古典ときどき現代文学:読書録2024年夏号
暑いですねえ。と言いたいですが、まだそこまでは行っていない感じです。
季刊になって2回目の読書録です。
自ら課した目標から殆ど解放されて結構自由に読んでいます。その結果映画化された作品が多くなりましたが、昔読んだ杵柄(なんて言葉はないです)で、古今東西のミステリーもぽつりぽつりと。
小説以外のジャンルが少なめであり、文学以外の本も手にしたいものの、端緒がなくて困っています。この辺りは今後の課題ですね。お薦めの【文学以外の書籍】がありましたら、是非ご紹介ください。
誰も読まないものとしては、今回は狂言数作、そして中国清朝の大衆小説「三任五義」があるくらいで、大分少ない。おやっ、皆さん、ホッとしていますね。しかし、実はこの手も結構面白いから、余程暇のある方はどうぞ!
それでは、ご笑覧ください。
ポール・オースター
「ムーン・パレス」
★★★★映画人にはお馴染みかもしれない作者ならではの、波乱万丈の映画的な小説という気がする。中心となる時代は1960年代後半で、アポロ11号が月に降り立った頃。ムーン・パレスは料理店の名前で、月のように丸い顔の人物が出てくるなど、月が通奏低音となっている。彼の亡き母の兄が本持ちで、それを生前贈与(笑)され、やがてそれを入れた段ボール箱が家具になり、その後彼の収入源になる。それも尽きて応募した本読みのような仕事の雇い主も本持ちである。そして、彼の息子で後半の最重要人物たる学者も物凄い本持ちで、本に対する愛着があるところが個人的には非常に好もしい。人物関係に物凄い運命が渦巻いている。
H・ライダー・ハガード
「ソロモン王の宝窟」
★★★通常は「~の洞窟」という邦題で紹介される。何度か映画になった冒険小説の古典。最後に我々が目にしたのは「ロマンシング・ストーン」ヒットを受けて作られ、シャロン・ストーンが人気の出るきっかけとなった版で、白人女性が出てこない本作のイメージとは大分違う。アフリカの原住民を野蛮人とみなす白人の意識が随所に出て来る。それは時代故に仕方ないとしても、後半に入って白人たちが巻き込まれる、原住民の権力争奪戦争の辺りは退屈させられた。ただ、作者はこの辺りの事情に詳しかったように見受けられる。
ジョン・サザーランド
「ヒースクリフは殺人犯か?」
★★★★英国の古典文学36編から謎を発掘し、それを解明しようと試みるエッセイである。34項目のうち17項目の作品は読んでいる。残る17項目(19作品)のうち9作品は未邦訳。残る10作品のうち7つが図書館にあり、早晩読むことになるだろう。最初の5作品以外はヴィクトリア朝に書かれた作品。ヴィクトリア中期までの英国の小説はやたらに長い(ブロンテ姉妹は短い部類)のだが、本著を読んでその理由の一端が理解できた。一見重箱の隅をつつくように見える謎を解明しようとするうちに、作品の真の狙いが浮き彫りになったり、当時の世相が背景に揺曳するのが解ったり(「ドリアン・グレイの肖像」が英国人に不安を与える理由など面白い)、相当面白い文学論となっている。ほぼ全て読んでいれば★5つでも良いくらいだ。高校の現国の授業で夏目漱石「こころ」で、二人の人物の部屋を分ける襖が少し空いていた理由についてクラス全員で考えたことを思い出す。問いを発した先生も確定した答えを持っていなかったような気がするが、どうだったろうか。多分日本の作家の中で、漱石が一番謎を秘めた作品を書いたのではないか?
野間 宏
「青年の環 第一巻:華やかな色彩」
★★★全六部全五巻の第一巻は二部構成。戦雲垂れこめる1939年7月から9月のたった2ヶ月を全五巻で描く。文庫本にすれば恐らく4000ページを超える大著で、このペースだから、一人称と三人称の違いはあるけれども回想形式のプルースト「失われた時を求めて」の緻密な心理の流れを思い起こさせるものがある。主人公は市役所勤めで部落を担当していたことがある作者をモデルにした矢花正行と、学生時代に彼と共にした政治活動から脱落した実業家の長男・大道出泉(だいどういいずみ)。
「青年の環 第ニ巻:舞台の顔」
★★★★矢花は出泉の妹でダンサーの陽子に対する肉体的な愛、その後に交際を始めた病弱な芙美子の精神への愛の狭間に揺れる一方で、特高の追及を恐れる日日を過ごす。出泉は足の悪い田口なる悪友の悪辣な実態に気付きつつ、電力会社要人の父親や妹・陽子を巻き込む罠から抜け出せない。妹と違って母親が妾であるという出自暴露にも田口の悪計が絡んでいるらしいことなど、二人の主人公の悩みには色々と謎が付きまとう。辛抱強く読む必要はあるが、なかなか面白い。野間は一旦ここで中断し、15年後くらいに再開し、第3巻と4巻として発表する。僕も来季まで中断。
チャールズ・ディケンズ
「荒涼館」
★★★★何十年にも及ぶ相続をめぐる民事裁判の当事者が、親戚筋の少年男女と孤児の少女エスタを引き取る。片や、準男爵夫人の結婚前の黒歴史をめぐる陰謀と、それが引き起こす殺人事件。この三つが最初のうちは全く別の様相を見せ、大袈裟に言えば「人間の証明」のように進行して絡み合う妙味。後者の事件を担当するバケット警部の名探偵ぶりはかなり本格ミステリー的。ディケンズとしては、余りに長引く民事裁判は人を不幸にするだけと、その改善を求めているようだ。ヴィクトリア朝の小説は長く、これも例に洩れず、文庫本にすれば1500ページくらいはありそうだが、序盤のまだるっこいところを乗り越えるとその後は興味がそそられるのではないか。
ヘンリー・ウィリアムスン
「かわうそタルカ」
★★★一匹のかわうそが生れ、狩りの犬に襲われて死ぬまでを、ドキュメンタリー・タッチで綴る。生きる為ではなくスポーツの為に行われる狩りは、かわうその立場になると、非常に義憤を呼び起こす。一方、本書では、かわうそもスポーツ感覚で魚を殺したりもする。しかし、その後大概食べてもいるので、人間ほど悪辣ではない。
アルベール・カミュ
「ペスト」(再)
★★★2020年にコロナ禍に入り、読む人が増えたと聞く。その頃久しぶりにマイ・ライブラリーにある新潮文庫本2冊分冊版を読もうかと思ったが、他に読みたい本がごまんとあったので、結局今頃になった。しかし、合わせて400ページに満たない本を分冊にするかねえ。この小説の状況はパンデミックではなく局所的なエピデミックにつき(パンデミックなのに強権的政権故にできた)中国のように封鎖されるわけで、為にコロナ禍下での日本とは逆に、映画館などが流行ったりする。反面、我々が体験したような現象も起きたりする。しかるに、カミュがこの小説でペストに仮託したのはファシズムらしい。悲惨な出来事に神の存在を疑いたくなる状況故に神を信じざるを得なくなる聖職者が出て来る。実に重い。
目取真 俊
「水滴」
★★★★第117回(1997年上半期)芥川賞受賞作。世紀末になってマイノリティーが主体になる作品が多くなってきた。沖縄で碌に戦争体験もしていないのに語り部となって評判となった老人の足が腫れる。腫れた足から滴る水を求めてかつて洞窟に一緒に居て見捨てた兵士の幻影が現れる。満足して兵士がいなくなると、腫れは引く。何故か奇跡を起こした水は効力を失い、それを売った親戚の男はひどい目に遭う。贖罪を綴った一種のファンタジーで、ユーモラスな部分もあるが、重い。結構気に入った。
藤沢 周
「ブエノスアイレス午前零時」
