映画評「愛と激しさをもって」

☆☆★(5点/10点満点中)
2022年フランス映画 監督クレール・ドニ
ネタバレあり

ラジオ局アナ(?)の初老女性ジュリエット・ビノシュは、元ラグビー選手で服役していた経験(恐らく経済犯だろう)のあるヴァンサン・ランドンと結婚して10年程経つ。ランドンには黒人の先妻との間に15歳の息子がい、母ビュル・オジエに育てて貰っている。息子は孤独に荒れかけている。
 そんなある時、彼女は夫と知り合う前に昵懇だった恋人グレゴワール・コランを街角で見かけて心が揺れる。折も折、夫がコランが作ったラグビー選手を発掘する会社を手伝うことになったと告げ、やがてその事務所開きに彼女も参加し、夫より先に事務所で逢う。これが後でもつれる理由となり、彼女との関係についてコランと話をしたランドンの心が荒れていく。
 時間が経って落ち着いた彼は、彼は彼女の気持ちに任せると言う。二人の相手から信頼されなくなった彼女は、スマホを風呂に落とし、全ての情報を失う。彼女の心は空虚に彷徨うのだろうか。

ヒロインは一般的な道徳には余り拘らないタイプの女性らしい。それをベースに観なければらない。

いずれにしても、1970年代後半に始まり、以降フランス映画の伝統となった感のある、極めて面倒臭い恋愛心理劇である。
 面倒臭い理由は幾つかあるが、大体において会話劇となっているのが案外ネックとなっているのではないか。
 同じ会話劇でもウッディー・アレン辺りなら自虐的であったりシニカルであったり、あるいは異化効果を加えるなどして面白味を醸成するので、そこまで退屈もしないし、甚だ面倒臭いという印象も大体において回避されるが、こう重苦しいだけなのは、フランス人と少々恋愛観の違う典型的日本人には面倒臭さが先に立つのである。

彼の心を落ち着かせなくする息子の挿話も、余りうまく主題に絡み合っていないのではないか。

映画が扱わないだけかもしれないが、谷崎潤一郎が元気だった頃はともかく、最近の日本の老人は性愛から遠い印象がある。それに比べるとフランス人は・・・と思わせる作品がフランス映画には多い。

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