映画評「テオレマ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1968年イタリア映画 監督ピエル・パオロ・パゾリーニ
ネタバレあり

映画マニアの僕が若い頃から題名だけはよく知っていたピエル・パオロ・パゾリーニの作品だが、実物を初めて観たのは2001年か2002年と比較的最近である。

何かしらの侵入者によって家がめちゃくちゃになるというのは、純文学的にもよく扱われるテーマ・構図で、本作とは逆に家族によって家の平和が壊される孤独な教授を描いたルキノ・ヴィスコンティ監督「家族の肖像」(1974年)が一番最初に思い出される。

「家族の肖像」にも出ていたシルヴァーナ・マンガーノが妻、マッシモ・ジロッティが夫、アンヌ・ヴィアゼムスキーが娘、アンドレス・ホセ・クルース・スーブレットが息子という家庭が、息子が連れて来た美青年テレンス・スタンプと、肉体関係を結ぶ(直接描写はなし)ことで、大きく変化する。

最初に彼に落とされるのは家政婦のラウラ・ベッティで、彼女がキリストのような能力を身につけていくのとは対照的に、ブルジョワ一家が全員妙なことになるのは、プロレタリアに手を差し延べる共産主義を信奉する者らしい寓意に満ちている。

構図的には決して解りにくいわけではないが、描写の一々の意図とその互いの関連性を理解するのは容易ではない。

パゾリーニは共産主義者(一時期共産党員、すぐに除名)だからキリスト教に傾倒するわけではないだろうが、「奇跡の丘」(1964年)でも感じられたように、キリストや使徒を一種の革命家としてシンパシーを覚えるところがあったのではないかと思う。
 家政婦が貧しそうな少年の皮膚病を治すのは革命リーダーが貧者を救うことに通ずるのであろう。

スタンプは神であり、悪魔である。接する人によってどちらにもなる。端的に言えば下層階級には神、上層階級には悪魔ということ、と僕は見た。

画面には一種の構築美がある。一見寒々として突き放したような情景の画面感覚にワクワクさせられる。艶笑文学を作り始める前のパゾリーニは実に良い。

共産党を除名された理由が少年への淫行で、後に殺される理由も同根の問題があったように沙汰されたが、どうも犯人はファシスト・グループらしい。

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