★★★第119回(1998年上半期)芥川賞受賞作。温泉旅館に勤務する青年が、かつて娼婦をしていたと噂される認知症の高齢女性相手にタンゴを踊ると、ブエノスアイレスの一室で女性と過ごす幻想が下りて来る。彼らが踊るのはタンゴだが、小説自体はブルースの味だろう。
花村 萬月
「ゲルマニウムの夜」
★★同じく第119回芥川賞受賞作。前回が受賞作なしで、その次の回は二作同時受賞が多い。キリスト教会を舞台にした男色、しかも小児性愛も絡む、嫌な内容だが、気色悪くて仕方がなかった映画版ほど抵抗を覚えない。とは言え、余り趣味ではない。
平野 啓一郎
「日蝕」
★★★第120回(1998年下半期)芥川賞受賞作。勿論現代の口語体であるが、漢語や雅語を多用する疑似和漢混淆文のようなスタイルで、15世紀の聖職者が書いたことになっている彼の内面世界を作りあげる。魔女狩りやらアンドロギュノス(ヘルムアフロディーテ)が出て来るグロテスクさは、確かに世に言われるように三島由紀夫的。
玄 月
「蔭の棲みか」
★★第122回(1999年下半期)芥川賞受賞作。在日朝鮮・韓国人で、玄が苗字で月が名前。済州島出身で戦時中(当時は日本人であった)に障碍者になった老人が、中国人を交えて、色々と経験する不条理な物語。僕はちょっとカフカを感じたが、カフカ同様余りピンと来ない。
藤野 千代
「夏の約束」
★★★同じく第122回(1999年下半期)芥川賞受賞作。やはり受賞作なしの次の回は、例によって二作同時受賞。この回に限らず銓衡 (選考) 者の選評を読むと、毎回のようにLGBTQ(当時はそんな言葉はなかったが)をテーマやモチーフにした作品が銓衡に残っているらしい。本作は男性のゲイ・カップル(今ゲイはかつてのホモに置き換わった感があるが、当時は男女区別なく同性愛者はゲイとされていたと記憶する。何故か少しだけ昔に戻った)が主人公で、二人の親しい人にはトランスジェンダーもいる。彼らはストレートな人たちとも交流している。ゲイの主人公が差別を何とも思っていないのが面白い。
フランツ・ファノン
「黒い皮膚・白い仮面」
★★★作者はフランス領マルティニーク島出身の精神科医。殆ど黒人しかいないマルティニーク島でファノンは自分をフランス人と思っていた。フランス本国へ行って白人の子供から怖がられ、差別され特別扱いされて、彼は自分が黒人(白人の血が混じっているかどうかは全く関係ない)であることに気付く。白人こそ黒人が自分のアイデンティティーを知る鏡なのである。この当たり前のようなことに気付かせてくれるだけでこの本は価値がある。想像していた以上に哲学的のような気がした。
アンソニー・ホロヴィッツ
「カササギ殺人事件」
★★★★★脱帽しました。本格推理にもはや新手などないと思っていたが、あった。二分冊の長いミステリーだが、二冊にしないといけない理由がある。上編の95%はアラン・コンウェイなる架空の作家が書いたアガサ・クリスティー風ミステリー。入れ子構造なのである。下編はコンウェイを売り出した出版社の美人(ここでは比較的若い女性という意味ですよ)編集者スーザン・ライランドが、何故か突然自殺(?)したコンウェイの最新作の失われた(?)結末部分を探るうちコンウェイの死の謎を犯人を特定する探偵として行動することになる。下編は結末がないのは何故か、コンウェイの死が自殺でないとすれば殺人犯は誰か、そして彼の遺作の犯人は誰か、という三つの謎をめぐって虚実が織り交ざる形で進行する。緻密な構成に驚いた。
井伊 直弼
「狸腹鼓」
★★★狂言。 “たぬきのはらつづみ” と読む。作者は桜田門外の変で暗殺された井伊直弼となっているが、実は伝承されているものを整理したといったところ。狸を狩ろうとする男を一匹の狸が伯母にばけて騙そうとするが尻尾を掴まれ(狸だけに)大騒ぎになる。
作者不明
「大黒連歌」
★★脇狂言。可笑し味は薄いが、大黒様が出て来ておめでたい。
「粟田口」
★★大名狂言。 大名が求める “粟田口” という武器を巡って、 その派遣者である太郎冠者が、自分が粟田口であるとすっぱ(忍者もしくは間諜即ちスパイ)に騙される言葉遊びの巻。
「木六駄」
★★小名狂言。これも言葉遊びの巻で、贈り物の木六駄 (牛6頭分の木材の意味) を他人にやってしまい、遣いをうまく果たせなかった太郎冠者が手紙に書いてある木六駄とは自分のことと言い抜けるが、酒については誤魔化しきれない。
「右近左近」
★★★★婿女狂言。 “おこさこ” と読む。これは笑劇として現代に通ずるお笑いと言うべし。臆病な百姓右近が近所の左近の牛が田を荒らすことに絡み公事 (裁判) を起こそうとし、細君に地頭に扮して貰って模擬練習するが、臆病なので本番と勘違いを起こす。やがて正気に戻ると、妻が左近贔屓なのは良い仲だからとすっぱ抜くも、強い細君に太刀打ちできない。自虐的に終わる幕切れはウッディー・アレンみたいだ。
「朝比奈」
★★★鬼山伏狂言。地獄の不況で閻魔大王が自ら辻に立つが、やってきた和田合戦で活躍した朝比奈 (和田義秀) に頭が上がらず、極楽への案内までさせられる、というお笑い。
石 玉崑
「三侠五義」
★★★★清朝に書かれた武侠小説で、舞台は宋時代。序盤の主人公は大岡越前の原形のような名判事で中世ミステリーのような面白味を期待させるが、やがて彼を守ろうとする義賊たちがそれぞれ活躍するお話となっていく。我が邦の「南総里見八犬伝」を思えば遠くない。白話小説の類では相当面白い部類。三侠と言っても三人以上出てくるわけだが、この表現は中国で定着したようで、今年初めに観た香港映画に「ワンダーガールズ 東方三侠」というのがある。
ジョルジュ・バタイユ
「マダム・エドワルド」
★★★哲学者バタイユのエロティック小説。エロ小説と書くと純ポルノみたいな感じがするので避けました(笑)。
「目玉の話」
★★★★昔は「眼球譚」という邦題だった。死と性 (生) が絡み合うエロ・グロ小説で、新訳者の中条昌平は、小説に出て来る玉子と合わせる為に睾丸を金玉、眼球を目玉にしたと言う。悪漢小説的な構成で、排泄も絡むなど、マルキ・ド・サドの20世紀版の趣きがあるが、さすがにあれほど残酷ではない。
ヴァージニア・ウルフ
「オーランドー」
★★★★日本の文学愛好者からヴァージニア・ウルフは意識の流れを実施した作家として取り上げられることが多いわけが、これは遊びと言おうか洒落っ気に満ちた幻想譚で、ハリー・ポッターならでサリー・ポッターが映画化した「オルランド」の男⇒女への変身が当時話題になった。というのも、日本の映画館で初めてドラマ映画で大人の性器がぼかしなし(ドキュメンタリーなどでは普通に見せられることも多かった)で映され、それを映倫が認めたからである。などと観て来たようなことを言っているが、僕が少し後に観たWOWOW版は見事にぼかされていた。映画的に結構重要なのにね。エリザベス朝時代から現在 (1928年) まで殆ど年を取らずに生きてきた彼女の人生が暗喩するのは、英国の詩歌史である。途中で彼が彼女になるのは、英国で女性文学者が誕生したことを示す(らしい)。
吉本 ばなな
「キッチン」
