映画評「アステロイド・シティ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2023年アメリカ=ドイツ合作映画 監督ウェス・アンダースン
ネタバレあり
ウェス・アンダースンは画面が面白い一方、お話の方は毎度ピンと来ない。一番ピンと来たのはアニメ映画「ファンタスティック MR.FOX」である。今回もその印象は全く維持される。
隕石でできたクレーターを売りにしているアステロイド・シティで、軍の主導で超天才少年(いつも言うように、少年は年齢区分であって、男児という意味ではない)を表彰する催し物が行われている。さほど遠くないところで核実験が行われている町である。
一連の催しの最中に、下降してきたUFOから宇宙人が現れ隕石の破片を持ち去る。これに動揺した軍は、人々が町から出ることや電話通話を禁止する。
かくして、趙天才少年ジェイク・ライアンの父親で妻を失ったばかりの写真家ジェイスン・シュワルツマンが、別の超天才グレース・エドワーズの母で有名舞台女優スカーレット・ヨハンスンと、向かい合う家越しに話をするようになる。
というお話は、実は劇作家エドワード・ノートンによる芝居で、その為現実っぽい中にもセットっぽさを大いに残して進行する。しかし、ノートンの部分も実はブライアン・クランストンを進行役とするTV番組の中身である、という三重構造のドラマ。
外枠二つはモノクロのスタンダード・サイズで、一番奥にあるドラマだけカラーのシネスコという形で、勿論アンダースンらしさはこの部分でとりわけ強く発揮される。
カメラはいつも通り、固定ながらスタイリッシュ。固定が外れる時は常に横移動であり、そこに時々パンが加わる。縦方向にいじったのは一ヶ所しか記憶していない。基本的にアンダースンは横の構図の監督である。
例によって、お話の方はとんと解らない。
妻を失い、義父トム・ハンクスに認められないカメラマンが、超天才の息子や無邪気なような恐ろしいような幼い三人の娘たちを抱え、舞台女優と語るうち、家族との関係を新たにしていく。そんな感じだろうか。
かかる実際的な物語が進行する一番内側のこのカラー・パートも、妙にセット的であって、そこに現実でもあり舞台でもある二重性が表現されているという感じであるが、今回もやはり画面の面白さに没入するしかなさそうである。
敢えてキー・ワードを選ぶなら、映画の最後で連呼される “起きたいなら眠れ” だ。これは、生きにくい世界を(無覚醒状態で)生きている我々へ向けたメッセージなのだろうか?
こういう不思議な世界を描く映画を観た後映画サイトへ行くと、“世界観”という言葉に横溢している。“(作品)世界”で十分なのに空気感という意味とそれが結びついて、従来ある哲学用語と同じ形で使われ始めたと思われるこの措辞。当然哲学用語の “世界観” とはまるで関係ないわけで、 ”かん” という辞を付けると高級ぽく感じられるので流行しているのだろう。"距離" で良いのに使われる "距離感"(意味は "距離間")も同じ。
2023年アメリカ=ドイツ合作映画 監督ウェス・アンダースン
ネタバレあり
ウェス・アンダースンは画面が面白い一方、お話の方は毎度ピンと来ない。一番ピンと来たのはアニメ映画「ファンタスティック MR.FOX」である。今回もその印象は全く維持される。
隕石でできたクレーターを売りにしているアステロイド・シティで、軍の主導で超天才少年(いつも言うように、少年は年齢区分であって、男児という意味ではない)を表彰する催し物が行われている。さほど遠くないところで核実験が行われている町である。
一連の催しの最中に、下降してきたUFOから宇宙人が現れ隕石の破片を持ち去る。これに動揺した軍は、人々が町から出ることや電話通話を禁止する。
かくして、趙天才少年ジェイク・ライアンの父親で妻を失ったばかりの写真家ジェイスン・シュワルツマンが、別の超天才グレース・エドワーズの母で有名舞台女優スカーレット・ヨハンスンと、向かい合う家越しに話をするようになる。
というお話は、実は劇作家エドワード・ノートンによる芝居で、その為現実っぽい中にもセットっぽさを大いに残して進行する。しかし、ノートンの部分も実はブライアン・クランストンを進行役とするTV番組の中身である、という三重構造のドラマ。
外枠二つはモノクロのスタンダード・サイズで、一番奥にあるドラマだけカラーのシネスコという形で、勿論アンダースンらしさはこの部分でとりわけ強く発揮される。
カメラはいつも通り、固定ながらスタイリッシュ。固定が外れる時は常に横移動であり、そこに時々パンが加わる。縦方向にいじったのは一ヶ所しか記憶していない。基本的にアンダースンは横の構図の監督である。
例によって、お話の方はとんと解らない。
妻を失い、義父トム・ハンクスに認められないカメラマンが、超天才の息子や無邪気なような恐ろしいような幼い三人の娘たちを抱え、舞台女優と語るうち、家族との関係を新たにしていく。そんな感じだろうか。
かかる実際的な物語が進行する一番内側のこのカラー・パートも、妙にセット的であって、そこに現実でもあり舞台でもある二重性が表現されているという感じであるが、今回もやはり画面の面白さに没入するしかなさそうである。
敢えてキー・ワードを選ぶなら、映画の最後で連呼される “起きたいなら眠れ” だ。これは、生きにくい世界を(無覚醒状態で)生きている我々へ向けたメッセージなのだろうか?
こういう不思議な世界を描く映画を観た後映画サイトへ行くと、“世界観”という言葉に横溢している。“(作品)世界”で十分なのに空気感という意味とそれが結びついて、従来ある哲学用語と同じ形で使われ始めたと思われるこの措辞。当然哲学用語の “世界観” とはまるで関係ないわけで、 ”かん” という辞を付けると高級ぽく感じられるので流行しているのだろう。"距離" で良いのに使われる "距離感"(意味は "距離間")も同じ。
この記事へのコメント