映画評「白鍵と黒鍵の間に」

☆☆★(5点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・冨永昌敬
ネタバレあり

ジャズ・ピアニスト南博のエッセイが原作(原案)と言うのに、何とも幻想的な作品になったものである。

ジャズ・ピアニストを目指す博(池松壮亮)が、師匠にノンシャランにやれと言われ、銀座のキャバレーやクラブで演奏を始める。何故か銀座のクラブ世界では会長(松尾貴史)以外に向けて「ゴッドファーザー愛のテーマ」を弾くこと、また彼の指定したピアニスト以外は弾くことが禁じられている。それを新米の博が弾いてしまう。
 片や、さるクラブでは会長がやってくるとピアニスト南(池松壮亮)が快調に「ゴッドファーザー愛のテーマ」を弾く。

この映画は池松壮亮が一人二役にして実は一人一役を演じるというドッペルゲンガー的な趣向をベースにしているのだが、僕は、ぼーっと見ていたせいで、博と南(3年後の博)を最初から疑いもなく同一人物として見ていた為に、その幻想性から生まれる面白味が全く感じられずにいた。
 しかし、それは必ずしも僕だけのせいではない。もっと同一時空に彼らがいるように見せかける工夫をしないといけなかったのである。仮面をしているくらいではそういう虚構性が十分に成立しない。
 ところが、会長が南以外のピアニストが弾いたと知って大騒ぎしてから、映画は突然本格的に時空を超え、或いは現実と虚構の狭間を彷徨させるような作りになる。この感覚をもっと早く繰り出せば良かったわけで、年寄らしく一言“遅かりし冨永昌敬”と言わせてもらいましょう。案外それをしなかったことを、倒叙ミステリー的なキモとしている可能性もあるが。

実際の南博は、この映画の南博君が示すように、クラブで修業をした後渡米して本場で鍛錬して現在に至るとのこと。実話をベースにこういう幻想作品を作り出した意欲は大いに買いたいが、寺山修司の幻想的自伝映画ほど上手くできていない。

ここを訪れる人は人生のベテランが多いので、上のコメントが “遅かりし由良之助(蔵之介)” という「忠臣蔵」の台詞をベースにした可笑し味が解るはずですが、 若い人には何のこっちゃでしょうね。

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