映画評「聖職の碑」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1978年日本映画 監督・森谷司郎
ネタバレあり

東宝が1977年「八甲田山」のヒットに気を良くしたのか、同じく新田次郎の小説(実話もの)を同じく森谷司郎監督を起用して映像に移した。撮影も引き続いて木村大作で、この二作での経験を生かして31年後に「劍岳 点の記」を作ったのであろう。

大正2年8月、鍛錬主義の赤羽校長(鶴田浩二)が、理想主義の白樺派教師たちの反対を押し切って、長野県箕輪高等小学校恒例の木曽駒ケ岳の登山を強行するが、事前の調べに反して台風の接近、頂上の小屋が失火で半壊していた為、教師と生徒の計38人が遭難してしまう。

勿論、映画は、全体の半分くらいを占めるこの遭難から校長以下教師たち(三浦友和、地井武男)がいかに生徒を守ろうと奮闘し、生徒たちもまた健気に生還しようと頑張り続ける様子が眼目である。

山岳自体はロケだが、遭難現場は当然セットで行われ、東宝らしい特撮を生かした部分がある。それ自体はオールド・ファンとしては微笑ましいくらいだが、血の気を失った校長や生徒に施される化粧は些かゾンビめき、ちょっとやり過ぎと思う。

ドラマ部分を成す基調は、いかに教育はあるべきか、である。スペクタクルに入る前に、校長の鍛錬主義(一種の根性論)と白樺派教師の理想主義の対立を見せる。
 理想主義の教育というのは、戦前ならではの視学官(佐藤慶)などが押し付けて来る成果主義的な形式を超える自由な教育である。例えば、現在の課外活動などに近いものがありそうだ。また、視学官ら官僚や政治家が言うことは、すぐに大学に結果を出すことを求め、あるいは人文系を冷遇する現在の文科省の態度に通ずる。いつの時代も官僚や保守的な政治家は国を強くしようとして逆の結果が出るようなことに邁進する。
 映画は、主義主張ではなく、校長や引率教師の生徒の為に為した自己犠牲的行動こそ教育ではないか、と主張する。だからこそ、頭の固かった郡教育会が、校長の亡くなった場所に教訓の為に碑(いしぶみ)を作る為に奔走して遂には亡くなる教師(北大路欣也)の志を認めるところが、そこはかとなく感動的なのだ。

地主の息子・田中健の教師が、家族に歓迎されない、小作の娘・大竹しのぶとの結婚の為に校長に登山を免除された結果生き残るというのは皮肉であるが、彼は自分が教師の役目を果たさなかったと慙愧に堪え切れず、自死する。
 このエピソードは実話だろうか? 特に評価を下げるものではないが、主題の強化する為の創作であるような気がする。

基礎科学も人文学も大事よ。選択制夫婦別姓が経済に利することに経済界が気付いたことは良いことだが、僅か7%くらいの保守政治家の為にまだ実現しない。後数年の辛抱だと思うが。

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