★★★★8年前に観た森田芳光の映画版よりぐっと鮮やか。透明な小説だ。原作との忠実性ということを考えれば、もの凄い美人という “おかあさん” の橋爪功という配役はありえないなあ。原作の表現から僕が配役するなら宝塚の男役出身の女優(個人的には苦手だが真矢ミキあたり)が良い。尤も、恋愛映画として作ったと思われる映画版と違って、小説はヒロインが疑似家族的な関係によって背景でしかなかった近親者の死を実感していく再生劇であり家族の物語。映画においてその意味で “おかあさん” はさほど重要ではなかったのだろう。
「満月 キッチン2」
★★★小説では実はキー・パースンであった “おかあさん” の死から始まる。前作で幾つかある死は既に起こったものであり、読者にとって死は背景に揺曳するものにすぎなかったが、今回は違う。正編では透明に感じた空気がスモッグで覆われたよう。しかし、最後は登場人物が自らそれを晴らすのだ。二部で一作と考えれば、二作の総合点は★★★★。
「ムーンライト・シャドウ」
★★★★★この小説のヒロインは恋人を交通事故で失った喪失感からなかなか立ち直れない。恋人の弟は兄と恋人を同時に失った喪失感を奇行によって糊塗している。ヒロインは奇妙な女性と知り合うことで、その現状をぐっと変えていく。「キッチン」二部作と合わせて読むと、死を常に意識することで生にしがみつくことが出来るというのが吉本ばななの死生観ということが解って来る。
夏樹 静子
「Wの悲劇」
★★★★映画版は、この小説を入れ子の劇中劇にしてダブル (Wにかけています) ならぬトリプルのWの作品となっていて、鮮やかだった。本作はエラリー・クイーンの「悲劇」シリーズを意識してこのタイトルが付けられ、アガサ・クリスティーばりのクローズド・サークルものの設定を用意しながら倒叙ものとしてスタートする。途中から実は倒叙ものではなかったことが明らかになって来る。巧い手だと思いましたな。これはストレートに映画化しても良かった逸品。
ジョゼフ・ヘラー
「キャッチ=22」
★★★その昔、映画版も観た。 “キャッチ22” なる実在しない規律を頂点とする循環論的な思想が軍隊に蔓延しているという設定で、 軍隊を諧謔的に扱うブラック・コメディー小説。 “キャッチ22” によれば、正気の者も狂気の者も結局は永遠に続くとも思われる出撃をこなさなければならない。
アーサー・コナン・ドイル
「シャーロック・ホームズの事件簿」
★★★第五公式短編集。12編収録。光文社文庫で読む。これをもってホームズが担当した事件は完了することになる。本格推理と言っても短編は自ずと奇妙な味的な作りとならざるを得ないわけで、殺人が出てこないものも多い。熱心なシャーロッキアンではない僕には、旧作の焼き直しのように感じられて夢中になれる作品は多くないが、「三人のガリデブ」のような発想は好きだ。「這う男」は「ジキル博士とハイド氏」を彷彿とするSF趣味だが、科学的知識を持つ現代人の目にはバカバカしいだろう。
「シャーロック・ホームズの叡智」
★★★上で完結と言いながら、まだ一部短編が残っているのでござる。新潮社が大人の事情で既刊の公式短編集から省かれた八編を収録した新潮文庫独自編集版である。割愛されたのは第一短編集から二作、第二から一作、第三から三作、第五から二作。このうち第一・第五は光文社文庫版で読んだので、第二『~の思い出』の一編、第三『~の帰還』の三篇を本作にて初めて読む。敢えて省略するなら選ばれても仕方がないというのもあるが、『~の思い出』収録の「ライゲートの大地主」はちょっとした作品ではあるまいか。
アガサ・クリスティ
「ABC殺人事件」(再)
★★★★★ポワロもの第11作。久しぶりに読んだが、僕の好きな見立て殺人ものであり、まして犯人設定がかなり劇場型なので、相当面白く読める。少しネタバレになるが、エドガー・アラン・ポーの「失われた手紙」の公式を連続殺人に応用している。
ダニエル・ケールマン
「世界の測量」
★★★★サブタイトルが “ガウスとフンボルトの物語” なので、偉人二人が出て来るのだろうから面白い筈と踏んで手に取ってみた。ガウスは有名な数学者・天文学者、フンボルトは地理好きの僕には小学生の時からお馴染みの地理学者。同じドイツと言っても、当時は別国のハノーファーとプロイセンの出身で、後年ベルリンの会議で実際に会った。小説はその事実から始まり、暫し巻き戻して、章ごとに交互に二人の冒険的活動を綴っていく。面白いのは互いに会う前から相手の情報を見聞きする機会があり、会議での遭遇後の終盤に見られる、空間を超えてあたかも会話をするような文章構成である。極めて映画的で面白い。
大江 健三郎
「芽むしり仔撃ち」
★★★大江健三郎以降に出て来た作家には、こういうドライな文体を持ち、あるいはダーク・ファンタジー的な設定をする人が増え、僕も2000年までの芥川賞受賞作を踏破してきたから大分慣れて来はした。不条理感はカフカではなくカミュに近いだろう。戦時中感化院の少年たちが疎開した村で感染症が発生し、教師たちが第二次隊を引き連れて来る合間に、村人は村を封鎖した上で隣村に避難する。子供たちの世界にも対立構造があって「蠅の王」のようになるかと思わせるが、朝鮮人(旧日本人)や脱走兵や母親と死に別れた一人の少女を交えるうちに対村人という構図が出来上がる。子供たちの王国は、しかし、突然の村人の帰還で呆気なく瓦解する。自由を維持するのは難しいのだ。実際村人は子供たちに言論統制を敷く。唯一言うことを聞かない主人公は逃走する。
安楽庵 策伝(編・作)
「醒睡笑」
★★策伝が子供の頃から書き留めた笑い話の類を時に彼の評を加えながら紹介する。広本は全1039話だが、僕が読んだのは全311話の狭本。項目ごとに分けられ、読みやすい。読みやすいが、原文は現在の読点のところが句点なので、その意味では読みにくい。落語の先輩のようなものと思えば遠くないでしょう。
F・スコット・フィッツジェラルド
「ラスト・タイクーン」
★★フィッツジェラルドの未完成長編。映画版を観たのはもう半世紀近く前の一度だからまるで憶えていなかった。お金に困ったフィッツジェラルドが晩年参加することになったハリウッド映画界を舞台に、実在の製作者アーヴィング・タルボーグをモデルに一人の製作者がある女性に傾倒していく様を描く。未完成なので、残された文章から編者が勝手に加えたところもあるようだが、人気作で幾つも翻訳されている。実在の有名俳優の名前が頻出する一方、勿論重要人物は架空もしくは仮名。
井上 靖
「孔子」
★★★若い頃よく読んだ井上靖の、最後の長編小説。「論語」がどういう経緯・形で成立していったかという命題をもって書かれた歴史小説である。井上靖が作り上げた、最後の生き証人に当たる語り部の弟子を中心に研究者たちが語り合うのだ。アプローチは興味深いが、井上の歴史小説では三人称のほうが好きだ。
季刊になって2回目の読書録です。
自ら課した目標から殆ど解放されて結構自由に読んでいます。その結果映画化された作品が多くなりましたが、昔読んだ杵柄(なんて言葉はないです)で、古今東西のミステリーもぽつりぽつりと。
小説以外のジャンルが少なめであり、文学以外の本も手にしたいものの、端緒がなくて困っています。この辺りは今後の課題ですね。お薦めの【文学以外の書籍】がありましたら、是非ご紹介ください。
誰も読まないものとしては、今回は狂言数作、そして中国清朝の大衆小説「三任五義」があるくらいで、大分少ない。おやっ、皆さん、ホッとしていますね。しかし、実はこの手も結構面白いから、余程暇のある方はどうぞ!
