映画評「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2022年アメリカ映画 監督ダニエル・クワン、ダニエル・シュナイナート
ネタバレあり
去年の今ごろアカデミー賞絡みで大いに話題になっていた記憶があるが、蓋を開けてみれば、ダニエル・クワンとダニエル・シュナイナートのコンビ監督の前作「スイス・アーミー・マン」と似たり寄ったりの怪作という程度に留まる。興味深いが、アカデミー賞が本来沙汰するような作品ではないだろう。
アメリカで暮らす中国出身の女性ミシェル・ヨーが、経営するコインランドリーの税申告に絡み、夫キー・ホイ・クワンと国税局に出かけて、一旦帰ることになった直後、彼女が監査官ジェイミー・リー・カーティスを殴るという暴挙に出るが、これには実はマルチバースが絡む裏があって、この後色々な世界が交錯しまくる賑やかな場面が延々と続く。
彼女には保守的で介護しなければならない父親ジェームズ・ホンがい、娘ステファニー・スーが同性愛者でタトゥーを入れたことに悩んでいる。娘は居場所がなくて家に寄りつかない。
実はこの家庭環境が重要である。映画史上稀に見る百面相と衣装をとっかえひっかえして大活躍のミシェル・ヨーが主役のようだが実は狂言回しで、保守的な家に居場所を見出せず当惑する娘がいかに母に愛を見出し家に戻ろうかと悪戦苦闘する様子をドタバタで見せる内容である。
複数の場面でオマージュを捧げている「2001年宇宙の旅」(1968年)のような哲学映画と言いたくなる印象がないではないが、ヒューマンな家族映画をマルチバースというSF的趣向を利用して人間の可能性に言及する哲学の手法で分解し再構築しているだけで案外底が浅く、「2001年」には大分及ばないと思う。
まあまあという評価に留めるのは、コメディー色が強い為ではない。既に記したように、ミシェル・ヨーを筆頭とする演技陣と画面以外は褒める程ではないからである。
ただ、一種のマッチカットとも言いたくなる感覚で次々とショットを変えていく賑やかな画面を見るうちに、我が【一年遅れのベスト10】の撮影賞を画面賞に変えようかと思うに至った。
アカデミー賞ほど細かく分けていない当方で、このVFXの時代では撮影といってもどこまでが純粋に撮影なのか曖昧であると同時に、素晴らしいVFXを評価する項目がないのは片手落ちのような気がし、画面賞という形でどちらに転んでもカバーできるものを設けるのも良いのではないかということであります。
日本では特に大衆に酷評されている(映画ファンの多い【Filmarks】と一般ファンの多い【Yahoo!映画】での評価の差を見よ。【Yahoo!映画】の投稿者はまた他人の評価に左右されやすく、評価が極端になりがち)。マイノリティを扱う映画に前のめりのアカデミー賞で評価されたのは移民と同性愛者が絡んでいるからであろう。ただ、 IMDb での平均点も高いからアメリカでは全般的に高く評価されたと言える。日本人はアメリカ人ほど狂騒的なものを受け付けないのだ。
2022年アメリカ映画 監督ダニエル・クワン、ダニエル・シュナイナート
ネタバレあり
去年の今ごろアカデミー賞絡みで大いに話題になっていた記憶があるが、蓋を開けてみれば、ダニエル・クワンとダニエル・シュナイナートのコンビ監督の前作「スイス・アーミー・マン」と似たり寄ったりの怪作という程度に留まる。興味深いが、アカデミー賞が本来沙汰するような作品ではないだろう。
アメリカで暮らす中国出身の女性ミシェル・ヨーが、経営するコインランドリーの税申告に絡み、夫キー・ホイ・クワンと国税局に出かけて、一旦帰ることになった直後、彼女が監査官ジェイミー・リー・カーティスを殴るという暴挙に出るが、これには実はマルチバースが絡む裏があって、この後色々な世界が交錯しまくる賑やかな場面が延々と続く。
彼女には保守的で介護しなければならない父親ジェームズ・ホンがい、娘ステファニー・スーが同性愛者でタトゥーを入れたことに悩んでいる。娘は居場所がなくて家に寄りつかない。
実はこの家庭環境が重要である。映画史上稀に見る百面相と衣装をとっかえひっかえして大活躍のミシェル・ヨーが主役のようだが実は狂言回しで、保守的な家に居場所を見出せず当惑する娘がいかに母に愛を見出し家に戻ろうかと悪戦苦闘する様子をドタバタで見せる内容である。
複数の場面でオマージュを捧げている「2001年宇宙の旅」(1968年)のような哲学映画と言いたくなる印象がないではないが、ヒューマンな家族映画をマルチバースというSF的趣向を利用して人間の可能性に言及する哲学の手法で分解し再構築しているだけで案外底が浅く、「2001年」には大分及ばないと思う。
まあまあという評価に留めるのは、コメディー色が強い為ではない。既に記したように、ミシェル・ヨーを筆頭とする演技陣と画面以外は褒める程ではないからである。
ただ、一種のマッチカットとも言いたくなる感覚で次々とショットを変えていく賑やかな画面を見るうちに、我が【一年遅れのベスト10】の撮影賞を画面賞に変えようかと思うに至った。
アカデミー賞ほど細かく分けていない当方で、このVFXの時代では撮影といってもどこまでが純粋に撮影なのか曖昧であると同時に、素晴らしいVFXを評価する項目がないのは片手落ちのような気がし、画面賞という形でどちらに転んでもカバーできるものを設けるのも良いのではないかということであります。
日本では特に大衆に酷評されている(映画ファンの多い【Filmarks】と一般ファンの多い【Yahoo!映画】での評価の差を見よ。【Yahoo!映画】の投稿者はまた他人の評価に左右されやすく、評価が極端になりがち)。マイノリティを扱う映画に前のめりのアカデミー賞で評価されたのは移民と同性愛者が絡んでいるからであろう。ただ、 IMDb での平均点も高いからアメリカでは全般的に高く評価されたと言える。日本人はアメリカ人ほど狂騒的なものを受け付けないのだ。
この記事へのコメント
未見になってるのは、こういうタイプの映画はB級で軽く仕上げてくれるといいんだけど、これはけっこう重量級ぽいので見ると疲れそうだというのがあって。「シェイプ・オブ・ウォーター」未見なのもそのせいなんですよね。
アカデミー賞も、昔の紅白歌合戦みたいなハリウッドのお祭りノリに戻って欲しいし、戻るかもしれませんね。今年臨界点にきたようなので。
>この年の作品賞は「トップガン マーヴェリック」に出せよと思いましたね。
「トップガン マーヴェリック」のようなのが本来のアカデミー作品賞対象作品であるべきで、日本の各映画雑誌の純文学指向とも違う方向性がそれらしかったのに、今アカデミー賞は映画芸術的にも娯楽性でも満点でなくても取れてしまうのが問題ですね。
>重量級ぽい
「2001年宇宙の旅」を意識しているところはありますが、そうでもないですよ。昔の香港映画のような感覚もないではないです。さすがにあそこまで安っぽくはないですが。
>昔の紅白歌合戦みたいなハリウッドのお祭りノリ
その言い方は良いですね。アカデミー賞は芸術至上主義ではないので。
私には、まあユニークで面白くなくはないが、軽いなあ、と。ほかの候補作と比べたわけではないので、なんともいえませんが。
>時代のせいなんでしょうね…。
僕にはそうとしか思えません。