映画評「愛しきソナ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2009年日本映画 監督ヤン・ヨンヒ
ネタバレあり
映像作家ヤン・ヨンヒの「ディア・ピョンヤン」に続く家族ドキュメンタリー第2弾。
家族と言っても、今回はヨンヒが朝鮮総連幹部の両親と共に出かけた平壌で会う次兄の娘すなわち彼女にとっての姪ソナちゃんが主役。
しかし、ヨンヒは「ディア・ピョンヤン」の内容が問題になって、この「愛しきソナ」を編集中の2009年には北朝鮮に入国できなくなっていた。その後手紙は届くようであるが、2005年以来28年もヨンヒは可愛らしいソナちゃんに会っていないわけである。1992年生まれと思われるソナちゃんももうその敬称が似合わないアラサーの、体制の制限下で自分が思考停止になっていることに疑問を覚えない女性になっているのだろうか?
朝鮮総連幹部の両親の仕送りによって、北朝鮮庶民としては贅沢な暮らしをしている三人兄弟家族の暮らしではあっても、電気も水道も使用時間が制限されている。これが1960年代に楽園と言われた北朝鮮の2000年代の現実である。
また、日本のお菓子(ポテトチップスなど)は高価すぎて食べられないし、韓国料理を前にソナちゃんは選ぶことが出来ない。何故なら13歳になっても彼女は食べたことがないから。この場面は、図らずも、北朝鮮庶民が思考停止に陥っていることを寓意しているのではあるまいか。選択しようにもあの国には思想のメニューがない!
しかし、親と違い個人主義者になることを決めても、ヨンヒは、強く体制を非難する言葉を殆ど使わない。寧ろ思想とは余り関係のない日常的な生活のうちに自由のない社会を浮かび上がらせていく。
「ディア・ピョンヤン」ほどではないが、当たり前の家族・姻族たちのスキンシップを見るだけで涙が出て来てたまらなくなった。人は他人の奴隷であってはならないと思う。
国粋主義者は保守的な発言をしていれば権力に睨まれることはないと思っているが、保守的な体制であっても、右翼だからと言って安全であるとは限らない。治安維持法が成立して十年くらい経った頃になると、左翼の行動がさほど激しくないこともあり、当局は寧ろ右翼を警戒するようになったらしい。大臣を歴任した頃、木戸幸一はその様子を「日記」に綴っている。日本も、見た目とは裏腹に、大分国民の知る権利が蔑ろにされる国になりつつあるが、知る権利や表現の自由を失ってはいけない。但し、他人に対する誹謗中傷は表現の自由によってサポートされない。
2009年日本映画 監督ヤン・ヨンヒ
ネタバレあり
映像作家ヤン・ヨンヒの「ディア・ピョンヤン」に続く家族ドキュメンタリー第2弾。
家族と言っても、今回はヨンヒが朝鮮総連幹部の両親と共に出かけた平壌で会う次兄の娘すなわち彼女にとっての姪ソナちゃんが主役。
しかし、ヨンヒは「ディア・ピョンヤン」の内容が問題になって、この「愛しきソナ」を編集中の2009年には北朝鮮に入国できなくなっていた。その後手紙は届くようであるが、2005年以来28年もヨンヒは可愛らしいソナちゃんに会っていないわけである。1992年生まれと思われるソナちゃんももうその敬称が似合わないアラサーの、体制の制限下で自分が思考停止になっていることに疑問を覚えない女性になっているのだろうか?
朝鮮総連幹部の両親の仕送りによって、北朝鮮庶民としては贅沢な暮らしをしている三人兄弟家族の暮らしではあっても、電気も水道も使用時間が制限されている。これが1960年代に楽園と言われた北朝鮮の2000年代の現実である。
また、日本のお菓子(ポテトチップスなど)は高価すぎて食べられないし、韓国料理を前にソナちゃんは選ぶことが出来ない。何故なら13歳になっても彼女は食べたことがないから。この場面は、図らずも、北朝鮮庶民が思考停止に陥っていることを寓意しているのではあるまいか。選択しようにもあの国には思想のメニューがない!
しかし、親と違い個人主義者になることを決めても、ヨンヒは、強く体制を非難する言葉を殆ど使わない。寧ろ思想とは余り関係のない日常的な生活のうちに自由のない社会を浮かび上がらせていく。
「ディア・ピョンヤン」ほどではないが、当たり前の家族・姻族たちのスキンシップを見るだけで涙が出て来てたまらなくなった。人は他人の奴隷であってはならないと思う。
国粋主義者は保守的な発言をしていれば権力に睨まれることはないと思っているが、保守的な体制であっても、右翼だからと言って安全であるとは限らない。治安維持法が成立して十年くらい経った頃になると、左翼の行動がさほど激しくないこともあり、当局は寧ろ右翼を警戒するようになったらしい。大臣を歴任した頃、木戸幸一はその様子を「日記」に綴っている。日本も、見た目とは裏腹に、大分国民の知る権利が蔑ろにされる国になりつつあるが、知る権利や表現の自由を失ってはいけない。但し、他人に対する誹謗中傷は表現の自由によってサポートされない。
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