それでは、ご笑覧ください。
***** 記 *****
ポール・オースター
「ムーン・パレス」
★★★★映画人にはお馴染みかもしれない作者ならではの、波乱万丈の映画的な小説という気がする。中心となる時代は1960年代後半で、アポロ11号が月に降り立った頃。ムーン・パレスは料理店の名前で、月のように丸い顔の人物が出てくるなど、月が通奏低音となっている。彼の亡き母の兄が本持ちで、それを生前贈与(笑)され、やがてそれを入れた段ボール箱が家具になり、その後彼の収入源になる。それも尽きて応募した本読みのような仕事の雇い主も本持ちである。そして、彼の息子で後半の最重要人物たる学者も物凄い本持ちで、本に対する愛着があるところが個人的には非常に好もしい。人物関係に物凄い運命が渦巻いている。
H・ライダー・ハガード
「ソロモン王の宝窟」
★★★通常は「~の洞窟」という邦題で紹介される。何度か映画になった冒険小説の古典。最後に我々が目にしたのは「ロマンシング・ストーン」ヒットを受けて作られ、シャロン・ストーンが人気の出るきっかけとなった版で、白人女性が出てこない本作のイメージとは大分違う。アフリカの原住民を野蛮人とみなす白人の意識が随所に出て来る。それは時代故に仕方ないとしても、後半に入って白人たちが巻き込まれる、原住民の権力争奪戦争の辺りは退屈させられた。ただ、作者はこの辺りの事情に詳しかったように見受けられる。
ジョン・サザーランド
「ヒースクリフは殺人犯か?」
★★★★英国の古典文学36編から謎を発掘し、それを解明しようと試みるエッセイである。34項目のうち17項目の作品は読んでいる。残る17項目(19作品)のうち9作品は未邦訳。残る10作品のうち7つが図書館にあり、早晩読むことになるだろう。最初の5作品以外はヴィクトリア朝に書かれた作品。ヴィクトリア中期までの英国の小説はやたらに長い(ブロンテ姉妹は短い部類)のだが、本著を読んでその理由の一端が理解できた。一見重箱の隅をつつくように見える謎を解明しようとするうちに、作品の真の狙いが浮き彫りになったり、当時の世相が背景に揺曳するのが解ったり(「ドリアン・グレイの肖像」が英国人に不安を与える理由など面白い)、相当面白い文学論となっている。ほぼ全て読んでいれば★5つでも良いくらいだ。高校の現国の授業で夏目漱石「こころ」で、二人の人物の部屋を分ける襖が少し空いていた理由についてクラス全員で考えたことを思い出す。問いを発した先生も確定した答えを持っていなかったような気がするが、どうだったろうか。多分日本の作家の中で、漱石が一番謎を秘めた作品を書いたのではないか?
野間 宏
「青年の環 第一巻:華やかな色彩」
★★★全六部全五巻の第一巻は二部構成。戦雲垂れこめる1939年7月から9月のたった2ヶ月を全五巻で描く。文庫本にすれば恐らく4000ページを超える大著で、このペースだから、一人称と三人称の違いはあるけれども回想形式のプルースト「失われた時を求めて」の緻密な心理の流れを思い起こさせるものがある。主人公は市役所勤めで部落を担当していたことがある作者をモデルにした矢花正行と、学生時代に彼と共にした政治活動から脱落した実業家の長男・大道出泉(だいどういいずみ)。
「青年の環 第ニ巻:舞台の顔」
★★★★矢花は出泉の妹でダンサーの陽子に対する肉体的な愛、その後に交際を始めた病弱な芙美子の精神への愛の狭間に揺れる一方で、特高の追及を恐れる日日を過ごす。出泉は足の悪い田口なる悪友の悪辣な実態に気付きつつ、電力会社要人の父親や妹・陽子を巻き込む罠から抜け出せない。妹と違って母親が妾であるという出自暴露にも田口の悪計が絡んでいるらしいことなど、二人の主人公の悩みには色々と謎が付きまとう。辛抱強く読む必要はあるが、なかなか面白い。野間は一旦ここで中断し、15年後くらいに再開し、第3巻と4巻として発表する。僕も来季まで中断。
チャールズ・ディケンズ
「荒涼館」
★★★★何十年にも及ぶ相続をめぐる民事裁判の当事者が、親戚筋の少年男女と孤児の少女エスタを引き取る。片や、準男爵夫人の結婚前の黒歴史をめぐる陰謀と、それが引き起こす殺人事件。この三つが最初のうちは全く別の様相を見せ、大袈裟に言えば「人間の証明」のように進行して絡み合う妙味。後者の事件を担当するバケット警部の名探偵ぶりはかなり本格ミステリー的。ディケンズとしては、余りに長引く民事裁判は人を不幸にするだけと、その改善を求めているようだ。ヴィクトリア朝の小説は長く、これも例に洩れず、文庫本にすれば1500ページくらいはありそうだが、序盤のまだるっこいところを乗り越えるとその後は興味がそそられるのではないか。
ヘンリー・ウィリアムスン
「かわうそタルカ」
★★★一匹のかわうそが生れ、狩りの犬に襲われて死ぬまでを、ドキュメンタリー・タッチで綴る。生きる為ではなくスポーツの為に行われる狩りは、かわうその立場になると、非常に義憤を呼び起こす。一方、本書では、かわうそもスポーツ感覚で魚を殺したりもする。しかし、その後大概食べてもいるので、人間ほど悪辣ではない。
アルベール・カミュ
「ペスト」(再)
★★★2020年にコロナ禍に入り、読む人が増えたと聞く。その頃久しぶりにマイ・ライブラリーにある新潮文庫本2冊分冊版を読もうかと思ったが、他に読みたい本がごまんとあったので、結局今頃になった。しかし、合わせて400ページに満たない本を分冊にするかねえ。この小説の状況はパンデミックではなく局所的なエピデミックにつき(パンデミックなのに強権的政権故にできた)中国のように封鎖されるわけで、為にコロナ禍下での日本とは逆に、映画館などが流行ったりする。反面、我々が体験したような現象も起きたりする。しかるに、カミュがこの小説でペストに仮託したのはファシズムらしい。悲惨な出来事に神の存在を疑いたくなる状況故に神を信じざるを得なくなる聖職者が出て来る。実に重い。
目取真 俊
「水滴」
★★★★第117回(1997年上半期)芥川賞受賞作。世紀末になってマイノリティーが主体になる作品が多くなってきた。沖縄で碌に戦争体験もしていないのに語り部となって評判となった老人の足が腫れる。腫れた足から滴る水を求めてかつて洞窟に一緒に居て見捨てた兵士の幻影が現れる。満足して兵士がいなくなると、腫れは引く。何故か奇跡を起こした水は効力を失い、それを売った親戚の男はひどい目に遭う。贖罪を綴った一種のファンタジーで、ユーモラスな部分もあるが、重い。結構気に入った。
藤沢 周
「ブエノスアイレス午前零時」
