映画評「さらば、わが愛 覇王別姫」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1993年中国=香港合作映画 監督チェン・カイコー
ネタバレあり

この映画が公開された頃は日本と中国の仲もそう悪くはなかったし、良い中国映画もどんどん公開されていた。香港映画も勢いがあった。
 監督はチャン・カイコーで、フィルモグラフィーの中で、やはり3時間近い長尺のこの映画が最高傑作だろうか。

お話は辛亥革命勃発から14年目の1924年から始まる。
 母親によって京劇の師匠に無理矢理預けられた少年・小豆が、自分に親切にしてくれた兄弟子・石頭と共に、厳しく育てられた結果、京劇の名作「覇王別姫」(垓下の戦いで迎えた項羽と虞美人の最期をテーマにしている)でコンビで組んで京劇スターに上り詰める。
 が、日中戦争が始まり、小豆変じて程蝶衣(レスリー・チャン)が日本軍人の前で演じたことが、日本軍敗退直後当局によって沙汰されるが、裁判官が意外とさばけた人で、処分保留とされる。
 しかし、1949年に共産党政権が誕生すると、京劇を支えた資本家が処罰され、娼館の遊女・菊仙(コン・リー)を妻に迎えた石頭変じて段小樓(チャン・フォイイー)との仲も妙なことになり、文化大革命で断絶状態になる。

というお話には色々見どころがあり、京劇と京劇役者が体制の変遷により大きく翻弄される悲劇性がまず第一に来ると思う。
 コロナの緊急宣言の時にひどい目に遭ったのが芸術の類であり、あるいは、現在の左翼活動家が美術館へ行って作品に液体を掛けたりするような事件を起こしたりする。彼らには、人間にとって生命が一番重要であるということになるが、生きていられれば良いというのだけでは人間は余りにも寂しすぎる。
 芸術が人を生かすということもあり、僕のような風流人(?)にとっては、金持の道楽くらいに思われても困るのである。 社会主義リアリズムに立脚する “芸術” など全く豊潤にほど遠い。 いかなる芸術も思想を云々する前に優れた審美眼に堪えるものでなければならない。

依然、毛沢東と共産党の揶揄・批判はできないものの、四人組や文化大革命の批判は大いに認められていた時代の作品だ。今は余りやると共産党批判と取られて一時ほど出来なくなっている印象を僕は持つが、チェン・カイコーは、大海に翻弄される小舟のように無力な芸術家を描くうちに、具体的にどれを指すというわけではないにしても、体制なるものを俎上に載せ、厳しく問いかけている気がする。

ロマンスでもある。 蝶衣が “女に生まれ” という台詞を “男に生まれ” とどうしても間違えてしまう。女形の彼は兄弟子に対して異性のような(今はこういう表現自体が望ましくないとされるのであるが)思いを抱き、実際の女性である細君に対して覚える嫉妬を内に秘める。彼の兄弟子に対する愛憎が、体制と個人の関係と絡み合い、誠に鬼気迫る。
 この10年後自殺してしまうレスリー・チャンの演技も圧巻、畢生の名演となった。

Allcinema において、コメントの数々の絶賛と平均投票点の乖離がひどい。
 日本軍人が悪者扱いされているところがあることから、日本無謬主義者が大量に低得点を投じたと推察する。他の映画サイトでは実力に応じた平均点となっているから【無駄な抵抗】なのだが、古参 Allcinema に投稿者が多かった頃の操作と思われる。

Allcinema も今や映画マニア有志のみが投稿するサイトとなった。解説がヌーヴェルヴァーグ寄りの傾向があるが、古い映画においては我が心の師匠・双葉十三郎先生の評を参考にしていると思われることが多いのが愛嬌。

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