映画評「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」
☆☆★(5点/10点満点中)
1972年西ドイツ映画 監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
ネタバレあり
日本のシネフィルを感銘させた「マリア・ブラウンの結婚」(1979年)で正式に日本に紹介されたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは、「リリー・マルレーン」(1981年)日本公開の翌年夭逝した。37歳だった。
死後旧作が様々な形で日本に紹介されているが、一番最初に観た「マリア・ブラウンの結婚」の印象を超えるものはない。
本作は、フランソワ・オゾンにいよる男性版リメイク「苦い涙」(2022年)の公開の際に日本で特別上映されたらしい。
ファスビンダー自身の戯曲の映画だが、4回溶暗があるので、原作戯曲は恐らく5幕構成と思われる。
女性ファッション・デザイナーのペトラ・フォン・カント(マルギット・カルステンセン)35歳は、貴族の女友達シドニー(カトリン・シャーケ)が引き合わせた23歳のモデル志願カーリン(ハンナ・シグラ)に夢中になり翻弄される。彼女が豪州から帰国した夫に会いに出たまま帰って来ず、電話もして来ないのに苛立ち、娘や母の前で狂乱ぶりを見せペトラは、その後電話を受けたことで落ち着く。
心が整理できたペトラは、今まで献身的に尽くしてきた秘書兼召使マーレーネ(イルム・ハーマン)をパートナーにすると甘い言葉を囁くが、その途端彼女はその許を立ち去ろうと準備を始める。
元が戯曲だから脚色にそれほど苦労は要らなかっただろうと思われる一方、映画らしさを醸成する為に避けられないカメラに工夫を感じる。が、やはり台詞劇としての要素が強く、映画らしい映画と言えないことも確かである。
主題は、人間は他人との関係性なしに生きていけない、であろう。ヒロインが同性愛者である為にそちらに注目が行きそうだが、同性愛者の側面もあったと聞くファスビンダーが自分を重ねたと想像されるとは言え、相手の性は余り重要でないように思われる。
他人との関係性は人それぞれであり、歪なものに意味を見出す人もいる。それを象徴するのが秘書の行動である。主人が縛りを解いた瞬間に(確かにマゾ的な要素がありそうな)秘書は出て行ってしまう。なかなか強烈な皮肉と言うべし。個人的には、「HANA-BI」の岸本加世子同様それまで全く声を発しなかった秘書が一言言葉を放てばもっと効果的だったような気がする。ファスビンダーの美学では最後まで発声なしのほうが効果的なのだろうが、余りに高踏的すぎるのではないか。
ウォーカー・ブラザーズの「孤独な太陽(イン・マイ・ルーム)」は1966年発表だから、背景となる72年から僅かに6年前。昔話的に扱うのはちょっと計算が合わない印象。60年代のポップスにはなかなか詳しいと自認する僕には少し違和感があった。プラターズ「煙が目にしみる」「グレート・プリテンダー」は意味深長。
1972年西ドイツ映画 監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
ネタバレあり
日本のシネフィルを感銘させた「マリア・ブラウンの結婚」(1979年)で正式に日本に紹介されたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは、「リリー・マルレーン」(1981年)日本公開の翌年夭逝した。37歳だった。
死後旧作が様々な形で日本に紹介されているが、一番最初に観た「マリア・ブラウンの結婚」の印象を超えるものはない。
本作は、フランソワ・オゾンにいよる男性版リメイク「苦い涙」(2022年)の公開の際に日本で特別上映されたらしい。
ファスビンダー自身の戯曲の映画だが、4回溶暗があるので、原作戯曲は恐らく5幕構成と思われる。
女性ファッション・デザイナーのペトラ・フォン・カント(マルギット・カルステンセン)35歳は、貴族の女友達シドニー(カトリン・シャーケ)が引き合わせた23歳のモデル志願カーリン(ハンナ・シグラ)に夢中になり翻弄される。彼女が豪州から帰国した夫に会いに出たまま帰って来ず、電話もして来ないのに苛立ち、娘や母の前で狂乱ぶりを見せペトラは、その後電話を受けたことで落ち着く。
心が整理できたペトラは、今まで献身的に尽くしてきた秘書兼召使マーレーネ(イルム・ハーマン)をパートナーにすると甘い言葉を囁くが、その途端彼女はその許を立ち去ろうと準備を始める。
元が戯曲だから脚色にそれほど苦労は要らなかっただろうと思われる一方、映画らしさを醸成する為に避けられないカメラに工夫を感じる。が、やはり台詞劇としての要素が強く、映画らしい映画と言えないことも確かである。
主題は、人間は他人との関係性なしに生きていけない、であろう。ヒロインが同性愛者である為にそちらに注目が行きそうだが、同性愛者の側面もあったと聞くファスビンダーが自分を重ねたと想像されるとは言え、相手の性は余り重要でないように思われる。
他人との関係性は人それぞれであり、歪なものに意味を見出す人もいる。それを象徴するのが秘書の行動である。主人が縛りを解いた瞬間に(確かにマゾ的な要素がありそうな)秘書は出て行ってしまう。なかなか強烈な皮肉と言うべし。個人的には、「HANA-BI」の岸本加世子同様それまで全く声を発しなかった秘書が一言言葉を放てばもっと効果的だったような気がする。ファスビンダーの美学では最後まで発声なしのほうが効果的なのだろうが、余りに高踏的すぎるのではないか。
ウォーカー・ブラザーズの「孤独な太陽(イン・マイ・ルーム)」は1966年発表だから、背景となる72年から僅かに6年前。昔話的に扱うのはちょっと計算が合わない印象。60年代のポップスにはなかなか詳しいと自認する僕には少し違和感があった。プラターズ「煙が目にしみる」「グレート・プリテンダー」は意味深長。
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