★★★第119回(1998年上半期)芥川賞受賞作。温泉旅館に勤務する青年が、かつて娼婦をしていたと噂される認知症の高齢女性相手にタンゴを踊ると、ブエノスアイレスの一室で女性と過ごす幻想が下りて来る。彼らが踊るのはタンゴだが、小説自体はブルースの味だろう。
花村 萬月
「ゲルマニウムの夜」
★★同じく第119回芥川賞受賞作。前回が受賞作なしで、その次の回は二作同時受賞が多い。キリスト教会を舞台にした男色、しかも小児性愛も絡む、嫌な内容だが、気色悪くて仕方がなかった映画版ほど抵抗を覚えない。とは言え、余り趣味ではない。
平野 啓一郎
「日蝕」
★★★第120回(1998年下半期)芥川賞受賞作。勿論現代の口語体であるが、漢語や雅語を多用する疑似和漢混淆文のようなスタイルで、15世紀の聖職者が書いたことになっている彼の内面世界を作りあげる。魔女狩りやらアンドロギュノス(ヘルムアフロディーテ)が出て来るグロテスクさは、確かに世に言われるように三島由紀夫的。
玄 月
「蔭の棲みか」
★★第122回(1999年下半期)芥川賞受賞作。在日朝鮮・韓国人で、玄が苗字で月が名前。済州島出身で戦時中(当時は日本人であった)に障碍者になった老人が、中国人を交えて、色々と経験する不条理な物語。僕はちょっとカフカを感じたが、カフカ同様余りピンと来ない。
藤野 千代
「夏の約束」
★★★同じく第122回(1999年下半期)芥川賞受賞作。やはり受賞作なしの次の回は、例によって二作同時受賞。この回に限らず銓衡 (選考) 者の選評を読むと、毎回のようにLGBTQ(当時はそんな言葉はなかったが)をテーマやモチーフにした作品が銓衡に残っているらしい。本作は男性のゲイ・カップル(今ゲイはかつてのホモに置き換わった感があるが、当時は男女区別なく同性愛者はゲイとされていたと記憶する。何故か少しだけ昔に戻った)が主人公で、二人の親しい人にはトランスジェンダーもいる。彼らはストレートな人たちとも交流している。ゲイの主人公が差別を何とも思っていないのが面白い。
フランツ・ファノン
「黒い皮膚・白い仮面」
★★★作者はフランス領マルティニーク島出身の精神科医。殆ど黒人しかいないマルティニーク島でファノンは自分をフランス人と思っていた。フランス本国へ行って白人の子供から怖がられ、差別され特別扱いされて、彼は自分が黒人(白人の血が混じっているかどうかは全く関係ない)であることに気付く。白人こそ黒人が自分のアイデンティティーを知る鏡なのである。この当たり前のようなことに気付かせてくれるだけでこの本は価値がある。想像していた以上に哲学的のような気がした。
アンソニー・ホロヴィッツ
「カササギ殺人事件」
★★★★★脱帽しました。本格推理にもはや新手などないと思っていたが、あった。二分冊の長いミステリーだが、二冊にしないといけない理由がある。上編の95%はアラン・コンウェイなる架空の作家が書いたアガサ・クリスティー風ミステリー。入れ子構造なのである。下編はコンウェイを売り出した出版社の美人(ここでは比較的若い女性という意味ですよ)編集者スーザン・ライランドが、何故か突然自殺(?)したコンウェイの最新作の失われた(?)結末部分を探るうちコンウェイの死の謎を犯人を特定する探偵として行動することになる。下編は結末がないのは何故か、コンウェイの死が自殺でないとすれば殺人犯は誰か、そして彼の遺作の犯人は誰か、という三つの謎をめぐって虚実が織り交ざる形で進行する。緻密な構成に驚いた。
井伊 直弼
「狸腹鼓」
★★★狂言。 “たぬきのはらつづみ” と読む。作者は桜田門外の変で暗殺された井伊直弼となっているが、実は伝承されているものを整理したといったところ。狸を狩ろうとする男を一匹の狸が伯母にばけて騙そうとするが尻尾を掴まれ(狸だけに)大騒ぎになる。
作者不明
「大黒連歌」
★★脇狂言。可笑し味は薄いが、大黒様が出て来ておめでたい。
「粟田口」
★★大名狂言。 大名が求める “粟田口” という武器を巡って、 その派遣者である太郎冠者が、自分が粟田口であるとすっぱ(忍者もしくは間諜即ちスパイ)に騙される言葉遊びの巻。
「木六駄」
★★小名狂言。これも言葉遊びの巻で、贈り物の木六駄 (牛6頭分の木材の意味) を他人にやってしまい、遣いをうまく果たせなかった太郎冠者が手紙に書いてある木六駄とは自分のことと言い抜けるが、酒については誤魔化しきれない。
「右近左近」
★★★★婿女狂言。 “おこさこ” と読む。これは笑劇として現代に通ずるお笑いと言うべし。臆病な百姓右近が近所の左近の牛が田を荒らすことに絡み公事 (裁判) を起こそうとし、細君に地頭に扮して貰って模擬練習するが、臆病なので本番と勘違いを起こす。やがて正気に戻ると、妻が左近贔屓なのは良い仲だからとすっぱ抜くも、強い細君に太刀打ちできない。自虐的に終わる幕切れはウッディー・アレンみたいだ。
「朝比奈」
★★★鬼山伏狂言。地獄の不況で閻魔大王が自ら辻に立つが、やってきた和田合戦で活躍した朝比奈 (和田義秀) に頭が上がらず、極楽への案内までさせられる、というお笑い。
石 玉崑
「三侠五義」
★★★★清朝に書かれた武侠小説で、舞台は宋時代。序盤の主人公は大岡越前の原形のような名判事で中世ミステリーのような面白味を期待させるが、やがて彼を守ろうとする義賊たちがそれぞれ活躍するお話となっていく。我が邦の「南総里見八犬伝」を思えば遠くない。白話小説の類では相当面白い部類。三侠と言っても三人以上出てくるわけだが、この表現は中国で定着したようで、今年初めに観た香港映画に「ワンダーガールズ 東方三侠」というのがある。
ジョルジュ・バタイユ
「マダム・エドワルド」
★★★哲学者バタイユのエロティック小説。エロ小説と書くと純ポルノみたいな感じがするので避けました(笑)。
「目玉の話」
★★★★昔は「眼球譚」という邦題だった。死と性 (生) が絡み合うエロ・グロ小説で、新訳者の中条昌平は、小説に出て来る玉子と合わせる為に睾丸を金玉、眼球を目玉にしたと言う。悪漢小説的な構成で、排泄も絡むなど、マルキ・ド・サドの20世紀版の趣きがあるが、さすがにあれほど残酷ではない。
ヴァージニア・ウルフ
「オーランドー」
