映画評「渇水」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・高橋正弥
ネタバレあり
河林満の芥川賞候補になった同名短編小説の映画化。
わが群馬県の県庁所在地前橋市の市役所水道課の仕事がテーマである。仕事紹介編としての興味も湧く。
主人公・生田斗真は、後輩の磯村勇斗とコンビを組んで、水道料金を滞納している家を巡り、それでも料金を払わない家の水道の給水を停止するのを仕事としている。大半は “水はただではないか” と思って払わないだけの太い連中だが、ある時母親・門脇麦が甲斐性のない家庭に行き当たる。次に行った時、小学校6年のくらいの長女山崎七海と1年生くらいの次女・柚穂の二人しかいない。母親はこの後出奔したまま帰って来ず、水どころか飲食物にもこと欠くようになり、長女は遂に万引きをし出す。
妻・尾野真知子と息子と別居中で大いに考えるところがある時、生田はその現場に出くわし、少女たちを市の車に乗せて家の給水を復活させ、渇水で給水停止中の公園の給水も復活させ、三人で大騒ぎ。そこへ市の連中が駆けつけ、警察沙汰になる。
かくして市役所を辞職せざるを得なくなるが、考えなしに遵守すべきものだけを守っていれば良いというわけではないという心境に達した彼の許に、息子から電話が掛かって来る。
原作はどうも悲惨な終わり方をするらしいが、映画は180度逆にハッピー・エンドを用意した。
本格的に出奔した父親はともかく、ネグレクトの母親が戻ってくるのが一番良いのだが、少女たちは既にそれがなかなか難しいことを承知している。そこだけに視線を下降する映画ではないので、母親がやはり出奔してしまう「誰も知らない」ほど胸を締め付けられないが、やはりいとけない子供が二人だけで生きる様にはやりきれなくなる。
最後に主人公は水は料金を徴収すべきものではないという考えに取り付かれてしまうが、映画の主張はそこにないことを見抜かないと行けない。
人間劇としては、彼が決められたルールに従ってさえいればOKという考えで行動して来た結果が別居であり、その考えが全てではないということに気付くというのがテーマである。水云々はその象徴にすぎない。息子から彼が提案した海への旅に同意する電話が掛かって来るのは正確には何があったか解らないが、事件を細君が聞いて思うところがあったのではないかと想像する。夫が事件を起こした時に寄り添って来たとしたら、細君は立派である。
作劇としては、主人公が目を開くまでが主題であろうから、それに大いに関連するとは言え、哀れな少女たちに割く時間が些か長すぎる気がする。
水(液体)を随所に絡ませた映画言語の扱いが良い。息子ぐらいの腕白坊主に水鉄砲で水を浴びせられ、手を包丁で切って血を流し、最後は海(言葉だけだが)である。こういうのは映画マニア心をそそる。
水はただではない。溜めた水を浄水する必要があるし、給水圧力を管理するに手間暇がかかる。そう言えば、前橋市長に非自民系の女性が選ばれた。日本有数の保守大国群馬県の県庁所在地だけに、これは大事件だ。
2023年日本映画 監督・高橋正弥
ネタバレあり
河林満の芥川賞候補になった同名短編小説の映画化。
わが群馬県の県庁所在地前橋市の市役所水道課の仕事がテーマである。仕事紹介編としての興味も湧く。
主人公・生田斗真は、後輩の磯村勇斗とコンビを組んで、水道料金を滞納している家を巡り、それでも料金を払わない家の水道の給水を停止するのを仕事としている。大半は “水はただではないか” と思って払わないだけの太い連中だが、ある時母親・門脇麦が甲斐性のない家庭に行き当たる。次に行った時、小学校6年のくらいの長女山崎七海と1年生くらいの次女・柚穂の二人しかいない。母親はこの後出奔したまま帰って来ず、水どころか飲食物にもこと欠くようになり、長女は遂に万引きをし出す。
妻・尾野真知子と息子と別居中で大いに考えるところがある時、生田はその現場に出くわし、少女たちを市の車に乗せて家の給水を復活させ、渇水で給水停止中の公園の給水も復活させ、三人で大騒ぎ。そこへ市の連中が駆けつけ、警察沙汰になる。
かくして市役所を辞職せざるを得なくなるが、考えなしに遵守すべきものだけを守っていれば良いというわけではないという心境に達した彼の許に、息子から電話が掛かって来る。
原作はどうも悲惨な終わり方をするらしいが、映画は180度逆にハッピー・エンドを用意した。
本格的に出奔した父親はともかく、ネグレクトの母親が戻ってくるのが一番良いのだが、少女たちは既にそれがなかなか難しいことを承知している。そこだけに視線を下降する映画ではないので、母親がやはり出奔してしまう「誰も知らない」ほど胸を締め付けられないが、やはりいとけない子供が二人だけで生きる様にはやりきれなくなる。
最後に主人公は水は料金を徴収すべきものではないという考えに取り付かれてしまうが、映画の主張はそこにないことを見抜かないと行けない。
人間劇としては、彼が決められたルールに従ってさえいればOKという考えで行動して来た結果が別居であり、その考えが全てではないということに気付くというのがテーマである。水云々はその象徴にすぎない。息子から彼が提案した海への旅に同意する電話が掛かって来るのは正確には何があったか解らないが、事件を細君が聞いて思うところがあったのではないかと想像する。夫が事件を起こした時に寄り添って来たとしたら、細君は立派である。
作劇としては、主人公が目を開くまでが主題であろうから、それに大いに関連するとは言え、哀れな少女たちに割く時間が些か長すぎる気がする。
水(液体)を随所に絡ませた映画言語の扱いが良い。息子ぐらいの腕白坊主に水鉄砲で水を浴びせられ、手を包丁で切って血を流し、最後は海(言葉だけだが)である。こういうのは映画マニア心をそそる。
水はただではない。溜めた水を浄水する必要があるし、給水圧力を管理するに手間暇がかかる。そう言えば、前橋市長に非自民系の女性が選ばれた。日本有数の保守大国群馬県の県庁所在地だけに、これは大事件だ。
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