映画評「肉体と幻想」

☆☆★(5点/10点満点中)
1943年アメリカ映画 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ
ネタバレあり

ジュリアン・デュヴィヴィエには「舞踏会の手帖」(1937年)というオムニバス映画の名作があるが、疎開(?)したアメリカで戦時中に撮ったオムニバス「運命の饗宴」(1942年)は大分落ちた。アメリカの通俗趣味が、大衆寄りとは言え抜群の詩情を醸成する彼の作風を阻害し、気に入らなかった。
 本作はその翌年アメリカで撮った3部構成の怪奇オムニバス集だが、狂言回しの挿話を入れてもたった4話というのは些か物足りない。「運命の饗宴」のように6話も要らないが、もう一話強力な挿話があれば★一つや二つ分増えたかもしれない。

第1話はエリス・セント・ジョゼフの原作(原案?)の映画化。
 自分が不美人と信じ込んでいたベティ・フィールドが町で声を掛けられたマスク貸し屋に勧められてマスクを借りて祭で沸く町に繰り出し、憧れの美男学生ロバート・カミングズと見事恋仲になるが、シンデレラよろしく決められた時間にマスクを返さねばならない。しかし、店まで付いて来た彼に見せた素顔はマスク同様に美しかった、というハッピー・エンド。
 一種の心理劇で、一番怪奇なのはかのマスク貸しの正体でしょうな。

第2話は、これは怪奇短編として有名なオスカー・ワイルド「アーサー・サヴィル卿の犯罪」の映画化で、一番見応えがある。
 エドワード・G・ロビンスンは合理主義的な弁護士だが、占い師トーマス・ミッチェルに殺人者になると言われて不安に陥って堪えられなくなり、それではと逆転の発想でこの世に不要で長生きもせぬであろう老婦人を毒殺しようとする。翌朝その訃報が届くが、実はただの病死。これでは救われぬと町に繰り出して占い師と出会い、夢中で自分を苦しめる相手を殺してお縄(勿論本当は手錠ですがね)になる。
 程良く長く見応えはあるが、原作を読んでいるということを別にしても、怪奇劇のパターンを抜けきれない結末で趣向自体は平凡。意外性に拘るとそう面白いとは言えない。

最後はハンガリー出身のラズロ・ヴァドナイの映画化。
 サーカスの綱渡りとして有名なシャルル・ボワイエが自分が墜落死する悪夢を見てから不調に陥るが、客船内でその夢で見た特殊な形のイヤリングを付けた美人バーバラ・スタンウィックと運命的な出会いをし、憎からぬ仲になる。しかるに、次に彼女が逮捕される夢を見ると、その夢の通りに宝石泥棒だった彼女は逮捕される。が、彼との恋で善心に目覚めた彼女は自首つもりであったと告げ、彼は出所まで待つ様子を見せる。
 当座はハッピー・エンドではないものの、ロマンティックなお話と言うべし。
 デュヴィヴィエが作る価値があるとしたらこの第3話だが、秀逸というレベルまでは行かない。

しつこくて恐縮だが、第2話の見応えと第3話の洒落た感覚を合わせたような挿話がもう一話あれば「運命の饗宴」と互角になったであろう。

デュヴィヴィエにはもう一本「リディアと四人の恋人」という「舞踏会の手帖」と似た趣向のオムニバスがあるデス。渡米して3本も連続してオムニバスを作った。デュヴィヴィエの趣味か、それともハリウッドの思惑か?

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