映画評「ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2021年ジョージア=ドイツ合作映画 監督アレクサンドレ・コベリゼ
ネタバレあり

ジョージアの映画はなかなか変な映画多くて興味深いが、アレクサンドレ・コベリゼという若手監督の作品(長編第2作)も妙な作品である。

薬剤師リサとサッカー好きの若者ギオルギが出会ってほぼ恋という感情を抱いて再会を約すが、その時に呪いがかけられて、二人は別人になってしまう。リサは薬のことは何も解らず、ギオルギはサッカー下手になる。
 外見も変わってしまった二人は、偶然にもあるカフェの店主によって別々に雇われ、すぐ側にいるにも拘らず、互いに恋人が側にいるとは気づかない。
 ところが、恋人たちを撮るという変な映画の出演を強引に承諾させられた二人は、作品の完成後に(呪いが解けて)恋人役の相手が本当の恋人だったことを知る。

童話のように切ないロマンスであると同時に、 親鸞聖人の “明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは” という和歌を思い出させるお話で、途中のナレーションの印象から、僕はロシアによるジョージア侵攻を思い浮かべたが、どうもそれは関係ないようだ。
 いずれにしても、親鸞の歌のように、世の中は無常であるということがテーマではないかという気がする。

足から始まる映画で、サッカーが結構重要なアイテムとして出て来るが、W杯でアルゼンチンが3-1で勝った試合は1978年に一度あるが、当然メッシはまだいないので、架空の試合。

そこはかとなくカット(ショット)の扱いが実験的と感じた。
 中でも、椅子に座る老人のアップと沸騰する薬缶が交互に出て、3度目には老人がいず椅子だけ(老人が立ったことを事前に示す)、次のカットでその老人が薬缶を取り上げ、そのまま外に捨てる、というカット割りが面白い。
 誰もいなそうに見える木の陰から次々と一人一人子供が出て来るショットは、実際には別々に撮ったものをコンピューターを用いて1ショットに見せたのではないか?
 音を合図に観客に目をつぶらせ、(その間は真っ暗)次の音で目を開かせる、などということもやっている。多分この後二人は別人になったと思う。

このように画面で見ていくと面白いところも多い映画で、僕にとっては嫌いな映画ではないが、150分という長さが相当ネックになる。90分程度ならそこそこの映画ファンでも行けるのではないだろうか。

ロシアが戦争に勝ち、トランプが選挙に勝ったら、世界はやばいことになりますぜ。お金にしか興味がないトランプは日本政府を相当困らせるだろうな。

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