映画評「地の果てを行く」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1935年フランス映画 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ
ネタバレあり
戦前のフランス映画人は自国の植民地がある北アフリカにエキゾチズムとノスタルジーを求め、色々と秀作を作った。中でもジュリアン・デュヴィヴィエは好みであったようで、一番の代表作となる「望郷」(1936年)と本作を作っている。「望郷」には主人公の設定やムード的に共通するものがある。1990年頃に一度観ている。
パリで人殺しをしたジャン・ギャバンがスペインのバルセロナに逃げるが、ここで身分証も入った財布を掏られる。犯人は目の前にいる男と解っているが、必要以上に詮索せず、結局土着民征伐の為にモロッコへ派遣されると解っている外人部隊に身を投ずる。
そこでレイモン・エイモスとロベール・ル・ヴィガンと同僚になった後、そりが合わないヴィガンを遠のけようとしても何故か派遣先に必ず付いてくるので、ギャバンとしてはどうも奴は自分を逮捕に躍起となっている官憲なのではないかと疑わざるを得ない。
その間に彼はベドウィン族の美人アナベラと結ばれるが、彼女を使ってヴィガンの真意を確認する。しかるに、彼らはタイミングよく援軍が現れない限りほぼ間違いなく死ぬと言われる山での戦いに赴き、案の定苦戦して次々と倒れる。
援軍が現れた直後にギャバンも倒れ、生き残ったヴィガンは最高の戦友と見なすに至った、かつての敵たる彼の最後の言葉をアナベラに伝える。
デュヴィヴィエらしい叙情が爆発するメロドラマ。ひたすら望郷と愛する女性への切ない気持ちに沈み込む「望郷」と違って、デュヴィヴィエのテーマの一つである男の友情が浮かび上がる。
今となってはコンプライアンス的にすこぶる問題のある場面や配役(アナベラが顔を浅黒く塗っている)が多いが、二人が結ばれる土着的な場面もムード的に抜群で、戦前のデュヴィヴィエ作品のエキゾチズムは我々を陶酔させる。
デュヴィヴィエは僕の言う “主観的客観ショット” をよく用いる監督と思うが、本作でも酒に酔い精神的にやや耗弱しているところで、ギャバン本人の姿がぼやけたり画面が不安定になる撮り方をしている。これを見るのも面白い。
それらの画面を見るうち、観客の不安感やサスペンスを惹起すると言われるダッチ・アングル(斜めショット)も、案外 “主観的客観ショット” なのかもしれない、と思えてきた。
デュヴィヴィエには「旅路の果て」(1939年)という邦題の作品があり、若い僕を混乱させた。太平洋戦争直前の観客にも混乱する人がいたでしょう。
1935年フランス映画 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ
ネタバレあり
戦前のフランス映画人は自国の植民地がある北アフリカにエキゾチズムとノスタルジーを求め、色々と秀作を作った。中でもジュリアン・デュヴィヴィエは好みであったようで、一番の代表作となる「望郷」(1936年)と本作を作っている。「望郷」には主人公の設定やムード的に共通するものがある。1990年頃に一度観ている。
パリで人殺しをしたジャン・ギャバンがスペインのバルセロナに逃げるが、ここで身分証も入った財布を掏られる。犯人は目の前にいる男と解っているが、必要以上に詮索せず、結局土着民征伐の為にモロッコへ派遣されると解っている外人部隊に身を投ずる。
そこでレイモン・エイモスとロベール・ル・ヴィガンと同僚になった後、そりが合わないヴィガンを遠のけようとしても何故か派遣先に必ず付いてくるので、ギャバンとしてはどうも奴は自分を逮捕に躍起となっている官憲なのではないかと疑わざるを得ない。
その間に彼はベドウィン族の美人アナベラと結ばれるが、彼女を使ってヴィガンの真意を確認する。しかるに、彼らはタイミングよく援軍が現れない限りほぼ間違いなく死ぬと言われる山での戦いに赴き、案の定苦戦して次々と倒れる。
援軍が現れた直後にギャバンも倒れ、生き残ったヴィガンは最高の戦友と見なすに至った、かつての敵たる彼の最後の言葉をアナベラに伝える。
デュヴィヴィエらしい叙情が爆発するメロドラマ。ひたすら望郷と愛する女性への切ない気持ちに沈み込む「望郷」と違って、デュヴィヴィエのテーマの一つである男の友情が浮かび上がる。
今となってはコンプライアンス的にすこぶる問題のある場面や配役(アナベラが顔を浅黒く塗っている)が多いが、二人が結ばれる土着的な場面もムード的に抜群で、戦前のデュヴィヴィエ作品のエキゾチズムは我々を陶酔させる。
デュヴィヴィエは僕の言う “主観的客観ショット” をよく用いる監督と思うが、本作でも酒に酔い精神的にやや耗弱しているところで、ギャバン本人の姿がぼやけたり画面が不安定になる撮り方をしている。これを見るのも面白い。
それらの画面を見るうち、観客の不安感やサスペンスを惹起すると言われるダッチ・アングル(斜めショット)も、案外 “主観的客観ショット” なのかもしれない、と思えてきた。
デュヴィヴィエには「旅路の果て」(1939年)という邦題の作品があり、若い僕を混乱させた。太平洋戦争直前の観客にも混乱する人がいたでしょう。
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