映画評「死刑にいたる病」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・白石和爾
ネタバレあり

櫛木理宇の同名サイコ・スリラーを白石和彌が映像化。タイトルは、勿論キルケゴールの哲学書「死に至る病」のパロディーである。

三流大学法学部で鬱屈していた大学生筧雅也(岡田健史)が、24人のハイティーン男女を殺した罪で死刑が確定した死刑囚榛村大和(阿部サダヲ)から手紙を受け取り、拘置所に面会に行く。彼が中学生時代によく通ったベーカリーの優しい店長だったからである。
 彼は17-18歳の真面目そうな男女学生を選んで、残忍な手法で殺し焼却して遺灰を野に埋めていたが、剥がした爪は水に流している。

雅也が殺されなかったのは年齢が達していなかったというに過ぎない模様。ただ後段の説明を考えるとそれだけではない可能性もある。

雅也君は、面会した榛村から、28歳の女性殺しはハイティーンのみを殺してきた自分によるものではないので調べて貰えないか、とやんわり依頼される。鬱屈していた若者はこの依頼にのめり込み、死刑囚を担当した弁護士事務所に通って調査をするうち、かつて裁判で彼を目撃したと証言した金山(岩田剛典)という若者が犯人ではないかと思い込むようになる。
 さらに、榛村と自分の母親(中山美穂)が少年時代から暫くある篤志家の庇護の下に過ごした後、母親が妊娠の為に追い出されたことを知り、榛村が父親なのではないかと疑うようになり、周囲に対し攻撃的な様子を見せる。それに反応したのが、同じ大学に通う同郷美少女・加納灯里(宮崎優)である。

サイコ・スリラーであるが、榛村に唆される形で筧雅也が探偵役を買うミステリーとしての要素もあり、「羊たちの沈黙」(1991年)をほぼ嚆矢とする囚人が探偵・捜査官を教授するパターンのヴァリエーションとして、なかなか楽しめる。

最後はちょっとしたどんでん返しで、これを正確に述べるにはまだ時期尚早なので伏せるが、僕が生涯において一番慄いたといっても過言ではない黒沢清監督の傑作「CURE」(1997年)のような感じであると言っておく。しかし、あの映画の衝撃には大分及ばない。とは言え、榛村は「CURE」の犯人同様人間離れしていると言うべし。

人体の部分とりわけ爪や手を中心に見せて、映画言語を構成する。特に面白かったのは、雅也と榛村が面会する場面。二人を仕切りのガラスに反射させて重ねるところもあるが、ガラスの仕切りを通り越えて二人が手を取り合ったり、ガラスの向こう側で一緒になるといった心象風景的場面が大変怖い。榛村の精神的支配力を表現して誠に強烈なのである。

今週は阿部サダヲVS松山ケンイチの対決になりそう。謎の予告編でした。

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