映画評「野性の叫び」(1935年版)
☆☆☆(6点/10点満点中)
1935年アメリカ映画 監督ウィリアム・A・ウェルマン
ネタバレあり
ジャック・ロンドンの人気作 Call of the Wild は日本では「野性の叫び」もしくは「荒野の呼び声」として紹介され、映画版ではこの作と1972年版が「野性の叫び」、TV映画の幾つかか「荒野の呼び声」として紹介されているが、2020年版はその折衷案となる「野性の呼び声」となった。
その最新の実写映画版は内容的に原作に近くて気に入った反面、ポリ・コレ的配慮で歴史修正に近いことが行われたのが僅かに気になった。ここ10年余りでハリウッドの歴史劇(概ね第2次大戦以前のもの)はもはや時代考証的に全く信用の置けないものとなったと言わざるを得ない。
ゴールドラッシュに沸くアラスカ、ゴールドディガーの一人クラーク・ゲーブルが大型犬パックを買い取る。この過程でこの犬の購入を争っていた(殺すのが目的と自ら言うのだからひどい)レジナルド・オーウェンが後半再び絡んで来る。
ゲーブル氏は旧知の仲ジャッキー・オーキーと一緒に旅立ち、途中で夫君フランク・コンロイを失った人妻ロレッタ・ヤングを狼の群れから救出する。この夫婦もゴールドディガーで、彼女の知識に頼って筏で川を下り金の山(実際には川の中にある砂金なので、金の川)を目指す。このシークエンスでは人間は川を下り、犬を川べりに走らせるという情景が面白い。
その間にゲーブルとロレッタのロマンスが生れる。ところが、実は生きていたコンロイに道案内を指せたオーウェン一味が、現場に近づくとコンロイを倒し、旅立つオーキーを見送った夫婦気取りの二人の前に現れ、二人が何もできないようにツールを奪って黄金(きん)を抱えて立ち去る。
しかし、黄金の重さの為に一味の筏は沈み、一味は川底に沈む。ゲーブルは夫と再会したロレッタを見送り、愛犬パックを彼が気になって仕方がない雌狼の許に行かせる。
部分的にはアラスカの荒々しさが楽しめるが、どちらかと言えば、ロマンスを加えたハリウッド的な甘めの人間劇となっていて、原作に拘ると(或いはそれほど拘らなくても)余り感心できない作品と言いたくなる。
が、ゲーブルの立場で欲望渦巻くこの映画を観ると、欲望に関して面白い見方ができる。彼は紳士的に欲望に打ち克ってロレッタを(二人の関係に全く気付いていない)夫に返す。主人に従うか欲望(本能)に従うか迷っているパックを雌狼(自然)に返す。彼らに対するスタンスによって欲望を退けられる彼の人物像が浮かび上がる。
その点に関し、金儲けの為なら何でもする一味が川に沈むことについては言わずもがな、この作品の立場を示していると言えましょう。
水原事件が騒がしい中でこの映画を観ると、余計に考えさせられますね。
1935年アメリカ映画 監督ウィリアム・A・ウェルマン
ネタバレあり
ジャック・ロンドンの人気作 Call of the Wild は日本では「野性の叫び」もしくは「荒野の呼び声」として紹介され、映画版ではこの作と1972年版が「野性の叫び」、TV映画の幾つかか「荒野の呼び声」として紹介されているが、2020年版はその折衷案となる「野性の呼び声」となった。
その最新の実写映画版は内容的に原作に近くて気に入った反面、ポリ・コレ的配慮で歴史修正に近いことが行われたのが僅かに気になった。ここ10年余りでハリウッドの歴史劇(概ね第2次大戦以前のもの)はもはや時代考証的に全く信用の置けないものとなったと言わざるを得ない。
ゴールドラッシュに沸くアラスカ、ゴールドディガーの一人クラーク・ゲーブルが大型犬パックを買い取る。この過程でこの犬の購入を争っていた(殺すのが目的と自ら言うのだからひどい)レジナルド・オーウェンが後半再び絡んで来る。
ゲーブル氏は旧知の仲ジャッキー・オーキーと一緒に旅立ち、途中で夫君フランク・コンロイを失った人妻ロレッタ・ヤングを狼の群れから救出する。この夫婦もゴールドディガーで、彼女の知識に頼って筏で川を下り金の山(実際には川の中にある砂金なので、金の川)を目指す。このシークエンスでは人間は川を下り、犬を川べりに走らせるという情景が面白い。
その間にゲーブルとロレッタのロマンスが生れる。ところが、実は生きていたコンロイに道案内を指せたオーウェン一味が、現場に近づくとコンロイを倒し、旅立つオーキーを見送った夫婦気取りの二人の前に現れ、二人が何もできないようにツールを奪って黄金(きん)を抱えて立ち去る。
しかし、黄金の重さの為に一味の筏は沈み、一味は川底に沈む。ゲーブルは夫と再会したロレッタを見送り、愛犬パックを彼が気になって仕方がない雌狼の許に行かせる。
部分的にはアラスカの荒々しさが楽しめるが、どちらかと言えば、ロマンスを加えたハリウッド的な甘めの人間劇となっていて、原作に拘ると(或いはそれほど拘らなくても)余り感心できない作品と言いたくなる。
が、ゲーブルの立場で欲望渦巻くこの映画を観ると、欲望に関して面白い見方ができる。彼は紳士的に欲望に打ち克ってロレッタを(二人の関係に全く気付いていない)夫に返す。主人に従うか欲望(本能)に従うか迷っているパックを雌狼(自然)に返す。彼らに対するスタンスによって欲望を退けられる彼の人物像が浮かび上がる。
その点に関し、金儲けの為なら何でもする一味が川に沈むことについては言わずもがな、この作品の立場を示していると言えましょう。
水原事件が騒がしい中でこの映画を観ると、余計に考えさせられますね。
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