映画評「文化果つるところ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1951年イギリス映画 監督キャロル・リード
ネタバレあり
1980年代にフィルムセンターで観たのではないかと思うが、案外観ようと思っただけで、少し後で衛星放送で観た可能性も否定できない。
いずれにしても当時は原作者のジョゼフ・コンラッドを知らなかった(読んだことがない、の意味なり)ので、映画における登場人物の激しい葛藤ぶりがマレーシア(僕はアフリカと記憶していた)の野趣溢れる土俗描写と絡みあって衝撃を受け、☆☆☆☆相当の評価をしたが、今回は★一つ落とす。再鑑賞という理由を別にしても、そこまでの衝撃を受けなかったからである。
全編ロケで撮った作品らしく、現地の原住民と見られる人々の風貌や風俗を見るとインドネシアという気もするが、隣国ではあるし、資料にあったマレーシアということにしておく。
金を使い込み首になった商社マンのトレヴァー・ハワードが、その界隈で仕事をしていた縁故のある白人船長ラルフ・リチャードスンに助けられ、彼の娘婿ロバート・モーリーの仕事をパートナーとして支援する役目を貰うが、盲目酋長の娘(ケリマ)に夢中になるうちに正気を失って、モーリーをライバル視し現地人を使ってリンチに処す。
これを知ってさすがのリチャードスンも堪忍袋の緒を切って、孤島に逃れたハワードに完全に見放して一人で離島する。愛人ケリマは彼にピストルで撃つようけしかけるが、彼には出来ない。
ざっとまとめればこんな話で、一人の西洋人が謂わば蛮地の毒に当てられて文明人らしさを失い蛮行に傾いていくが、それでも憎き相手を殺すところまでは行かない。そこが、文明人の成れの果てたる彼と、一応蛮人と見なされる土着民との違いなのかもしれないが、それほど単純なものだろうか。残忍さにおいて、現地人を支配し残酷に切り捨てる船長と、蛮人とで、どれほど違うものかと疑問が湧く。
まだ文明人たることを捨てない彼と、船長を殺さない彼に絶望する酋長の娘を映して映画は終わるが、その前の、丘を下りて島を去ろうとする船長を主人公が追う場面のカット割りは、さすがにキャロル・リードという凄味がある。一見地味で、本作の前に撮った「第三の男」(1949年)や「邪魔者は殺せ」(1947年)のような華々しさはないものの、まずは見事と唸った。
「銃・病原菌・鉄」という文化人類学に属する書物を読む後に本作を観ると少し見方が変わるかもしれない。
1951年イギリス映画 監督キャロル・リード
ネタバレあり
1980年代にフィルムセンターで観たのではないかと思うが、案外観ようと思っただけで、少し後で衛星放送で観た可能性も否定できない。
いずれにしても当時は原作者のジョゼフ・コンラッドを知らなかった(読んだことがない、の意味なり)ので、映画における登場人物の激しい葛藤ぶりがマレーシア(僕はアフリカと記憶していた)の野趣溢れる土俗描写と絡みあって衝撃を受け、☆☆☆☆相当の評価をしたが、今回は★一つ落とす。再鑑賞という理由を別にしても、そこまでの衝撃を受けなかったからである。
全編ロケで撮った作品らしく、現地の原住民と見られる人々の風貌や風俗を見るとインドネシアという気もするが、隣国ではあるし、資料にあったマレーシアということにしておく。
金を使い込み首になった商社マンのトレヴァー・ハワードが、その界隈で仕事をしていた縁故のある白人船長ラルフ・リチャードスンに助けられ、彼の娘婿ロバート・モーリーの仕事をパートナーとして支援する役目を貰うが、盲目酋長の娘(ケリマ)に夢中になるうちに正気を失って、モーリーをライバル視し現地人を使ってリンチに処す。
これを知ってさすがのリチャードスンも堪忍袋の緒を切って、孤島に逃れたハワードに完全に見放して一人で離島する。愛人ケリマは彼にピストルで撃つようけしかけるが、彼には出来ない。
ざっとまとめればこんな話で、一人の西洋人が謂わば蛮地の毒に当てられて文明人らしさを失い蛮行に傾いていくが、それでも憎き相手を殺すところまでは行かない。そこが、文明人の成れの果てたる彼と、一応蛮人と見なされる土着民との違いなのかもしれないが、それほど単純なものだろうか。残忍さにおいて、現地人を支配し残酷に切り捨てる船長と、蛮人とで、どれほど違うものかと疑問が湧く。
まだ文明人たることを捨てない彼と、船長を殺さない彼に絶望する酋長の娘を映して映画は終わるが、その前の、丘を下りて島を去ろうとする船長を主人公が追う場面のカット割りは、さすがにキャロル・リードという凄味がある。一見地味で、本作の前に撮った「第三の男」(1949年)や「邪魔者は殺せ」(1947年)のような華々しさはないものの、まずは見事と唸った。
「銃・病原菌・鉄」という文化人類学に属する書物を読む後に本作を観ると少し見方が変わるかもしれない。
この記事へのコメント
「銃 病原菌 鉄」
水を差すようで申し訳ないのですが、本を読んでも余程我田引水的こじ付けをしない限り本作の見方は変わらんと思います。
でも本は面白いので是非,是非どうぞ!
