映画評「ロストケア」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年日本映画 監督・前田哲
ネタバレあり

吉永小百合主演「いのちの停車場」では提示だけに終わった安楽死・尊厳死の問題を、ミステリーの形で命題化している。その範囲で、現状全く認められていない日本であるだけに、力作であると言えると思う。折しもALS患者嘱託殺人を行った元医師への判決があったばかり。

障碍のある老人たちを自宅でケアする介護センターの所長と被介護の老人一人の死体が発見される。
 美人検事・長澤まさみは、このセンターに介護されている老人の死亡率が他所と比べて異常に大きいこと、月曜日と金曜日に死亡が集中していることから、その曜日に休みを取っている名高い介護士松山ケンイチを容疑者として逮捕する。
 彼は意外にあっさりと犯行を認める。その最初は自らの父親柄本明の殺しである。しかし、彼は「それは殺人ではなく(本人と介護者両方の)救いである」と言う。
 子供時代に別れたきりの父親の孤独死、介護施設に送った母親が認知症を発症している現実を経験している検事は、強気な発言の裏で、相手の発言を無視することができない自分に気付く。

松山が個人の殺人と国による殺人(死刑)の対比を口にしたことは、狙いが少しぼけるので余り良くないと思う。やはり安楽死・尊厳死の是非そのもののみに集中すべきだったのではある。
 些末なことだが、介護士として彼に憧れていた若い女性介護士が、事件の後、風俗嬢に転身するというのも雑音だ。

脳梗塞に倒れ更に認知症を発症した父親を介護する為に働くこともままならず松山は、市役所に生活保護を断られて、この世の不条理を知る。お金が潤沢にあれば施設に送るなどして彼自身も働けるが、働けない彼と父親に対して生活保護を与えない市役所の対応は形式に落ちている。
 かくして彼は、自分を救う以上に人間の尊厳と精神の安定を奪われた父親を犯行が発覚しにくいように殺す。この経験を基に彼は介護センターに勤め始め、二十人を超える同じような老障碍者を殺すのである。

被害者家族のうち、シングルマザー坂井真紀は "救われた" と検事に告白する。裁判所で戸田菜穂は "人殺し" と絶叫する。この類の事件ではかかる両端があると思われるが、後者にしても口とは裏腹に本音では "救われた" と思っているのかもしれない。本当に憎く思っているのかもしれない。
 検事の言うような肉親ならでは絆はあるだろうし、主人公が言うようにそうした肉親による絆が呪縛になって介護家族を苦しめ、場合によっては心中といった悲劇にも発展する。

これは永遠に解決しない問題なのであり、それが拘置所(刑務所? 死刑なら拘置所)での重苦しい面会が示す真理である。勿論仮に日本で安楽死・尊厳死が認められても、周囲の承認なしに彼が為した行為は犯罪である。しかし、私利私欲ではないので死刑は回避されるべきと思う。
 僕は、安楽死・尊厳死に関して、本人の意思(植物人間など本人に確認できない場合を除く)、家族の承諾、医師の承認を得ることで、認められるべきではないかと思っている。
 死んで良い命はないと言うが、やはりそれは多く安全地帯にいる人たちの言葉ではないか。安全地帯にいずとも絶対最後まで見届けるという殊勝な方も確かにいらっしゃるが、それが介護者の悲劇に繋がったら死ななくても良い命まで失われる。完全な施政ができて初めて、その言葉は有効になる。

社会性が高く、ミステリーとしての面白さも十分にある。社会派エンターテインメントとして一見の価値があると思う。

死刑にいたる病」で阿部サダヲの犯人は24人を殺し、こちらの松山ケンイチは父親を別に42人を殺している。数字の関係が面白い。二人とも芸名の名前がカタカナというのも面白い。カタカナと言えば、ロストケアなる言葉はほぼ意味不明。発言者(松山の犯人)本人は ”喪失の介護” と言ったようだが、喪失の介護って何だ? 前後の脈絡から言えば、介護からの解放という意味なのだろうか。

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