映画評「大名倒産」

☆☆★(5点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・前田哲
ネタバレあり

浅田次郎の時代小説の映画化。前田哲監督は色々なタイプの作品を商業映画のラインに沿って悪くても最低限の仕事をするが、本作は僕の映画観に合わない。

越後丹生山藩。鮭売り小四郎(神木隆之介)が、実は隠居することを決めた藩主(佐藤浩市)が使用人なつ(宮崎あおい)に生ませた息子として、二人の頼りにならない嫡子を抜いて、藩主に招聘される。
 ところが、藩は25万両の借金を抱える大赤字と判明。実は先代は “大名倒産” なるものをこっそり行って借金を踏み倒し、その責任を小四郎に取って貰う腹積もりである。
 かくして小四郎は予想される数カ月の腹切り期限まで、藩民に迷惑のかかる大名倒産をする代わりに借金を返す算段について頭を捻り、家臣となった磯貝(浅野忠信)や橋爪(小手伸也)、そして江戸に出てきた幼馴染さよ(杉咲花)から大きな協力を得て、邁進する。

大体こんなお話で、その間に幕府要職(石橋蓮司)や金貸し(キムラ緑子)の悪計が明るみに出て来る。この辺りは水戸黄門のような構図。

この映画は気に入らない。
 時代劇と言えどもその目的は現在を透かすことにある。現在を生きる観衆の生活感情を反映せず、現在が見えてこないものを作っても仕方がない。しかし、本作の場合は江戸時代を現在化してしまっている。「近江商人、走る!」ほどではないが、ほぼ現在であり、かなり通底する作品世界である。
 そもそも原作にはさよという女性は出てこないようで、客を呼ぶ為に女性を出したいという大人の事情は理解するが、本作の場合、庶民が傍若無人に武家社会に入り込むというのがいかにもデタラメである。この類は藩主が許しても家臣が許さない。江戸時代の時代風俗など変更できるものはどんどん現代風にしてよい(鉄漿=お歯黒、眉剃りの無視など)が、士農工商の意識はそう簡単に変えて貰っては困る。

それ(現在化)は本作の過剰なコメディーぶりが生んだ弊害でもある。今世紀に入ってジャンルを形成するほど作られるようになった経済時代劇は当初から明朗なものであったが、段々ターゲットの年齢層が下がっているのか、ここ近年はバカバカしい騒ぎが目立つ。

【作品世界】の代りに【この作品の世界観】といった言い方が定着している。しかし、 “世界観” は感じるものではなく考えるものである。従って、 "世界観" は作者にあるのであって作品ではなく、また観客が感じるものでもない。【スピード感のある政治】、これも馬鹿らしいというより間違った措辞。そう見えれば実際はどうでも良いということになる。【スピードのある政治】でなければならない。スポーツ中継で使われる【距離かん】は、距離感なのか距離間なのか解らない。 そもそも距離間は言葉として妙。 いずれにせよ、中継で “かん” を使う必要性があるケースは稀だ。 KANは亡くなったが、 日本人は今、 ”かん” に翻弄されている。

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