とは言うものの読んだのが20数年前のハードカバーで出た直後で(当時出版系のお仕事もしていたので見本本を読んだのです) 面白かったのですが、その後の評価等をよく知らず、手元に本も持っていないのですが。
その次の「文明崩壊」は持っているのでまた読み返してみたいです。
ジャレド・ダイアモンドは「猿でもわかる」とまではいいませんが「モカでもわかる」平易な語り口で「ふむふむ、なるほどのう」と楽しく読めました。
勿論内容に異論を唱える向きもあるでしょうが、あくまで彼の仮説? ですからね。そうかこう言う考え方もおもろいな、と思っていただけたら幸いです。
それで本作ですが昨日ザクっと(笑)みてみました。
ロード・ジムに似ているな、と思ったら原作者が一緒でした。
出てくる現地の人の人種がかなりごった返しておりましたが、実際あんなもんですかね?
>トレヴァー・ハワード
「逢びき」の時の方が若いんですね。 あちらの方が老成感がありました。
>でも本は面白いので是非,是非どうぞ!
実はもう読んだのですよ^^v
「残忍さにおいて、現地人を支配し残酷に切り捨てる船長と、蛮人とで、どれほど違うものかと疑問が湧く。」というところは、人間はどこでも大差ない、と読めた結果が反映されたものです。
そういう考え自体は以前から持っていたものですから、読んでなくても変わらなかったかもしれないので、微妙な言い回しをしたわけです。
>出てくる現地の人の人種がかなりごった返しておりましたが、実際あんなもんですかね?
「銃 病原菌 鉄」にもインドネシア近辺の、その辺りに触れたところがありましたよ。
読書録を年に2回にまとめないで一冊づつその都度アップしてくださった方がコメントもしやすいように思うのですが…あんまり冊数が多いと、こちらはその半分も読んでいないもののどこにどう引っ掛かったらいいのか呆然としてしまって…
ご検討願います。
以前友人が何年間かクアラルンプールに住んでいましたが彼女によると住民は中華系と、どこって言ってたか忘れましたが多分東南アジア系が半々くらいだとか。
映画では東南アジア系というよりは明らかにインド系の人が結構いましたね。
実際はどうなんでしょうね。
>読書録を年に2回にまとめないで一冊づつその都度アップしてくださった方がコメントもしやすいように思うのですが…
>ご検討願います。
仕方がないなあ(笑)
一冊に一記事というのは、今のところ、そこまで注力できないので、本年3月から季刊にして年4回にしてみます。
そして、様子次第で、来年から月1回というのでどうですか?
映画と違って、どうしても本は内容分析になるので、結構いい加減な読み方をすることが多い僕には、記事として短くなりすぎる気配が濃厚。
大長編ですと、1か月に一書ということもありえます。
>以前友人が何年間かクアラルンプールに住んでいましたが彼女によると住民は中華系と、どこって言ってたか忘れましたが多分東南アジア系が半々くらいだとか。
僕は住んだことはありませんが、ビジネスで数日クアラルンプールに滞在した時の印象でも、そんな感じを覚えました。ただ地方ではマレー系が多いはず。インド系も数%いるようです。
インドネシアのほうが明らかに多様なので、最初はインドネシアかと思いましたが、あるいは両国を隔てる海峡にある島あたりなのかもしれませんね。
訂正:
3月からではなく4月からですね。
人様のブログに、やれあれを読めやらその都度アップせよとか五月蝿いことで申し訳ございません。
いずれ先生が入洛された折には一席設けさせていただきます。(笑)
>申し訳ございません。
要望あってのブログです^^
>いずれ先生が入洛された折には一席設けさせていただきます。(笑)
行けると良いですねえ。
京都も、また、込んでいるようですね。