★★★★日本の文学愛好者からヴァージニア・ウルフは意識の流れを実施した作家として取り上げられることが多いわけが、これは遊びと言おうか洒落っ気に満ちた幻想譚で、ハリー・ポッターならでサリー・ポッターが映画化した「オルランド」の男⇒女への変身が当時話題になった。というのも、日本の映画館で初めてドラマ映画で大人の性器がぼかしなし(ドキュメンタリーなどでは普通に見せられることも多かった)で映され、それを映倫が認めたからである。などと観て来たようなことを言っているが、僕が少し後に観たWOWOW版は見事にぼかされていた。映画的に結構重要なのにね。エリザベス朝時代から現在 (1928年) まで殆ど年を取らずに生きてきた彼女の人生が暗喩するのは、英国の詩歌史である。途中で彼が彼女になるのは、英国で女性文学者が誕生したことを示す(らしい)。
吉本 ばなな
「キッチン」
★★★★8年前に観た森田芳光の映画版よりぐっと鮮やか。透明な小説だ。原作との忠実性ということを考えれば、もの凄い美人という “おかあさん” の橋爪功という配役はありえないなあ。原作の表現から僕が配役するなら宝塚の男役出身の女優(個人的には苦手だが真矢ミキあたり)が良い。尤も、恋愛映画として作ったと思われる映画版と違って、小説はヒロインが疑似家族的な関係によって背景でしかなかった近親者の死を実感していく再生劇であり家族の物語。映画においてその意味で “おかあさん” はさほど重要ではなかったのだろう。
「満月 キッチン2」
★★★小説では実はキー・パースンであった “おかあさん” の死から始まる。前作で幾つかある死は既に起こったものであり、読者にとって死は背景に揺曳するものにすぎなかったが、今回は違う。正編では透明に感じた空気がスモッグで覆われたよう。しかし、最後は登場人物が自らそれを晴らすのだ。二部で一作と考えれば、二作の総合点は★★★★。
「ムーンライト・シャドウ」
★★★★★この小説のヒロインは恋人を交通事故で失った喪失感からなかなか立ち直れない。恋人の弟は兄と恋人を同時に失った喪失感を奇行によって糊塗している。ヒロインは奇妙な女性と知り合うことで、その現状をぐっと変えていく。「キッチン」二部作と合わせて読むと、死を常に意識することで生にしがみつくことが出来るというのが吉本ばななの死生観ということが解って来る。
夏樹 静子
「Wの悲劇」
★★★★映画版は、この小説を入れ子の劇中劇にしてダブル (Wにかけています) ならぬトリプルのWの作品となっていて、鮮やかだった。本作はエラリー・クイーンの「悲劇」シリーズを意識してこのタイトルが付けられ、アガサ・クリスティーばりのクローズド・サークルものの設定を用意しながら倒叙ものとしてスタートする。途中から実は倒叙ものではなかったことが明らかになって来る。巧い手だと思いましたな。これはストレートに映画化しても良かった逸品。
ジョゼフ・ヘラー
「キャッチ=22」
★★★その昔、映画版も観た。 “キャッチ22” なる実在しない規律を頂点とする循環論的な思想が軍隊に蔓延しているという設定で、 軍隊を諧謔的に扱うブラック・コメディー小説。 “キャッチ22” によれば、正気の者も狂気の者も結局は永遠に続くとも思われる出撃をこなさなければならない。
アーサー・コナン・ドイル
「シャーロック・ホームズの事件簿」
★★★第五公式短編集。12編収録。光文社文庫で読む。これをもってホームズが担当した事件は完了することになる。本格推理と言っても短編は自ずと奇妙な味的な作りとならざるを得ないわけで、殺人が出てこないものも多い。熱心なシャーロッキアンではない僕には、旧作の焼き直しのように感じられて夢中になれる作品は多くないが、「三人のガリデブ」のような発想は好きだ。「這う男」は「ジキル博士とハイド氏」を彷彿とするSF趣味だが、科学的知識を持つ現代人の目にはバカバカしいだろう。
「シャーロック・ホームズの叡智」
★★★上で完結と言いながら、まだ一部短編が残っているのでござる。新潮社が大人の事情で既刊の公式短編集から省かれた八編を収録した新潮文庫独自編集版である。割愛されたのは第一短編集から二作、第二から一作、第三から三作、第五から二作。このうち第一・第五は光文社文庫版で読んだので、第二『~の思い出』の一編、第三『~の帰還』の三篇を本作にて初めて読む。敢えて省略するなら選ばれても仕方がないというのもあるが、『~の思い出』収録の「ライゲートの大地主」はちょっとした作品ではあるまいか。
アガサ・クリスティ
「ABC殺人事件」(再)
★★★★★ポワロもの第11作。久しぶりに読んだが、僕の好きな見立て殺人ものであり、まして犯人設定がかなり劇場型なので、相当面白く読める。少しネタバレになるが、エドガー・アラン・ポーの「失われた手紙」の公式を連続殺人に応用している。
ダニエル・ケールマン
「世界の測量」
★★★★サブタイトルが “ガウスとフンボルトの物語” なので、偉人二人が出て来るのだろうから面白い筈と踏んで手に取ってみた。ガウスは有名な数学者・天文学者、フンボルトは地理好きの僕には小学生の時からお馴染みの地理学者。同じドイツと言っても、当時は別国のハノーファーとプロイセンの出身で、後年ベルリンの会議で実際に会った。小説はその事実から始まり、暫し巻き戻して、章ごとに交互に二人の冒険的活動を綴っていく。面白いのは互いに会う前から相手の情報を見聞きする機会があり、会議での遭遇後の終盤に見られる、空間を超えてあたかも会話をするような文章構成である。極めて映画的で面白い。
大江 健三郎
「芽むしり仔撃ち」
★★★大江健三郎以降に出て来た作家には、こういうドライな文体を持ち、あるいはダーク・ファンタジー的な設定をする人が増え、僕も2000年までの芥川賞受賞作を踏破してきたから大分慣れて来はした。不条理感はカフカではなくカミュに近いだろう。戦時中感化院の少年たちが疎開した村で感染症が発生し、教師たちが第二次隊を引き連れて来る合間に、村人は村を封鎖した上で隣村に避難する。子供たちの世界にも対立構造があって「蠅の王」のようになるかと思わせるが、朝鮮人(旧日本人)や脱走兵や母親と死に別れた一人の少女を交えるうちに対村人という構図が出来上がる。子供たちの王国は、しかし、突然の村人の帰還で呆気なく瓦解する。自由を維持するのは難しいのだ。実際村人は子供たちに言論統制を敷く。唯一言うことを聞かない主人公は逃走する。
安楽庵 策伝(編・作)
「醒睡笑」
★★策伝が子供の頃から書き留めた笑い話の類を時に彼の評を加えながら紹介する。広本は全1039話だが、僕が読んだのは全311話の狭本。項目ごとに分けられ、読みやすい。読みやすいが、原文は現在の読点のところが句点なので、その意味では読みにくい。落語の先輩のようなものと思えば遠くないでしょう。
F・スコット・フィッツジェラルド
