあれが当たり前であった。それが出来ない貴族は当時の貴族観では人間失格、単に器量が小さいだけなのだ。

与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴ら有名な文学者が何人も現代語訳を試みている。僕は現代語訳に当たりながら原文を読み通した。現代語訳版も読み比べたいが、長いのでなかなかそれも叶わない。

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