映画評「薔薇の貴婦人」
☆☆(4点/10点満点中)
1986年イタリア映画 監督マウロ・ボロニーニ
ネタバレあり
マウロ・ボロニーニは「わが青春のフロレンス」(1970年)「愛すれど哀しく」(1971年)という、抒情的青春映画が強い印象を残しているが、痴情絡みの作品も結構ものしている。その意味では、ラウラ・アントネッリ主演で想像されるエロティック映画の演出も畑違いとは言えない。
19世紀半ばくらいだろうか、外国人の若者ジェースン・コネリーがヴェネツィアを訪れる。その目的はカサノヴァよろしく女性遍歴を積むことらしい。
町で見かけた貴婦人モニカ・グェリトーレと目が合って、夫不在の間に逢瀬を楽しもうと派遣された彼女の召使と約束を交わす。ところが、逆に町で彼を見かけた未亡人ラウラはもっと積極的で、ゴンドラ漕ぎに行方を探させ、目的を果たす。
時間が過ぎても彼がやって来ないのにじれたモニカは召使をまたも派遣して夫が帰って来る直前の束の間の情事を楽しむ。
かくして若者は満足してヴェネツィアを後にする。
最後のドタバタを見ると、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督「デカメロン」(1971年)を思い出させ、見た目以上に艶笑喜劇なのだなあと思わせるが、笑いも叙情も足りない。
画面がボロニーニらしくしっとりしているのは良く、美術や衣装も準ポルノとしては豪華であるが、登場人物がセックスこそ全てとしか思っていないような雰囲気を漂わし興醒め。
但し、ラウラに未練があるコネリー君が彼女の家に礫を投げつけるのに、彼女がそれに気付かずカーテンを閉めてしまうというところだけは、単なる艶笑ものを超える抒情が感じられる。こんな感じの場面がもう二つ三つあれば★一つくらい増えたのではないだろうか。
「悦楽の貴婦人」(1977年)というラウラ主演作があるが、邦題のイメージに反してあちらのほうがぐっと一般映画でした。
1986年イタリア映画 監督マウロ・ボロニーニ
ネタバレあり
マウロ・ボロニーニは「わが青春のフロレンス」(1970年)「愛すれど哀しく」(1971年)という、抒情的青春映画が強い印象を残しているが、痴情絡みの作品も結構ものしている。その意味では、ラウラ・アントネッリ主演で想像されるエロティック映画の演出も畑違いとは言えない。
19世紀半ばくらいだろうか、外国人の若者ジェースン・コネリーがヴェネツィアを訪れる。その目的はカサノヴァよろしく女性遍歴を積むことらしい。
町で見かけた貴婦人モニカ・グェリトーレと目が合って、夫不在の間に逢瀬を楽しもうと派遣された彼女の召使と約束を交わす。ところが、逆に町で彼を見かけた未亡人ラウラはもっと積極的で、ゴンドラ漕ぎに行方を探させ、目的を果たす。
時間が過ぎても彼がやって来ないのにじれたモニカは召使をまたも派遣して夫が帰って来る直前の束の間の情事を楽しむ。
かくして若者は満足してヴェネツィアを後にする。
最後のドタバタを見ると、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督「デカメロン」(1971年)を思い出させ、見た目以上に艶笑喜劇なのだなあと思わせるが、笑いも叙情も足りない。
画面がボロニーニらしくしっとりしているのは良く、美術や衣装も準ポルノとしては豪華であるが、登場人物がセックスこそ全てとしか思っていないような雰囲気を漂わし興醒め。
但し、ラウラに未練があるコネリー君が彼女の家に礫を投げつけるのに、彼女がそれに気付かずカーテンを閉めてしまうというところだけは、単なる艶笑ものを超える抒情が感じられる。こんな感じの場面がもう二つ三つあれば★一つくらい増えたのではないだろうか。
「悦楽の貴婦人」(1977年)というラウラ主演作があるが、邦題のイメージに反してあちらのほうがぐっと一般映画でした。
この記事へのコメント
>ジェースン・コネリー
VHS時代に観て、コネリー君のパパ譲りの胸毛を見て大笑いした事だけは憶えています。(大^o^)
>VHS時代に観て、コネリー君のパパ譲りの胸毛を見て大笑いした
これ観ていますか!
胸毛かあ、僕は違うところを見ていたような気がする(笑)