「ラスト・タイクーン」
★★フィッツジェラルドの未完成長編。映画版を観たのはもう半世紀近く前の一度だからまるで憶えていなかった。お金に困ったフィッツジェラルドが晩年参加することになったハリウッド映画界を舞台に、実在の製作者アーヴィング・タルボーグをモデルに一人の製作者がある女性に傾倒していく様を描く。未完成なので、残された文章から編者が勝手に加えたところもあるようだが、人気作で幾つも翻訳されている。実在の有名俳優の名前が頻出する一方、勿論重要人物は架空もしくは仮名。
井上 靖
「孔子」
★★★若い頃よく読んだ井上靖の、最後の長編小説。「論語」がどういう経緯・形で成立していったかという命題をもって書かれた歴史小説である。井上靖が作り上げた、最後の生き証人に当たる語り部の弟子を中心に研究者たちが語り合うのだ。アプローチは興味深いが、井上の歴史小説では三人称のほうが好きだ。
この記事へのコメント
☆ アンソニー・ホロヴィッツ
この方は確かTV版ポワロシリーズの脚本も何本か書いているのでクリスティの影響は当然あるでしょうね。映像版で観ましたが本も売れていますね。
ちょっと前まで図書館でも人気だったので順番待ちがすごいことになってましたがもうそろそろ収まっていそうなのでチャレンジしてみます。
売れていると言えば最近マルケスの「百年の孤独」が文庫になってベストセラー上位にランキングされていますが、ご存じでした?
何で急にそんなことになるのかと思ったらNetflixが映像化しているからのようです。
☆ アガサ・クリスティ
「ABC殺人事件」(再)
確か私のと同じくらい古い文庫をお持ちでしたよね?
「しからばごめん」のやつ ^_^ 堀田さんでしたっけ?
私は結局新訳で読んでみたくて児童書で読みましたよ。子供用にリライトしていなくて活字も大きいしすぐ読めました。
活字の小さいのはもう無理ですね。
☆ 夏樹 静子「Wの悲劇」
随分前にこれと「花を捨てる女」を読みました。上手いですね!
あと「椅子がこわい」これはミステリーじゃなくて腰痛の闘病顛末記でした。
☆ チャールズ・ディケンズ 「荒涼館」
これも映像で観ましたが、私の場合それが正解のようです。
ヒースクリフはやっぱり悪い奴でしたね!
>☆ アンソニー・ホロヴィッツ
> ちょっと前まで図書館でも人気だったので順番待ちがすごいことに
そうなんです。
暫く前はそれで挫折したのですが、今回は予約が取れたんですよ。
仰るように、大分落ち着いて来たようです。
>最近マルケスの「百年の孤独」が文庫になってベストセラー上位にランキングされていますが、ご存じでした?
たまたま知っていました^^v
>「ABC殺人事件」(再)
>確か私のと同じくらい古い文庫をお持ちでしたよね?
それで読みました。
やたらに古いのを読んでいるので、このくらいの古さならOK。
>☆ 夏樹 静子「Wの悲劇」
>随分前にこれと「花を捨てる女」を読みました。上手いですね!
後者は、松本清張みたいなタイトルですけど、面白そうです。
>☆ チャールズ・ディケンズ 「荒涼館」
>これも映像で観ましたが、私の場合それが正解のようです。
長いですからねえ。現代人には厳しいですかね。
☆ ポール・オースター
最近亡くなりましたが、いつだったかなとWikipediaを検索しましたところ、叔父さんから段ボールに入った本を貰ったのは実体験を元にしたと書いてありました。でも実際にはベッドやテーブルに出来るほどの量ではなかったかも知れませんね。
話盛ってますよね。
いくら暇でも読みきれないと思いますよ。
ところでいつもお勧めした本を律儀に読んでいただきありがとうございます。
文学以外となると殆ど思いつかないのですが…
☆ 網野善彦 「日本の歴史をよみなおす」
網野本は読んでおられるかも知れませんが、たまたま私が最近読みなおしたいと思って出してきた本なので書いてみました。
最近は宮崎駿が影響を受けた事で有名ですね。
☆ 唐 亜明 「ビートルズを知らなかった紅衛兵」岩波 同時代ライブラリー
もう絶版になっているので図書館にあるかどうかわかりませんが。(自伝です)
☆ 虹 影 「飢餓の娘」集英社
これも絶版です。(自伝的です)
☆ハ ジン 「待ち暮らし」(これは文学です)
またまた絶版ですがこの中国系3作は当地の図書館には所蔵されていました。
そちらにもあれば良いのですが…
中国系お勧め3作ですが唐亜明は日本に留学中に日本語で書いていて、虹影はイギリスで、ハジンはアメリカで英語で書いています。
ハジンは確か本作で全米図書館賞だったかフォークナー賞だったかをとっていますが、私は物凄く日本的なものを感じました。是非ご意見を伺いたいものです。
>☆ ポール・オースター
「ムーン・パレス」を読み終わって暫くして訃報がありました。
何かの縁かな。
>☆ 網野善彦 「日本の歴史をよみなおす」
図書館にありました。世界史に比べると日本史には疎いですが、面白そうです。
>☆ 唐 亜明 「ビートルズを知らなかった紅衛兵」岩波 同時代ライブラリー
この本の題名は知っているような気がしますが、錯覚かもしれない。
中国映画で文化大革命の時には流行歌も禁止されていたと知り、当然中国人はビートルズなど知るわけもないと思ったので、勝手に頭の中で作り上げていたかもしれない、ということです。
わが図書館群にはありませんでしたが、県立図書館にありました。すぐには無理そうです。
>☆ 虹 影 「飢餓の娘」集英社
>☆ハ ジン 「待ち暮らし」(これは文学です)
どちらもありましたよ^^v
7月に五輪、8月に高校野球があるので、ペースががくんと落ちるのですが、秋号に間に合うと良いと思いますデス^^
ポール・オースターの「ムーン・パレス」を紹介されていますので、コメントしたいと思います。
この「ムーン・パレス」は、著者のポール・オースターが「私がいままで書いた唯一のコメディ」と言っている作品ですね。
そう言われてみると、確かにそうかもしれないですね。
少なくとも、これまで私が読んだポール・オースターの作品の中では、一番「物語」的な作品だと思いますし、限界の生活の中で自虐的になりながらも、あくまでも虚勢を張る主人公の姿は、とてもコミカル。
本来なら、実に様々なものを手に入れながらも、その全てを失い、結果的には何一つとして、手元には残らない主人公の姿は、かなり暗い雰囲気となってもおかしくないのですが、主人公のスタンスは、他の人間とはまるで違う次元のようにも感じられます。
決定的な暗さや悲壮感がまるでないんですね。
