映画評「ザ・ホエール」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年アメリカ映画 監督ダーレン・アロノフスキー
ネタバレあり
サミュエル・D・ハンターの戯曲を自ら映画用に脚色し、宗教絡みのモチーフを絡めることが多い異才ダーレン・アロノフスキーが映像に映した異色作。
いかにも舞台劇の映画化という内容で、フラッシュバックを除けば舞台はずっと主人公チャーリー(ブレンダン・フレイザー)が閉じこもる部屋である。
閉じこもるには理由があって、体重が200Kgもあり、歩行器なしには歩けないからである。
彼は現在作文の方法を教えるオンライン大学講師を務めているが、カメラには接続しない。彼がかような姿になったのは、何年か前に同性愛者の恋人アランを(自殺で?)失ったからである。
その前段として、彼はアランの為に当時8歳の娘エリー(16歳の現在はセイディー・シンク)と細君(サンディー・モートン)を捨てたという過去があり、この二つが本作の二大モチーフである。
エリーは父親が実は好きなので、捨てられたことを恨みながらも、赤点を取った感想文(エッセイと称される)の修正依頼に乗じて久しぶりに父親宅を訪れ、その様子にびっくりする。普段彼の面倒を見ているのはアランの妹で看護婦のリズ(ホン・チャウ)。これにニューライフなる新興宗教の訪問勧誘者トーマス(タイ・シンプキンズ)も絡む。
エリーは偽悪者で、辛辣な言動を繰り出すが、例えば家に帰れなくなった偽信仰者トーマスに家に帰るきっかけを作ったりする。父親チャーリーはその特徴によく気付いてい、過去の責任を取る目的もあって、収入の大半を娘の口座に送っている。彼は正直な言動こそ尊いと説き、娘に向って “物理的に” 立ちあがる。
映画はずっと暗くてローキーである。家のブラインドを下ろしているからで、たまにカメラが部屋の外に出てもその時は未明であったり、夕方であったり、雨模様であったり、やはり暗い。
しかし、内容から推して最後には〝光が射す”という映画言語の為に明るくなるだろうと予想した。実際その通りになるが、僕の予想とは違い、末期に至っていたらしい彼の肉体が再生することはなく、恐らくこの後亡くなるのだろう(亡くなるまで5日間のお話と理解できる)。明るくなるのは、ドアを開けた後彼女が父の思いに応えるからである。父親にとってもその行為が最後の光であっただろうが、それ以上に娘の未来に曙光が差したと考えたい。
人物の出入りは典型的な舞台スタイル。随時挿入されるピザ配達もそのムードを強調するが、基本的に声だけの彼が良いアクセントを成していて悪くない(最後に姿が確認できるところで、今時だなあと思わせる配役が、良し悪し)。
タイトルはダブル・ミーニングで、主人公お気に入りの娘の感想文が「白鯨」について書かれたものであり、主人公自体がクジラのような巨体であることを示している。まあ、言わずもがなでしょうがね。
クジラが咆えーる。
2022年アメリカ映画 監督ダーレン・アロノフスキー
ネタバレあり
サミュエル・D・ハンターの戯曲を自ら映画用に脚色し、宗教絡みのモチーフを絡めることが多い異才ダーレン・アロノフスキーが映像に映した異色作。
いかにも舞台劇の映画化という内容で、フラッシュバックを除けば舞台はずっと主人公チャーリー(ブレンダン・フレイザー)が閉じこもる部屋である。
閉じこもるには理由があって、体重が200Kgもあり、歩行器なしには歩けないからである。
彼は現在作文の方法を教えるオンライン大学講師を務めているが、カメラには接続しない。彼がかような姿になったのは、何年か前に同性愛者の恋人アランを(自殺で?)失ったからである。
その前段として、彼はアランの為に当時8歳の娘エリー(16歳の現在はセイディー・シンク)と細君(サンディー・モートン)を捨てたという過去があり、この二つが本作の二大モチーフである。
エリーは父親が実は好きなので、捨てられたことを恨みながらも、赤点を取った感想文(エッセイと称される)の修正依頼に乗じて久しぶりに父親宅を訪れ、その様子にびっくりする。普段彼の面倒を見ているのはアランの妹で看護婦のリズ(ホン・チャウ)。これにニューライフなる新興宗教の訪問勧誘者トーマス(タイ・シンプキンズ)も絡む。
エリーは偽悪者で、辛辣な言動を繰り出すが、例えば家に帰れなくなった偽信仰者トーマスに家に帰るきっかけを作ったりする。父親チャーリーはその特徴によく気付いてい、過去の責任を取る目的もあって、収入の大半を娘の口座に送っている。彼は正直な言動こそ尊いと説き、娘に向って “物理的に” 立ちあがる。
映画はずっと暗くてローキーである。家のブラインドを下ろしているからで、たまにカメラが部屋の外に出てもその時は未明であったり、夕方であったり、雨模様であったり、やはり暗い。
しかし、内容から推して最後には〝光が射す”という映画言語の為に明るくなるだろうと予想した。実際その通りになるが、僕の予想とは違い、末期に至っていたらしい彼の肉体が再生することはなく、恐らくこの後亡くなるのだろう(亡くなるまで5日間のお話と理解できる)。明るくなるのは、ドアを開けた後彼女が父の思いに応えるからである。父親にとってもその行為が最後の光であっただろうが、それ以上に娘の未来に曙光が差したと考えたい。
人物の出入りは典型的な舞台スタイル。随時挿入されるピザ配達もそのムードを強調するが、基本的に声だけの彼が良いアクセントを成していて悪くない(最後に姿が確認できるところで、今時だなあと思わせる配役が、良し悪し)。
タイトルはダブル・ミーニングで、主人公お気に入りの娘の感想文が「白鯨」について書かれたものであり、主人公自体がクジラのような巨体であることを示している。まあ、言わずもがなでしょうがね。
クジラが咆えーる。
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