マーコの人生は、様々な人間の人生と錯綜しますし、この1冊の本の中に詰まっているのは、マーコひとりの人生だけではありません。
確かに、マーコ・フォッグの物語でありながら、同時に奇矯なトマス・エフィング老人や巨大な歴史学者・ソロモン・バーバーの物語でもありますね。
この3人の関わり合い、そして、それぞれのルーツ。
これは、既に人生の途上における交差点といったレベルではありませんね。この3人の人生が、丸ごと入り込んでいるこの作品は、とても充実していると共に濃密。
そして、読む場所によって受ける印象が、これほど変わる作品も珍しいのではないでしょうか。
基本的には青春小説だと思うのですが、場所によっては恋愛小説になったり、冒険譚となったり、はたまたSFとなったり、表情がくるくると変わりますね。
寓意にも富んでいますし、読むたびに新たな発見があるんですね。
1度きりしか読まないのは勿体無い作品ですね。
そして、読んでいるうちに、どんどん好きになっていきそうな作品でもありますね。
ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」の紹介をされているので、嬉しくなりました。
この小説を、私はちくま文庫で読んだのですが、ちょうど読み終えたところだったので、コメントしたいと思います。
文庫本の裏表紙の説明に「オーランドーとは何者?36歳の女性にして360歳の両性具有者、エリザベス1世のお気に入りの美少年、やり手の大使、ロンドン社交界のレディ、文学賞を受賞した詩人、そしてつまりは---何者?性を超え時代を超え、恋愛遍歴を重ね、変化する時代精神を乗りこなしながら彼/彼女が守ってきたもの」とあるので、SF作品なのかと思って読み始めたのですが、そうではありませんでした。
確かに、エリザベス1世(1533-1603)の時代に生まれ、その後、20世紀までずっと生き続けるオーランドーなのですが、急激な時代の移り変わりは、オーランドーが執筆に没頭していたり、7日間ほど目覚めないといった状態の間にごく自然に訪れますし、オーランドーの周囲の人々もそのままなので、時代時代の風物や流行が入れ替わるだけで、ごく自然な流れとして読めましたね。
オーランドーが、それらの時代の移り変わりの生き証人となっている物語とは言えそうですが--------。
そして、その300年以上に渡る時代の流れが何を表しているかといえば、オーランドーの家のモデルとされる、サックヴィル家の人々の歴史であり、ヴァージニア・ウルフと同時代のサックヴィル家のひとり娘であり、女流作家となったヴィタ・サックヴィルの生涯なのだそうです。
少年の頃のオーランドーや、まだ男性で大使をしていた頃のオーランドーの肖像画、そして、女性となった後のオーランドーの写真が出てくるのですが、肖像画はヴィタの祖先の肖像画であり、写真はヴィタ自身の写真だとのこと。
どれも同一人物としか思えないほど似通っており、まさしくオーランドーその人の長い人生を思わせるものです。
そして、この300年は、エリザベス朝以降の英文学の流れも表しているんですね。
この英文学の流れが、またとても面白いのです。
かつて、大学の英文学史の授業で、名前を習ったり、実際に作品を読んだ詩人や作家が次々と登場してきて、実に興味深かったですね。
エリザベス朝の文学は、女性とは無縁で、シェイクスピアの劇のヒロインも演じたのは少年たちでした。
そして、男性に生まれたオーランドーが、突然女性になってしまったのは、エリザベス朝が終わり、英文学に女性が登場するようになった17世紀末頃。確かに、とても意図が感じられますね。
オーランドーは、男性の時も女性になってからも、名前は変わらずオーランドーのまま。
この両性具有の神とも思える名前は、読む前の予想通り、アリオストの「狂えるオルランド」(シャルルマーニュ伝説に出てくる騎士・ローランと同一人物)の線が濃厚のようです。
この作品で、オーランドーの恋のお相手となるロシアのお姫様のポートレートには、ヴァージニア・ウルフの姪のアンジェリカのものが使われているそうですし、アンジェリカといえば「狂えるオルランド」に出てくる異国のお姫さまですね。
その他にも、様々な含みがあるようです。
作品そのものも、とても面白かったのですが、訳者の杉山洋子さんによる解説「隠し絵のロマンス-伝記的に」も、そういったことを教えてくれて、とても良かったですね。
>ポール・オースターが「私がいままで書いた唯一のコメディ」と言っている作品ですね。
コメディというのは日本人が考える概念より広いので、間違いない表現ですね。
僕は脚本作以外はこお「ムーン・パレス」しか読んだことがないので、何とも言えないにしても。
なお、「ニューヨーク三部作」なるものを読む予定には入れております。
>ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」
>この小説を、私はちくま文庫で読んだ
僕は、国書刊行会の「世界幻想文学大系」で読んだのですが、訳者は同じ。同じものを筑摩書店が文庫化したんですね。
>この300年は、エリザベス朝以降の英文学の流れも表しているんですね。
そのようです。
オーランドーが女性に変わるのは女流詩人の誕生を意味している、と解釈されるわけですね。
>「狂えるオルランド」
これも読む予定に入っているんですよ。県立図書館にしかないので、時間がかかりそうですけど。
網野善彦 「日本の歴史をよみなおす (全) 」が完全版です。
私は30年ほど前に出た本を持っているのですが、その後続編が出ていたのを見逃していました。今は正+続で(全) になっているようです。
>網野善彦 「日本の歴史をよみなおす (全) 」が完全版です。
わざわざ有難うございました。
続のほうもありましたよ^^
映画の感想も凄いですが、読書量も凄いですね!
ミステリーなら京極夏彦の百鬼夜行シリーズ、特に5作目の「絡新婦の理」までは特に面白いですよ。
コメント有難うございました。
>映画の感想も凄いですが、読書量も凄いですね!
恐れ入ります。
5チャンネルに自分の名前を発見しました。
投稿者は、もしかして、かずきさんだったりして?
>京極夏彦の百鬼夜行シリーズ、特に5作目の「絡新婦の理」までは特に面白いですよ。
おおっ、実は映画化された「姑獲鳥の夏」か「魍魎の匣」を秋号か、遅くても冬号に間に合うように読もうと思っていたのですよ。
お薦め、有難うございました。
今後ともよろしくお願いいたします。